デュランダル
フランスの叙事詩『ローランの歌』に登場する架空の剣
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デュランダル[3][4][5](古フランス語: Durendal, Durandal[6][注 1])は、フランスの叙事詩『ロランの歌』に登場する英雄・ロランが持つ聖剣。イタリア語読みでドゥリンダナ(Durindana)とも読まれ、デュランダーナとも呼ばれる。

フランス語で「強き/長久の刀剣」の意という解釈もみられるが、ケルト語解釈、アラビア語解釈等、学界には諸説ある ( § 語源参照)。
『ロランの歌』作中では「切れ味の鋭さデュランダルに如くもの無し」[8]とローラン/ロランが誇るほどの切れ味を見せる[8]。そしてロンスヴァルの谷で敵に襲われ瀕死の状態となったロランが、デュランダルが敵の手に渡ることを恐れて紅縞瑪瑙(4つの大理石のひとつと解される)に叩きつけて折ろうとするが、剣は岩を両断して折れなかったというエピソードが有名である[9][10](右図参照)。
語源
「不滅の刃」の意と断ずる日本語の資料もあるらしいが[要出典]、欧米の学術論文では諸説ある。
まずデュランダル Durendal の接頭部分をなす dur- は、フランス語 で「硬い」の意と解釈できるが、「持続する、長久の」の含みがあるとも考察されている[注 2][11]。
リタ・ルジューヌの説でも、デュランダルは "durant + dail" と分解でき[12]「強き大鎌」[注 3][13]や「耐えきる、抵抗する、持続する大鎌か偃月刀(シミター)」の意味とされている[14]。
ゲルハルト・ロルフスは、"dur + end'art"(「強き炎」)の意と解した[13][15]。
中世の『偽テュルパン作年代記』には、「ドゥレンダは、強烈な斬撃を秘めし意に解釈されにけり」云々の一文がみえる[注 4]。同書にこのような注釈がつくということは、フランス語では意味の読み解きが困難な剣名であった、すなわち外国語の剣名であったことの傍証であるという主張がある[16]。
フランス語以外にも、例えば エドウィン・B・プレイスはケルト語族のブルトン語で"diren + dall"(「切れ味をそぐ刃」または「(そのまばゆさで)目くらます剣」)であると読み解いた[注 5][16]。
また、ジェイムズ・A・ベラミーによるアラビア語解釈では、剣の本来の名はズルジャンダル"Ḏū l-jandal"(アラビア語: ذوالجندل「石を制す者」の意)であったという仮説をたてている[注 6][17][13]。
ロランの歌

『ロランの歌』によれば、黄金の柄の中には聖ピエール(聖ペテロ)の歯、聖バジル(聖バシリウス)の血、パリ市の守護聖人である聖ドニ(聖ディオニュシウス)の毛髪、聖母マリアの衣服の一部ら聖遺物が納められている[19][20][21][22]。
『ロランの歌』によれば、ロンスヴォーの戦いで殿(しんがり)を任されたロランは、サラセン軍を足止めしてシャルル王の無事撤退を果たした[23]。討ち取った敵の数は死者累々である。マルシル王[注 7]の右手を切り落とし、その息子を斬首し十万勢を敗走させた[26][27][28][29]。役目を果たすも、ロランは死期が近いと悟りつ[31] 、"大理石[でできた]標石4つ"ある場所へ来ると[34][35][注 8]、あるサラセン人が剣を盗もうとした。ロランは角笛オリファンでその者の頭を兜ごと叩き割る[40][41]。愛剣が敵に渡らないように、デュランダルを破壊すると決意し、「縞大理石」(紅縞瑪瑙[42])に打ちつけるがびくともせず[45][注 9]、さらにその「黒ずみたる石」になおあまたの回数打ちつけるが、毀れもしない[20]。ロランは松の下の芝に死に場所をもとめ、横たわり、剣とオリファン体の下に隠し[48][49][50][51]、息絶えた [52]。
