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デニス・エカーズリー

アメリカの野球選手 (1954 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

デニス・リー・エカーズリーDennis Lee Eckersley, 1954年10月3日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。ニックネームは「Eck」。

生年月日 (1954-10-03) 1954年10月3日(71歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
デニス・エカーズリー
Dennis Eckersley
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1954-10-03) 1954年10月3日(71歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト3巡目(全体50位)でクリーブランド・インディアンスから指名
初出場 1975年4月12日
最終出場 1998年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2004年
得票率 83.20%
選出方法 BBWAA[:en]選出
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現役時代は、1987年から1995年にかけてオークランド・アスレチックスの絶対的なクローザーとして活躍。最多セーブ投手に2回輝き、通算390セーブを記録した。2004年アメリカ野球殿堂入りを果たした[1]

経歴

インディアンス時代(1972年 - 1977年)

1972年MLBドラフトクリーブランド・インディアンスから3巡目(全体50位)に指名を受け入団。

1974年はAA級で14勝3敗、防御率3.40を記録。

1975年4月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。デビューから10試合で1勝2セーブ、防御率0.00を記録し、メジャー初先発となった5月25日のオークランド・アスレチックス戦で完封勝利。以降先発ローテーション入りし、新人ながら13勝7敗、防御率2.60を記録するが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では得票なしだった。

1976年は初の開幕投手を務めるが、前半戦は4勝8敗、防御率4.95と不調。8月13日のテキサス・レンジャーズ戦では敗戦投手となるもののキャリアハイの14奪三振を記録するなど後半戦で防御率2.41と調子を上げ、13勝12敗、防御率3.43、キャリアハイの200奪三振を記録した。

1977年

1977年は5月30日のカリフォルニア・エンゼルス戦でノーヒットノーランを達成。オールスターゲームに選出されるなど14勝を記録した。

レッドソックス時代(1978年 - 1984年)

1978年開幕直前の3月30日に4選手との交換トレードで、フレッド・ケンドールと共にボストン・レッドソックスに移籍。

4月は0勝だったが5月に5勝を記録するなど前半戦で10勝を記録。後半戦で防御率2.62、11完投と調子を上げ、リーグワーストの30被本塁打ながら20勝8敗、防御率2.99、16完投を記録。チームは一時ニューヨーク・ヤンキースに最大14ゲーム差を付けるが9月に逆転され、シーズン最終戦に同率で並ぶものの、ワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入る。

1979年は7月11日から7連続完投を含む8連勝。直後から5連敗を喫するが、17勝10敗、防御率2.99、17完投の好成績。

1980年は開幕から不調で5連敗を喫し、5月に離脱するなど12勝14敗に留まる。

1981年50日間に及ぶストライキの影響で9勝。

1982年は5年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、13勝。

1983年は5年連続で開幕投手を務めるが不安定な投球が続き、9勝13敗、防御率5.61と不振に陥る。

カブス時代(1984年 - 1986年)

1984年5月25日にビル・バックナーとの交換トレードで、1選手と共にシカゴ・カブスに移籍。

移籍後も当初は不安定だったが徐々に復調。10勝、防御率3.03を記録し、チームの地区優勝に貢献。サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2連勝で王手をかけた後の第3戦に先発したが、6回途中を5失点で敗戦投手。チームはその試合から3連敗で39年ぶりのリーグ優勝を逃した。オフにFAとなるが再契約。

1985年は好調だったが途中故障で離脱するなど11勝。

1986年は6勝11敗、防御率4.57と不本意な成績に終わる。後にこの時期アルコール使用障害によって苦しんでいたことを告白した。

アスレチックス時代(1987年 - 1995年)

1987年開幕直前の4月3日にマイナー3選手との交換トレードで、1選手と共に故郷のアスレチックスに移籍。

移籍後は監督のトニー・ラルーサの方針によってリリーフに転向し、ジェイ・ハウエルの故障に伴いクローザーに昇格する。同年は6勝8敗16セーブを記録し復活。

1988年は開幕から12連続セーブを記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。4勝2敗45セーブ、防御率2.35の成績で最多セーブのタイトルを獲得し、チームの地区優勝の原動力となる。古巣レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全4試合に登板して4セーブを記録し、シリーズMVPを獲得し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦で1点リードの9回裏に満を持して登板。簡単に二死を取ったものの次打者に四球で出塁を許し、代打カーク・ギブソンに逆転サヨナラ2点本塁打を浴び、痛恨のセーブ失敗。圧倒的有利と予想されたチームはドジャースの勢いに飲まれ、1勝4敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票ではフランク・バイオーラに次ぐ2位、MVPの投票では5位に入った。

1989年は故障で1カ月半離脱するが、4勝0敗33セーブ、防御率1.56を記録。57.2イニングでわずか3四球と抜群の制球力を発揮し、チームは地区連覇。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3セーブを記録し、リーグ連覇を果たす。「ベイエリア・シリーズ」となったサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズではロマ・プリータ地震によって10日間中断するが、第4戦でセーブを記録し4連勝で自身初のワールドチャンピオンに輝いた。

1990年はシーズンを通じて防御率が1点を越えることが1度もなく、4勝2敗48セーブ、防御率0.61、セーブ失敗はわずか2で73.1イニングで4四球と抜群の安定感を見せ、チームは地区3連覇を果たす。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2セーブを記録し、チームは4連勝でリーグ3連覇。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第2戦で同点の9回から登板し、10回裏にサヨナラ安打を浴びて敗戦投手。チームは4連敗で敗退した。

