テレンス・パーキン

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フルネーム テレンス・マイク・パーキン
ニックネーム サイレント・トルピード
テレンス・パーキン
選手情報
フルネーム テレンス・マイク・パーキン
ニックネーム サイレント・トルピード
国籍 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
泳法 平泳ぎ個人メドレー自由形
生年月日 (1980-04-12) 1980年4月12日(45歳)
生誕地 ジンバブエの旗 ブラワヨ
身長 185cm
体重 85kg
獲得メダル
国際大会 1 2 3
オリンピック 0 1 0
世界短水路選手権 0 2 0
パンパシフィック水泳選手権 0 0 1
コモンウェルスゲームズ 0 1 0
グッドウィルゲームズ 1 0 0
アフリカ競技大会 2 1 1
デフリンピック 29 3 1
世界ろう者自転車選手権 1 1 0
合計数 33 9 3
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
競泳 男子
オリンピック
2000 シドニー200m平泳ぎ
世界短水路選手権
2000 アテネ200m平泳ぎ
2000 アテネ400m個人メドレー
パンパシフィック水泳選手権
1999 シドニー200m平泳ぎ
コモンウェルスゲームズ
2002 マンチェスター200m平泳ぎ
グッドウィルゲームズ
2001 ブリスベン200m平泳ぎ
アフリカ競技大会
1999 ヨハネスブルグ200m平泳ぎ
1999 ヨハネスブルグ400m個人メドレー
1999 ヨハネスブルグ4x200mフリーリレー
1999 ヨハネスブルグ200m個人メドレー
1999 ヨハネスブルグ200m自由形
デフリンピック
1997 コペンハーゲン200m自由形
1997 コペンハーゲン100m平泳ぎ
1997 コペンハーゲン200m平泳ぎ
1997 コペンハーゲン200m個人メドレー
1997 コペンハーゲン400m個人メドレー
2001 ローマ100m自由形
2001 ローマ200m自由形
2001 ローマ100m平泳ぎ
2001 ローマ200m平泳ぎ
2001 ローマ400m個人メドレー
2005 メルボルン100m自由形
2005 メルボルン200m自由形
2005 メルボルン400m自由形
2005 メルボルン1500m自由形
2005 メルボルン50m平泳ぎ
2005 メルボルン100m平泳ぎ
2005 メルボルン200m平泳ぎ
2005 メルボルン200mバタフライ
2005 メルボルン200m個人メドレー
2005 メルボルン400m個人メドレー
2005 メルボルン4x200mフリーリレー
2005 メルボルン4x100mメドレーリレー
2009 台北200m自由形
2009 台北1500m自由形
2009 台北50m平泳ぎ
2009 台北100m平泳ぎ
2009 台北200m平泳ぎ
2009 台北200m個人メドレー
2009 台北400m個人メドレー
1997 コペンハーゲン100m背泳ぎ
1997 コペンハーゲン200m背泳ぎ
2005 メルボルン4x100mフリーリレー
自転車競技 男子
デフリンピック
2009 台北個人ロードレース
世界ろう者自転車選手権
2006 サンフランシスコ個人ロードレース
2006 サンフランシスコマウンテンバイクXCC
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テレンス・マイク・パーキン(Terence Mike Parkin、1980年4月12日 - )は、南アフリカの男子競泳選手、自転車競技選手。ジンバブエブラワヨ出身。

生まれつき聴覚障害を抱えながらオリンピックに出場し、さらにメダルまで獲得した数少ないデフアスリートの一人[1]。競泳で平泳ぎ個人メドレーをメインに活躍し、2000年シドニーオリンピックの200m平泳ぎで銀メダルを獲得したほか、2000年アテネ世界短水路選手権の200m平泳ぎと400m個人メドレーで銀メダル、1999年パンパシフィック水泳選手権の200m平泳ぎで銅メダル、2002年コモンウェルスゲームズの200m平泳ぎで銀メダル、2001年グッドウィルゲームズの200m平泳ぎで金メダル、1999年アフリカ競技大会で3個の金メダル(200m平泳ぎ・400m個人メドレー・4×200mフリーリレー)など、健聴者相手に主要国際大会で多くのメダルを獲得した。デフリンピックでは金メダル29個を含む33個のメダルを獲得しているが、これはデフリンピックにおける男子選手の個人最多金メダル獲得記録および最多メダル獲得記録としてギネス世界記録に認定されており[2][3]、女子選手を含めても最多獲得記録となっている[4][5]。なお、33個のメダルのうち1個の銅メダルは競泳ではなく自転車競技で獲得しており、世界ろう者自転車選手権で金メダルを獲得するなど自転車競技でも活躍した。地元で開催されるオープンウォータースイミングカヌートライアスロンの大会に出場するなど、様々なスポーツに取り組んでいる[6]