武勲詩メネ
古フランス語では断片でしか残っていない武勲詩『メネ』には、シャルルマーニュが政治的理由で母国を逃亡し[53]、「メネ」という偽名をつかい[54][注 10]、サラセン人の統治するスペインのトレド国でガラフル王(Galafre)に仕え、その娘ガリエンヌ姫(Galienne)の求婚者だった時代を描く。それによれば、シャルルがガラフルの名代として万全の装備をし[注 11]、敵王ブレマン(Braimant)と戦い[53]、デュランダルを得る[56][57]
また、本作ではデュランダルを製作した鍛冶師をオーリファス[?](Haurifas)であるとしガラン(名匠ウェイランド)の兄弟とする[58][59][注 12][注 13]。
そのドイツ翻案である『カールマイネット』の第1部では、『メネ』のおおまかな設定を踏襲しており、ガラフェルズ王[仮カナ表記](Gallafers) が統治するスペインの王国を、その姫(Galie )を奪わんとアフリカの王ブレムント[仮カナ表記](Bremunt)[注 14] が攻め入るが[65][66]、彼女は保護されたフランスの若者の「マイネット」(シャルル)に恋してしまう[67]。本作ではマイネットは名剣ガロゼフェレ[仮カナ表記](Galosevele)をもらい受け[注 15]、戦いに臨む [71][72][73]。
『カールマイネット』によれば、マイネット(シャルル)がブレムントと戦った場所は、トレドに近いモリアーレの谷(vael Moriale)、すなわち『ロランの歌』でいう「モリアーヌの谷」であった[75][76]。敵王のブレムントがその名無しの名剣にドゥレンダルト(Durendart)と名付けたことと、その活躍ぶりが語られる[78][79][72][80]。予想通りシャルルはブレムントを斃し、せめて埋葬を、と頼んだ敵が放り投げてよこしたドゥレンダルトを手にして鹵獲した[82][63][83][84]。
イタリア文学
『狂えるオルランド』では、セリカン(絹の国、古代中国の呼称)からグラダッソ、タタール人の王マンドリカルドなどの強敵がデュランダルを獲得しようと死闘を繰り広げた。
スペイン文学
スペイン語の武勲詩(カンタール·デ·ヘスタ、Cantar de gesta[注 16]) 『ロンセスバリェスの歌』は[86][87]、編者のラモン・メネンデス・ピダルが13世紀、他の学者がより後年の成立とみているが、わずか100行の断片が残されるのみで、その内容はロンセスバリェスの戦いの後日談で、シャルル王(Carlos)が遺体を探すなか、テュルパン司教(Turpín)やオリヴィエ(Olivieros)がみつかり、やっと甥のロラン(Roldán)のもとにたどり着く。エモン(Aimón)もまた、息子のルノー・ド・モントーバン(Reinalte de Montalbán)の遺骸をみつける[88][87]。フランス武勲詩『ロランの歌』とも相似点はあるが、『『サン・ミリャン注解』に伝わるような伝承も紛れているとされる[88]。シャルル王はさらに、名剣ドゥランダールテ(Durandarte、57行)を失っており、これは実利のみでなく誉れ(面目)の二重の損失であると考察される[89]。この作品でもシャルル王は、自分がかつて若き時、トレドでガラフルに仕えていたとき(56行)、ブライマンテ(Braymante、58行)を負かして奪った回想が語られ[90][89]、すなわちは上述の § 武勲詩メネの伝承に合致する。
この題材を、吟遊詩人らが裁量とアレンジをくわえて歌い継いだ結果、不敗の剣であったはずのドゥレンダルテ(Durendarte)は、騎士のキャラクターに化け、ロンセスバリェスで最期を迎え、血縁の親友に頼んで自分の心臓をくりぬき、恋人(ベレルマ)への形見に贈ってくれとことづける[91][92]。すなわち15世紀以降のロマンセ文学における作品である[93][92][注 17])。