1991年はやや安定感を欠きながらも43セーブを記録したが、チームは地区4位に終わる。

1992年は開幕から36連続セーブ成功と復活し、7勝1敗51セーブ、防御率1.91、80イニングで93奪三振の好成績で2度目の最多セーブを獲得し、チームの2年ぶり地区優勝に貢献。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦ではセーブを記録するが、第4戦で8回途中からリードを守るべく登板したが打ち込まれ、9回にロベルト・アロマーに2点本塁打を浴びて同点に追い付かれてセーブに失敗し、延長の末敗れる。チームは2勝4敗で敗退した。オフにサイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞。クローザーが2つの賞を同時に獲得したのはローリー・フィンガーズウィリー・ヘルナンデスに次いで3人目だった。

1993年は36セーブを記録したものの防御率4.16、セーブ失敗が10と今ひとつ。

1994年は開幕から3回連続でセーブに失敗するなど不振で、232日間に及ぶ長期ストライキでシーズンが打ち切られたこともあり19セーブに留まった。

40歳となった1995年は29セーブを記録するが防御率4.83、セーブ失敗9と衰えが見え始める。

カージナルス時代(1996年 - 1997年)

1996年2月13日に1対1の交換トレードで、恩師ラルーサが監督に就任したセントルイス・カージナルスに移籍。

同年は30セーブ、防御率3.30を記録し、チームは地区優勝。パドレスとのディビジョンシリーズでは全3試合に登板し3セーブ。アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝1セーブを記録するが、チームは王手をかけてから3連敗を喫し3勝4敗で敗退。1997年は42歳ながら36セーブを記録。オフにフリーエージェントとなり、

レッドソックス復帰・引退まで(1998年)

1998年

1997年12月9日にレッドソックスと契約。

1998年はセットアッパーとして起用されたが、一時防御率が10点を越えるなど不調。故障もあって6月から約2ヶ月戦線離脱し、実に24年ぶりとなるマイナーリーグでの登板も経験。9月26日のボルチモア・オリオールズ戦で通算1071試合目の登板を果たし、ホイト・ウィルヘルムのMLB記録(当時)を更新。これが現役最後の登板となった。同年限りで現役引退。通算390セーブは2017年シーズン終了現在で歴代7位である。

引退後

エカーズリーのアスレチックス在籍時の背番号「43」。
オークランド・アスレチックスの永久欠番2005年指定。

引退後は解説者として活動し、2002年からレッドソックスの解説者となり、2022年10月に退任するまで20年間つとめた[2]

2004年に資格取得1年目で野球殿堂入りを果たし、殿堂のプレートはもっとも活躍したアスレチックスの帽子を選んだ。翌2005年8月13日に古巣・アスレチックスはエカーズリー在籍時の背番号43』を永久欠番に指定した。

2017年より古巣・アスレチックスのオーナー特別補佐に就任している。

選手としての特徴

躍動感溢れるフォームが特徴のサイドスローで、直球シンカー、バッキングスライダーなどを持ち球としていた[3][4]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1975 CLE 34246201372--.650794186.21471690871524261542.601.27
1976 363093113121--.520821199.11551378252006182763.431.17
1977 3333123314130--.5191006247.1214315411719130100973.531.08
1978 BOS 353516332080--.7141121268.12583071871623099892.991.23
1979 3333172317100--.6301018246.22342959461501189822.991.19
1980 303080112140--.462818197.218825447212100101944.281.17
1981 2323822980--.529649154.016093523790082734.271.27
1982 3333113313130--.500926224.122831433212710101933.731.21
1983 28282029130--.409787176.122327394677101191105.611.49
1984 99200440--.50027064.271101321332038365.011.30
CHC 24242001080--.556662160.1152113674811259543.031.17
'84計 333340014120--.538932225.02232149951143297903.601.21
1985 25256221170--.611664169.11451519431170361583.080.97
1986 33321016110--.353862201.0226214333137251091024.571.34
1987 OAK 5420006816--.429460115.2991117331131041393.031.00
1988 6000004245--.66727972.25251121700220192.350.87
1989 5100004033--1.00020657.2325301550010101.560.61
1990 6300004248--.66726273.14124107300950.610.61
1991 6700005443--.55629976.06011931871026252.960.91
1992 6900007151--.87530980.06251161930017171.910.91
1993 6400002436--.33327667.06771342800032314.161.19
1994 4500005419--.55619344.14951321470026214.261.40
1995 5200004629--.40021250.15351101400029274.831.27
1996 STL 6300000630--.00025160.0658624490026223.301.18
1997 5700001536--.16721853.0499802452024233.911.08
1998 BOS 500000411--.80017139.2466832220021214.761.36
MLB:24年 10713611002021197171390--.535135343285.23076347738917524012816138212783.501.16
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年度別守備成績

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投手(P)












1975 CLE 3471210.950
1976 3692011.967
1977 3362221.933
1978 BOS 351929011.000
1979 33124263.900
1980 30102430.919
1981 23121911.969
1982 33212112.977
1983 28191810.974
1984 9111112.957
CHC 24162741.915
'84計 33273853.929
1985 25102631.923
1986 33162833.936
1987 OAK 5441310.944
1988 6073001.000
1989 5144011.000
1990 6331001.000
1991 6769001.000
1992 69310011.000
1993 6405001.000
1994 4521001.000
1995 523512.889
1996 STL 633610.900
1997 5735001.000
1998 BOS 502410.857
MLB 10712083653120.949
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