「サイレント・トルピード(静かな魚雷)」という異名を持つほか、オリンピック個人最多金メダル獲得記録および最多メダル獲得記録を保持しているマイケル・フェルプスになぞらえて「デフリンピックのマイケル・フェルプス」とも呼ばれる[6]

かつては平泳ぎや個人メドレーなどでアフリカ記録および南アフリカ記録(長水路・短水路)を保持していたこともあった[7][8]。世界ろう記録は現在も長水路で3個、短水路で6個保持しており、最も古いものでは2000年シドニーオリンピックにおいて樹立した、200m平泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの記録が未だに破られていない[9][10]

1997年コペンハーゲンデフリンピック

両親のネヴィルとベヴの初子としてジンバブエブラワヨに生まれた[11]。母が妊娠中に風疹に感染したため[12]、パーキンは生まれつき耳が聞こえない状態で生まれたが、両親はパーキンの耳が聞こえていないことに18カ月間気づかなかった[11]。ジンバブエは聴覚障害児に対する教育機会や支援制度がほとんどなかったことから、両親はパーキンに特別支援教育を受けさせるため、パーキンが3歳の時に南アフリカダーバンに移住した[11]。パーキンはローラという聴覚に問題のない妹とも一緒に育ったが、家族は手話が堪能ではなかったため、ほとんどは口頭とオリジナルの手話で意思の疎通を図っていた[13][11]

パーキンは12歳だった1992年にテレビでバルセロナオリンピックを見て水泳選手になることを決意したが[13][14]、当初は学校で水泳を習うだけにとどまっていた[13]。しかし同年12月に、ペネローペ・ヘインズなどバルセロナオリンピックの南アフリカ代表選手を輩出したシールズスイミングクラブ (Seals Swimming Club) に入り[15]、元南アフリカ競泳チャンピオンであるグラハム・ヒルの指導の下[11][16]、本格的に泳ぎ始めた。

耳が聞こえないパーキンは競泳のレース出場時、ストロボライトの光の点滅を合図にスタートするが[17]、かつてはコーチによる手信号でスタートしていた時もあった[13]。また、補聴器をつけて臨んでいた時もあったが、観客の騒音のせいで緊張してしまい、集中することができなかった[18]

デフリンピックデビュー(当時の名称は世界ろう者競技大会)となった今大会で5個の金メダルと2個の銀メダルを獲得した。5個の金メダルのうち、200m自由形、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、200m個人メドレーの4種目で世界ろう記録およびデフリンピック記録を樹立し[19][20][21][22]、400m個人メドレーでデフリンピック記録を樹立した[23]

1998年コモンウェルスゲームズ

コモンウェルスゲームズでは3種目で決勝に進出するもメダルを獲得することはできなかった。パーキンは200m平泳ぎで自身の南アフリカ記録を2秒以上、400m個人メドレーでは自身の南アフリカ記録を4秒半更新するもメダルには届かず[24]、最高成績は200m平泳ぎの4位(3位と0秒86差)だった[25][26]。パーキンは今大会の出場により、コモンウェルスゲームズに出場した数少ないデフアスリートの一人となった。ギャローデット大学(アメリカの聴覚障害者のための大学)によれば、過去コモンウェルスゲームズに出場したデフアスリートには、競泳選手のシンディ=ルー・ベイリー英語版、陸上競技選手のディーン・スミス英語版がいるという[27]

1999年香港世界短水路選手権

香港世界短水路選手権では200m平泳ぎ、400m個人メドレー、4×100mメドレーリレーで短水路アフリカ記録を樹立し[28]、200m平泳ぎで7位に入った[29]

