デスティニー〜今夜はブギー・ナイト

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リリース
録音 カリフォルニア州ロサンゼルス チェロキー・レコーディング・スタジオ、トータル・エクスペリエンス、ハイダーズ/フィルムウェイズ、レコード・プラント、ドーンブレイカーズ
時間
『デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』
ジャクソンズスタジオ・アルバム
リリース
録音 カリフォルニア州ロサンゼルス チェロキー・レコーディング・スタジオ、トータル・エクスペリエンス、ハイダーズ/フィルムウェイズ、レコード・プラント、ドーンブレイカーズ
ジャンル ソウルファンクディスコ
時間
レーベル エピック・レコード
プロデュース ジャクソンズ
ボビー・コロンビー、マイク・アトキンソン(エグゼクティヴ・プロデューサー)
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 7位(オランダ[1]
  • 11位(アメリカ[2]
  • 33位(イギリス[3]
  • 37位(ニュージーランド[4]
ジャクソンズ アルバム 年表
ゴーイン・プレイシズ〜青春のハイウェイ
(1977年)
デスティニー〜今夜はブギー・ナイト
(1978年)
ブギー(ジャクソン5名義)
(1979年)
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デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』(デスティニー〜こんやはブギー・ナイト、原題:Destiny)は、アメリカ合衆国の兄弟ボーカル・グループ、ジャクソンズ1978年に発表したスタジオ・アルバム。「ジャクソン5」から「ジャクソンズ」へ改名してからは3作目に当たり、グループ初のセルフ・プロデュース作品となった[5][6]

前作『ゴーイン・プレイシズ〜青春のハイウェイ』(1977年)がセールス的に成功しなかったことから、エピック・レコード及び親会社のCBSレコードはジャクソンズとの契約を解除しようとするが、当時エピックのA&Rだったボビー・コロンビー英語版の提案により、セルフ・プロデュース作品でグループに最後のチャンスを与えることになった[5]。「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜のブギー・ナイト)」はコロンビーの案によってレコーディングされた曲で[5]、他の曲はいずれもメンバー自身が作詞・作曲し、うち3曲はランディマイケルの2人が共作。

コロンビーの推薦によりグレッグ・フィリンゲインズが本作のリズム・アレンジを担当し、フィリンゲインズは以後、ジャクソンズに加えてマイケルのソロ・アルバムでも仕事を続けていく[7]。ギター・パートに関しては、メンバーのティトに加えてスタジオ・ミュージシャンによる演奏も含まれているが、「シェイク・ユア・ボディ」のみティトが単独でギターを弾き、また「プッシュ・ミー・アウェイ」のギター・ソロもティトによる[8]

反響・評価

Billboard 200では11位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは3位を記録した[2]。本作からのリード・シングル「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」全米54位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートでは3位を記録[2]。続いてシングル・カットされた「シェイク・ユア・ボディ」は、1979年に全米7位、R&Bシングル・チャートで3位を記録して、ジャクソンズ名義での再デビュー曲「僕はゴキゲン」以来の全米トップ10ヒットとなった[2]

本作はオランダでも成功を収め、同国のアルバム・チャートで7位に達したのに加えて、シングル・チャートでも「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」が6位、「シェイク・ユア・ボディ」が3位を記録した[1]。イギリスでは、本作は全英アルバムチャートで33位に終わるが[3]全英シングルチャートでは「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」が8位、「デスティニー」が39位、「シェイク・ユア・ボディ」が4位に達し、2曲が全英トップ10入りを果たした[9]

アンディ・ケルマンはオールミュージックにおいて本作に5点満点中4点を付け「単にマイケルの『オフ・ザ・ウォール』のお膳立てをしたというだけではない」と評している[6]

収録曲

参加ミュージシャン

脚注・出典

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