ジョワユーズ
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ジョワユーズ[1](フランス語: Joyeuse;古フランス語: Joieuse, Joiose, Jiouse, Joiuse等[2])は、中世フランスのシャルルマーニュ伝説でシャルルマーニュが所持していたとされる剣。その名前はフランス語で「陽気」を意味する[3][4]。ジョワイユーズ[5]、などとカナ転写されることもある。

中世の伝承は、いろいろ言伝えはあるが、伝説の刀匠ガラン(ヴェルンド)が鍛えたという定番の説明が武勲詩『フィエラブラ』にみえ、その柄の中にロンギヌスの盲目を癒した聖槍のかけらがこめられたため、「喜ばしき」という意味の剣名がつき、また、フランス勢の鬨の声、「モンジョワ」もこれに由来する、と『ロランの歌』ではそう謳われている。槍片などの聖遺物は、コンスタンティノープル皇帝からもらい受けた、と北欧サガには記述される。この剣は、シャルル王子がメネの偽名でスペイン・トレド王国のガラフ王のもとに滞在中、代行で決闘するおりに装備支給された可能性があるが、現存するフランス語断片にはその記述がなく、ドイツ詩ではガロゼフェレ[仮カナ表記]という剣を付与されとされ、スペイン史書ではガラフレ王の娘ガリアナ姫[注 1]よりジョワユーズを得たとされる[7]。
また、フランス国王の戴冠式などに使われてきた伝・ジョワユーズがかつてあり、同じものかわからないがナポレオンなどがもちいたも伝・ジョワユーズは現存し、ルーヴル美術館蔵となっている( § 実在の剣参照)。
名称

フランス武勲詩では、『ロランの歌』やその各国語翻案[注 2]をはじめ、いくつかの作品でジョワユーズは言及される[注 a]。
北欧の翻案『カール大帝のサガ』[注 3]ではギオヴィーセ[仮カナ表記](古ノルド語: Giovise)[12]/ヨヴィーセ[仮カナ表記](古ノルド語: Jovise)[注 b]。デンマーク語の『カール大帝年代記』(1500年頃)では Josue, Iosue, Iosuæという剣名で表記される[13][14]。
イタリア語の翻案ではジョイサ[仮カナ表記](イタリア語: Gioisa)[15][注 c]。
『ロランの歌』の中期高地ドイツ語での翻案である僧コンラート作『ローラントの歌』ではヨイーオゼ[仮カナ表記](中高ドイツ語: Joîose, Ioîose)[16][17][18]、シュトリッカーの『カール大帝』ではヨイオーゼ[仮カナ表記](Joiôse)と表記される[19][20]。『カールマイネト』(『若き日のカール大帝』)[注 4]では Gaudeosa と表記される[24][25]。ドイツ散文訳『フィエラブラス』では、フランス名のまま Joyeuseとする[26][27]。
中英語のウィリアム・キャクストン版本『シャルル大王伝』[注 5](1485年版、フランス語散文『フィエラブラ』の英訳)ではJoyouse[30])のほかにも、Ioyuse[31]などの例がみえる。中英語のいくつかの作品ではこの剣名が「モンジョイ/モンジョワ」になっている[32]。
名工の作
武勲詩『フィエラブラ』によれば、ジョワイユーズ、そしてルノー・ド・モントーバンの剣フロベルジュ、オリヴィエの剣オートクレールら三本は名匠ガラン(ヴェルンド)の作であった。同作では三兄弟が9本の名剣を打ったとされる(フィエラブラ § 名剣九本参照)[33][6]。
後述のように、トレッサン伯爵の再話ではジョワユーズ、ドゥランダル、クールタン(コルト)もろとも名匠ガラン(ヴェルンド)の作だったとしている[34]。
伝説
11世紀の『ロランの歌』は、ジョワユーズを以下のように描写している。
| 原文 | 訳文 |
|---|---|
〔Li emperedre Charles〕 |
|
| —Chanson de Roland, Oxford ms. vv. 2499–2508[42] | —有永訳『ロランの歌』2499–2508[43][注 8] |
すなわちジョワユーズの黄金の柄頭[注 9])には聖槍[48]の切っ先が埋め込まれており、それゆえにジョワユーズと名づけられた[49]。くわえて、フランス勢の鬨の声、「モンジョワ」も、これにより発祥したと付け加えられている[50]。