1999年パンパシフィック水泳選手権

パンパシフィック水泳選手権では200m平泳ぎで銅メダルを獲得した。パーキンは決勝の150mを2位でターンすると、残り50mで順位を1つ落としたものの2分14秒12のアフリカ記録を樹立し、シモン・カウリー英語版(2分12秒98)、トム・ウィルケンズ英語版(2分13秒97)に続いて3位に入った[30]

1999年アフリカ競技大会

自国開催(ヨハネスブルグ)のアフリカ競技大会では、200m平泳ぎ、400m個人メドレー、4×200mフリーリレーで金メダルを獲得したほか、200m個人メドレーで銀メダル、200m自由形で銅メダルを獲得した[29]

1999-2000年競泳ワールドカップ

競泳ワールドカップ・第8戦シェフィールド大会では、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの4種目で優勝し、200m平泳ぎを除いた3種目で短水路アフリカ記録を樹立した[31][32]。勢い止まらず、第9戦ベルリン大会の200m平泳ぎでは2分08秒27をマークし、アンドレイ・コルネイエフ英語版が保持していた短水路世界記録に0秒48差と迫った[33]

2000年アテネ世界短水路選手権

アテネ世界短水路選手権では200m平泳ぎと400m個人メドレーで銀メダルを獲得した。

最初のメダルとなった400m個人メドレーはヤニ・シービネン英語版と優勝争いを繰り広げた。パーキンは前半の200mを3位でターンすると、得意の平泳ぎでシービネンに1秒74差をつけてトップに立ち、最後の自由形でも前半まではシービネンに0秒93差をつけていた。しかし、残り50mでシービネンに交わされ、パーキンは4分10秒56の短水路アフリカ記録を樹立するも1秒02及ばず、惜しくも銀メダルに終わった[34][35]

2個目のメダルとなった得意の200m平泳ぎはロマン・スロードノフ英語版との一騎打ちとなった。パーキンは50mを2位でターンするも100mでトップに立ち、2位に0秒48差をつけて150mをターンした。しかし、残り50mで逆転を許し、2分07秒59の短水路世界記録を樹立したスロードノフに0秒32及ばず、パーキンは2分07秒91の短水路アフリカ記録を樹立するも400m個人メドレーに続いて銀メダルに終わった[36][8][37]

2000年南アフリカオリンピック選考会

南アフリカオリンピック選考会では200m平泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの3種目をアフリカ記録で制し、初のオリンピック代表入りを果たした[38]

2000年シドニーオリンピック

シドニーオリンピックの4カ月前に足首を捻挫して松葉杖生活を送ったが、理学療法の効果もあってオリンピックの1カ月くらい前から体調も良くなり始めた[39]。オリンピック直前に出場したオーストラリアの大会では期待していたような結果を残せず、不安を抱えたままのオリンピックデビューとなったが、200m平泳ぎで銀メダル獲得、400m個人メドレーで5位入賞を果たした[40]

最初の決勝となった400m個人メドレーでは、トム・ドーラン英語版が4分11秒76の世界記録で優勝を飾る中、パーキンは4分16秒92のアフリカ記録を樹立するもメダルには1秒59届かず、初のオリンピック決勝は5位に終わった[41][42]

今大会2つ目の決勝となった200m平泳ぎでは、最初の50mを7位でターンするも、100mで4位、150mでメダル圏内の3位に浮上し、残り50mで更に順位を上げて2分12秒50のアフリカ記録を樹立[7]。世界歴代2位およびヨーロッパ記録の2分10秒87をマークしたドメニコ・フィオラバンティに1秒63及ばなかったものの[43]ダビデ・ルモロ英語版を0秒23抑えて2位に入った[44]。パーキンはフィニッシュ直後、スコアボードを確認した時に自分の名前の横に表示された2という番号を見て、自分が泳いだレーンが表示されているのだと一瞬思ったという[14]

このメダル獲得によりパーキンは、オリンピック競泳競技でメダルを獲得した南アフリカ初の男子選手となった[45]。また、オリンピックとデフリンピックの両方でメダルを獲得した数少ないデフアスリートの一人となった。国際ろう者スポーツ委員会公式サイトによれば、レスリング選手のイニャツィオ・ファブラ英語版、競泳選手のジェフ・フロートも過去に両大会でメダルを獲得している[46]

パーキンはメダルを獲得した後に以下の有名な言葉を残した[13][47]

私は南アフリカ代表としてオリンピックに出場しますが、私にとってこの大会に出場することは非常に重要です。聴覚障害者でも何でもできるということを示すためです。彼らは聞こえなくても、すべてを見ることができます。聴覚障害者にもチャンスがあるということを世界に示したいのです。
"I am going to the Olympics to represent South Africa, but it’s so vitally important for me to go, to show that the deaf can do anything. They can’t hear, they can see everything. I would like to show the world that there’s opportunities for the deaf."

