ディオタッレーヴィの聖母

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製作年1502年頃
種類油彩、板(ポプラ材[1][2][3]
寸法72.8 cm × 52.2 cm (28.7 in × 20.6 in)
『ディオタッレーヴィの聖母』
イタリア語: La Madonna Diotallevi
英語: The Diotallevi Madonna
作者ラファエロ・サンツィオ
製作年1502年頃
種類油彩、板(ポプラ材[1][2][3]
寸法72.8 cm × 52.2 cm (28.7 in × 20.6 in)
所蔵絵画館ベルリン

ディオタッレーヴィの聖母[4](ディオタッレーヴィのせいぼ、: La Madonna Diotallevi, : Die Madonna Diotallevi, : The Diotallevi Madonna)として知られる『幼い洗礼者ヨハネを祝福する聖母子』(おさないせんれいしゃヨハネをしゅくふくするせいぼし、: La Madonna col Bambino benedice il piccolo Giovanni Battista, : Die Maria mit dem Kind, das den Johannesknaben segnet, : The Madonna and Child Blessing the Infant John the Baptist)は、盛期ルネサンスイタリアの巨匠ラファエロ・サンツィオが1502年頃に制作した絵画である。油彩聖母子と幼い洗礼者ヨハネを描いた初期の作品で、おそらくベルリンにあるラファエロの絵画の中で最も初期に制作された[1]ロマーニャ地方にある都市リミニの美術収集家アウディファチェ・ディオタッレーヴィ侯爵(Marchese Audiface Diotallevi)のコレクションを経て、現在はベルリンの絵画館に所蔵されている[1][2][3][4][5][6][7]

ラファエロ・サンツィオの『アンシデイの祭壇画』。1505年から1507年。ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵。

『ディオタッレーヴィの聖母』は若いラファエロの未成熟さを示しながらも将来の大成を予感させる作品である[1][7][8][9]聖母マリアは膝の上に座った幼児のイエス・キリストと右側から近づく幼い洗礼者ヨハネの肩に両手を回して抱き寄せている。洗礼者ヨハネは両手を交差するように胸に当て、謙遜と幼児キリストを救い主として受け入れることをその身振りで表している。対して幼児キリストは洗礼者ヨハネを祝福しており、聖母マリアは目の前の出来事を静かに見守っている。聖母マリアは正面を向いた半身像として表され、傾けた頭部は不自然に小さく、ゴシック的な雰囲気をまとっている[6]。背景には北方ルネサンスを彷彿とさせる風景が描かれている[6]

構図的にはロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されているラファエロの『アンシデイの祭壇画』(La Pala Ansidei, 1505年)の聖母子を左右反転させた図像と類似している[1]。しかしそれ以前に描かれた本作品は、依然として師匠であるピエトロ・ペルジーノや先輩にあたる画家ピントゥリッキオの影響を強く受けている[1][5]。祝福する幼児キリストはペルジーノの『慰めの聖母』(La Madonna della Consolazione, 1496年から1498年の間)や『テツィの祭壇画』(La Pala Tezi, 1500年頃)から引用したものである。これに対して幼い洗礼者ヨハネはピントゥリッキオの影響を示している。また幼い洗礼者ヨハネをともなう全体的な構図は、同じくピントゥリッキオのフィッツウィリアム美術館所蔵の『聖母子と洗礼者ヨハネ』(La Vergine col Bambino e San Giovanni Battista, 1490年から1495年の間)と密接に関連している[1][5]。この洗礼者ヨハネと幼児キリストは聖母マリアと比べてよりラファエロらしい甘美さを備えている。美術史家ロベルト・ロンギ英語版は聖母マリアが2人の子供たちよりも古風であることに注目し、絵画が段階的に制作されたと考えた。ロベルト・ロンギによるとラファエロは1502年頃に絵画の制作を開始したが、聖母マリアを描いたのちに一度放棄し、その後、1504年から1505年頃にフィレンツェで描き上げたと主張した[1][10]。制作年代については、美術館はフィレンツェ時代以前の1502年頃としながら、1500年から1501年頃というさらに早い年代を示唆している[1]

以前はペルジーノの作品と考えられていた。またバーナード・ベレンソンはペルジーノの弟子エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ英語版に帰属し[5]アドルフォ・ヴェントゥーリ英語版にいたっては本作品とペルジーノの『慰めの聖母』の一部を名前が伝わっていない無名の画家「ディオタッレーヴィの聖母の師匠」に帰属した。現在では一般的にラファエロの作品と見なされている[11]

来歴

絵画の制作経緯や初期の来歴は不明である。19世紀にはリミニの美術収集家アウディファチェ・ディオタッレーヴィ侯爵のコレクションに含まれていたことが知られている。1842年、グスタフ・フリードリヒ・ワーゲン英語版は館長を務めていたベルリン国立美術館のために侯爵から絵画を購入した。こうして『ディオタッレーヴィの聖母』は『ソリーの聖母』(La Madonna Solly)、『フォン・デア・ロップの聖母』(Von der Ropp Madonna)、『テッラヌオーヴァの聖母』(La Madonna Terranuova)、『コロンナの聖母』(La Colonna Madonna)とともに、絵画館が所蔵する5点のラファエロによる聖母画の1つとなった[5]。絵画は第二次世界大戦が勃発するとベルリンの高射砲塔に移されたのち、1945年に保管のためメルカース岩塩坑英語版に運び込まれた。しかしアメリカ合衆国軍によって発見され、ヴィースバーデン美術館英語版に設けられたヴィースバーデン中央収集所ドイツ語版で一時的に保管された[3]アメリカ合衆国は1949年に管財権をヘッセン州に引き渡し、1956年以降に絵画館の芸術作品はヴィースバーデンからベルリンに返還された[3]

特別展

2020年10月17日から2021年1月10日にかけて、ラファエロの没後500年を記念した特別展「リミニのラファエロ。ディオタッレーヴィの聖母の帰還」(Raffaello a Rimini. Il ritorno della Madonna Diotallevi)が第22回古代世界フェスティバルイタリア語版の一環としてリミニ市立博物館英語版で催された。この展覧会により絵画は約180年ぶりにリミニの地に帰還し、かつてディオタッレーヴィ侯爵が所有していたリミニ派の画家ジョヴァンニ・ダ・リミニイタリア語版の『十字架上のキリスト』(Il crocifisso)や、『ノーフォークの多翼祭壇画』(Polittico di Norfolk)の通称で知られるジュリアーノ・ダ・リミニイタリア語版の『聖母戴冠』(L'incoronazione della Vergine)とともに展示された[7][8][9]

ギャラリー

関連作品
絵画館所蔵の他のラファエロ作品

脚注

参考文献

外部リンク

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