2001年南アフリカ水泳選手権

南アフリカ水泳選手権では400m自由形、800m自由形、50m平泳ぎ、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの7種目で優勝し、自身のコーチであるグラハム・ヒルが1985年に達成した7冠(200自由形・400m自由形・1500m自由形・100m背泳ぎ・200m背泳ぎ・200m個人メドレー・400m個人メドレー)の記録に並んだ[48]。なお、今大会の50m平泳ぎ準決勝において、パーキンのスタートの合図となるストロボライトが故障し、パーキンだけがスタート台に取り残される事態が発生した。その後パーキン陣営の抗議が通り、単独でのタイムトライアルが行われた結果、最速タイムを叩き出して無事決勝に進出した[49]

2001年ローマデフリンピック

ローマデフリンピックでは5個の金メダルを獲得した。5個の金メダルのうち、200m自由形で世界ろう記録およびデフリンピック記録を樹立し[19]、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、400m個人メドレーの3種目でデフリンピック記録を樹立した[50][51][23]

2001年グッドウィルゲームズ

グッドウィルゲームズの200m平泳ぎでは、オーストラリアジム・パイパー英語版リーガン・ハリソンを抑えて金メダルを獲得した[52][53]

2002年コモンウェルスゲームズ

コモンウェルスゲームズでは4種目で決勝に進出し、200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。パーキンは200m平泳ぎ決勝の150mを4位(1位と1秒55差)でターンすると、残り50mで怒涛の追い上げを見せ、1位で泳ぐジム・パイパー英語版に0秒24差まで迫った。 2分13秒34の2位で惜しくも金メダルは逃したが、自身初のコモンウェルスゲームズメダルを獲得した[54]

2004年アテネオリンピック

アテネオリンピックで2大会連続のオリンピック出場を果たしたが、100m平泳ぎと4×100mメドレーリレーは予選敗退、前回大会でメダルを獲得した200m平泳ぎは準決勝敗退に終わった[29]

2005年メルボルンデフリンピック

メルボルンデフリンピックでは、デフリンピック記録となる12個の金メダルと1個の銀メダルを獲得した[55]。12個の金メダルのうち、200m自由形、1500m自由形、50m平泳ぎ、200mバタフライ、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーの6種目で世界ろう記録およびデフリンピック記録を樹立し[19][56][57][58][59][60]、100m自由形、400m自由形、100m平泳ぎの3種目でデフリンピック記録を樹立した[61][62][50]

2006年サンフランシスコ世界ろう者自転車選手権

水中トレーニングの他に自転車トレーニングを取り入れるなど、自転車で走るのが好きだったパーキンは過去の世界ろう者自転車選手権の結果を調べ、自分も自転車競技に参加できると感じて出場を決意。サンフランシスコ世界ろう者自転車選手権の4カ月前から本格的にトレーニングを開始すると、迎えた本番では個人ロードレースの120kmで金メダル、マウンテンバイククロスカントリー・ショートトラックで銀メダルを獲得した[63][39][64][65]

2009年台北デフリンピック

3年間競技として泳いでいなかったが、スポーツ協会からまた出場してほしいと依頼されたため、台北デフリンピックの出場を決意[64]。大会の4カ月前から本格的なトレーニングを開始すると、迎えた本番では競泳競技で7個の金メダル、自転車競技で1個の銅メダルを獲得した。競泳で獲得した7個の金メダルのうち、200m自由形、1500m自由形の2種目で世界ろう記録およびデフリンピック記録を樹立し(800m自由形でも世界ろう記録を樹立)[19][56][66]、100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、200m個人メドレー、400m個人メドレーの4種目でデフリンピック記録を樹立した[50][51][67][23]。自転車競技では、16カ国から43人の選手が参加した93.12km個人ロードレースで銅メダルを獲得した[68]

2012年ロンドンオリンピック出場を目指して競技に復帰

競泳界から遠ざかり、トライアスロンサイクリングランニングに取り組んでいたパーキンだったが、再び競泳に挑戦することを決意[69]ロンドンオリンピック出場を目指して2011年半ばから本格的にトレーニングを開始すると[69]、1月の南アフリカ国際招待水泳の200m平泳ぎで4位(2分18秒62)に入り、復活を果たした[70]。迎えた4月の南アフリカオリンピック選考会では、100m平泳ぎで5位(1分03秒17)[71]、200m平泳ぎでは2位(2分15秒63)に入ったが、ロンドンオリンピックの参加標準記録(1分00秒79と2分11秒74)を破れず、32歳で3度目のオリンピック出場は叶わなかった[72]

2013年ソフィアデフリンピック

ソフィアデフリンピックでは自転車競技のロードレースとマウンテンバイクに出場したが、最高成績はロードレース個人タイムトライアルの9位だった[73]。競泳では4×100mフリーリレーと4×100mメドレーリレーにエントリーしていたが出場せずに終わった[74][75][76]

2019年サンパウロ世界ろう者水泳選手権

39歳にして世界ろう者水泳選手権デビューを果たした[77]。パーキンは出場した7種目のうち4種目(100m平泳ぎ・200m平泳ぎ・400m個人メドレー・4×100mメドレーリレー)で決勝を泳いだが、メダルを獲得することは出来なかった[78][79][80][81][82]。最高成績は100m平泳ぎの4位で、メダルまで0秒31差だった[79]

2025年東京デフリンピック

東京デフリンピックの競泳南アフリカ代表に選出され[83]、45歳でデフリンピックに復帰した。大会では4種目に出場し、唯一決勝に進出した200m平泳ぎでは6位に入った[84][85][86][87]

競泳・自転車競技以外のスポーツ

南アフリカミッドマーダム英語版で毎年2月に開催される、世界最大のオープンウォータースイミングと呼ばれるミッドマー・マイル英語版に何度も出場している。メイン部門で2度(2000年・2002年)優勝しているほか、U14部門や聴覚障害者部門でも優勝している[88][89]。また、様々な慈善団体への寄付金を集めることを目的に2004年に設立された「8マイルクラブ」のメンバーであるパーキンは、通常の1マイルではなく8マイルや16マイルを泳ぐチャリティチャレンジに何度も挑んでいる[90][91][92][93]。パーキンはミッドマー・マイルのことを「私の人生の大きな一部」と語っている[94]

アフリカ大陸最大のカヌーイベントとして知られるドゥシ・カヌー・マラソン英語版に何度も出場し、2025年時点で9回完走している[95][96]

シャルレーヌ公妃財団のアンバサダー

2017年10月、モナコ・シャルレーヌ公妃財団のアンバサダーに就任した[97]。この財団は子どもたちの溺死事故の防止などを目的に、モナコ公妃で元南アフリカ代表競泳選手のシャルレーヌ公妃(旧名シャーリーン・ウィットストック)が2012年に創設した[98]。シャルレーヌ王妃とは選手時代、同じコーチ(グラハム・ヒル)に師事していた元トレーニングパートナーで[99]、2011年7月に行われたアルベール2世との結婚式にも招待された[100]

アンバサダーに就任したパーキンは、世界中で水の安全、溺死の防止、子供たちの水泳指導などの問題について講演を行っているほか[101]、財団の資金集めを目的とした大規模チャリティチャレンジを行っている。2018年2月にはヨハネスブルグからダーバンまでの902kmを自転車、水泳、ランニング、カヌーで走り切った[102]。2019年2月には距離を1120kmに伸ばして再び挑戦すると、終盤に足首を捻挫するというアクシデントに見舞われながらも、最後の18kmを松葉杖をつきながら歩いてチャレンジを成功させた[103]

人物・エピソード

  • かつてのトレードマークは剃り上げた頭と顎の右側にある傷跡で、傷跡は8歳の時にジープの後ろから落下し、車輪の下敷きになってできたもの。パーキンはこの事故で顎を骨折し、肉がかなり引き裂かれ、顎の上に麻痺が残った[11][12]
  • 2011年1月、ヨハネスブルグのプールの通気口に腕を挟まれていた7歳の少年を溺死から救った。パーキンは3分近く水中にいた少年を引き上げ、救急隊員が現場に駆け付ける前に心肺蘇生法の処置を行った[104]
  • 2019年頃に南アフリカで唯一の聴覚障害者向けCPRコーチとなった[105]
  • 2019年11月、フリーステイト州を車で走っている時に交通トラブルに遭い、相手の運転手から暴行を受けた[106]
  • オリンピックのヒーローは1972年ミュンヘンオリンピックで7個の金メダルを獲得した競泳選手のマーク・スピッツ[107]

家族

妻のイングリッドは南アフリカ初のろう者校長。パーキンのように生まれつき耳が聞こえていなかったのではなく、7歳の時に交通事故に遭い、2週間の昏睡状態を経て耳が聞こえなくなった[108]。イングリッドとの間にはレイヤ、シェイラという2人の娘が生まれたが、聴覚に問題はない[109]

表彰・受賞

  • 年間最優秀男子デフアスリート(1997年、2000年、2001年、2009年)[110][111][112][113]
  • CISSスポーツマン・オブ・ザ・センチュリー(2000年)[6]
  • 南アフリカ殿堂(2024年)[114]

成績

主要国際大会(競泳競技)

大会場所種目結果記録泳順備考脚注
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国代表
1997世界短水路選手権ヨーテボリ100m平泳ぎ予選34位1分04秒21[29]
200m平泳ぎ予選17位2分14秒76
200m個人メドレー予選27位2分04秒90
400m個人メドレー予選20位4分25秒68
4x100mメドレーリレー予選12位3分44秒082泳
デフリンピックコペンハーゲン50m自由形4位24秒93[74]
100m自由形4位54秒00
200m自由形金メダル1分56秒06世界ろう記録[19]
100m背泳ぎ銀メダル1分01秒96
200m背泳ぎ銀メダル2分13秒93
100m平泳ぎ金メダル1分05秒51世界ろう記録[20]
200m平泳ぎ金メダル2分21秒55世界ろう記録[21]
200m個人メドレー金メダル2分09秒61世界ろう記録[22]
400m個人メドレー金メダル4分35秒86デフリンピック記録[23]
1998コモンウェルスゲームズクアラルンプール100m平泳ぎB決勝4位1分04秒36[115]
200m平泳ぎ4位2分15秒30南アフリカ記録[24][26]
200m個人メドレー7位2分05秒67
400m個人メドレー5位4分24秒58南アフリカ記録[24]
1999世界短水路選手権香港100m平泳ぎ予選32位1分02秒96[29]
200m平泳ぎ7位2分09秒69アフリカ記録[28]
200m個人メドレー予選27位2分04秒70
400m個人メドレー予選9位4分16秒34アフリカ記録[28]
4x100mメドレーリレー予選12位3分40秒004泳アフリカ記録[28]
パンパシフィック水泳選手権シドニー100m平泳ぎ準決勝10位1分03秒52[29]
200m平泳ぎ銅メダル2分14秒12アフリカ記録[30]
200m個人メドレー6位2分03秒52
400m個人メドレー5位4分16秒34
4x100mメドレーリレー4位3分45秒392泳
アフリカ競技大会ヨハネスブルグ200m自由形銅メダル1分56秒78[29]
200m平泳ぎ金メダル2分16秒29
200m個人メドレー銀メダル2分07秒97
400m個人メドレー金メダル4分35秒29
4x200mフリーリレー金メダル7分41秒914泳
2000世界短水路選手権アテネ100m平泳ぎ準決勝14位1分01秒12南アフリカ記録[116][29]
200m平泳ぎ銀メダル2分07秒91アフリカ記録[8]
400m個人メドレー銀メダル4分10秒56アフリカ記録[34]
オリンピックシドニー100m平泳ぎ予選28位1分03秒11[29]
200m平泳ぎ銀メダル2分12秒50アフリカ記録[7]
200m個人メドレー予選16位2分03秒33
400m個人メドレー5位4分16秒92アフリカ記録[7]
4x100mフリーリレー予選11位3分21秒284泳アフリカ記録[7]
2001デフリンピックローマ100m自由形金メダル52秒91[74]
200m自由形金メダル1分54秒21世界ろう記録[19]
100m平泳ぎ金メダル1分05秒13デフリンピック記録[50]
200m平泳ぎ金メダル2分20秒65デフリンピック記録[51]
400m個人メドレー金メダル4分29秒99デフリンピック記録[23]
4x100mフリーリレー4位3分51秒884泳
グッドウィルゲームズブリスベン200m平泳ぎ金メダル2分13秒21[52]
2002世界短水路選手権モスクワ100m平泳ぎ予選25位1分01秒50[29]
200m平泳ぎ予選10位2分10秒97
200m個人メドレー予選44位2分05秒95
400m個人メドレー5位4分10秒36
コモンウェルスゲームズマンチェスター100m平泳ぎ8位1分02秒74[29]
200m平泳ぎ銀メダル2分13秒34
200m個人メドレー7位2分03秒63
400m個人メドレー6位4分21秒05
2003世界水泳選手権バルセロナ200m平泳ぎ準決勝15位2分14秒96[29]
200m個人メドレー予選36位2分05秒66
400m個人メドレー予選20位4分22秒34
2004オリンピックアテネ100m平泳ぎ予選24位1分03秒05[29]
200m平泳ぎ準決勝12位2分13秒58
4x100mメドレーリレー予選13位3分43秒942泳
2005デフリンピックメルボルン100m自由形金メダル52秒47デフリンピック記録[61][74]
200m自由形金メダル1分53秒70世界ろう記録[19]
400m自由形金メダル4分07秒46デフリンピック記録[62]
1500m自由形金メダル16分20秒60世界ろう記録[56]
50m平泳ぎ金メダル29秒36世界ろう記録[57]
100m平泳ぎ金メダル1分04秒87デフリンピック記録[50]
200m平泳ぎ金メダル2分27秒37
200mバタフライ金メダル2分05秒23世界ろう記録[58]
200m個人メドレー金メダル2分11秒46
400m個人メドレー金メダル4分40秒62
4x100mフリーリレー銀メダル3分40秒954泳
4x200mフリーリレー金メダル8分03秒034泳世界ろう記録[59]
4x100mメドレーリレー金メダル4分04秒854泳世界ろう記録[60]
2006世界短水路選手権上海50m平泳ぎ予選36位28秒88[29]
100m平泳ぎ予選36位1分02秒02
200m平泳ぎ予選21位2分13秒36
400m個人メドレー予選14位4分21秒74
2009デフリンピック台北200m自由形金メダル1分53秒12世界ろう記録[19][74]
1500m自由形金メダル16分08秒56世界ろう記録[56]
50m平泳ぎ金メダル29秒58
100m平泳ぎ金メダル1分03秒51デフリンピック記録[50]
200m平泳ぎ金メダル2分16秒32デフリンピック記録[51]
200m個人メドレー金メダル2分06秒24デフリンピック記録[67]
400m個人メドレー金メダル4分29秒56デフリンピック記録[23]
2019世界ろう者水泳選手権サンパウロ100m平泳ぎ4位1分06秒35[79]
50m平泳ぎ予選24位37秒67[82]
200m平泳ぎ5位2分23秒06[80]
200m個人メドレー予選17位2分38秒44[81]
400m個人メドレー5位4分45秒79[78]
4x100mフリーリレー予選7位3分51秒892泳予選のみ出場[注釈 1][82]
4x100mメドレーリレー6位4分19秒753泳[79]
2025デフリンピック東京50m平泳ぎ予選16位31秒31[84]
100m平泳ぎ予選12位1分10秒35[85]
200m平泳ぎ6位2分27秒57[86]
4x100mメドレーリレー予選9位4分27秒472泳[87]

主要国際大会(自転車競技)

大会場所種目結果備考・脚注
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国代表
2006世界ろう者自転車選手権サンフランシスコロード1000mスプリント準々決勝敗退予選3位[117]
個人タイムトライアル7位[74]
個人ロードレース金メダル
ポイントレース10位[118]
マウンテンバイクXCC銀メダル[74]
2009デフリンピック台北ロード個人ロードレース銅メダル[74]
2013デフリンピックソフィアロードレース1000mスプリント33位[119]
個人ロードレース19位[120]
個人タイムトライアル9位[121]
マウンテンバイクXCO14位[122]

記録

脚注

外部リンク

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