『カール大帝のサガ』第一枝篇によれば、名剣ギオヴィーセ[仮カナ表記]の柄にこめた聖槍のかけらは、カール大帝がコンスタンティノープル(ミクラガルド)訪問のおり、ギリシア皇帝から譲り受けた聖遺物のひとつであった。他にも聖十字架のかけらや、イエスの額を拭いたスダリウム(「汗布」;古ノルド語: sveitadúkr)、キリストのストッキング(古ノルド語: hosa)、聖メルクリウスの槍が贈られたとする[51][52][6]。
ランベール・ド・パリの作とされる武勲詩『オジエの騎士道』第1枝篇においてネーム公が総督〔アミラル〕コルシューブル[注 10]を討ち取った記述があるが[54][55]、13世紀のアドネ・ル・ロワによる第1枝篇の改作『オジエの幼年時代』においては、コルシューブルを討ち取った手柄はシャルル王のものになっており[56]、シャルルがジョワユーズをふるい、コルシューブルに切りかかると、兜の環が切れ、刃は脳に食い込み、相手は死んだ[57]。ちなみにこのアドネの改作でジョワユーズ剣の名が言及されるのはこの一か所のみである[2]。ランベールの最終の第12枝篇では、シャルル王がジョワユーズをふるって外モランドのフォーサラオン王[仮カナ表記]を討ち取ったとされる[58][59] 。第4枝篇では、まだシャルルが逆臣と化したオジエと交戦中だが、ジョワユーズを佩き、白馬ブランシャールにまたがっている[60][注 11]。
シャルルマーニュの幼年時代の武勲詩にあたる『メネ』は、シャルル王子が腹違いの兄弟たちのために国を追われ「メネ」(「マーニュ」の指小辞[61])という偽名でスペインに逗留してるとき、世話になっているスペインのサラセン人王(ガラフル王)の代理で敵(恋敵かつ侵略者)との重大な決闘に挑む[61]。武勲詩はガラフルから馬をもらったとしかなく[62]、断片の事情か分からないがジョワユーズをもらった記述はみあたらない[63](デュランダル § 武勲詩メネ)。ドイツ翻案の詩ではスペイン王からガロゼフェレ[仮カナ表記]という剣をもらってはいるが[64]、これはのちに同詩で言及されるガウデオーザ[仮カナ表記](=ジョワユーズ)とは別な剣、と学術的にはそう扱われる[11]。ところがこれがスペイン語翻案になると、ガラフレ王の娘ガリアナ(のちのシャルルの妻)から、まさにこのジョワユーズ剣を授かったことになっている[65](作品名など細かい事情は、以下 § シャルル王子ことメネを参照)。
『偽テュルパン作年代記』の長編版によれば、スペインのアイゴランドゥス[仮カナ表記](Aigolandus)との戦いで、キリスト教徒側 4万人にくわえてロランの父のミロ[ン]公が戦死したが[注 12]、シャルルがその剣ガウディオーサ(Gaudiosa)[注 13]を抜きはらい、何人ものサラセン人を斃していった、とある[66][67][68][69]。
シャルル王子ことメネ
シャルル王子の青年期の武勲詩『メネ』にはシャルル王子がこの剣を得たという言及がないが、しかし白馬アフィレ(Afilé)をもらって[注 14]敵王ブレマン(Braimant)との決闘に臨み[61][71][73]、デュランダルを得たという記述はある[74](デュランダル § 武勲詩メネも参照)。
本作はより完全本のかたちでジラール・ダミアンは編『シャルルマーニュ物語』(1300年頃)に伝わっており、低部ライン語版[注 15][注 16](または低地フランク語版[76]、低地ドイツ語版[77])に 『カールマイネット』、イタリア語版(フランコ=ヴェネチア語版[79])に『Karleto』があり、スペイン語では史書『クロニカ・ヘネラル』(Crónica general)に記述がある[80]。
低地ドイツ語版『カールマイネット』の第1部では[注 17][注 18]、スペイン滞在のカールマイネット(シャルル王子)は、やはりガロゼフェレ[仮カナ表記](Galosevele)という剣をガラフェルズ王[仮カナ表記](Gallafers)よりもらい、ブレムントと対決する[注 19]。ただし、この剣はドイツ版の解説者等にはジョワユーズとして扱われていない[84][85] 。すなわち、『カールマイネット』第三部でのアゴラント王との戦いで披露する剣ガウデオーザ[仮カナ表記](Gaudeosa、すなわちジョワユーズ)とは別物の剣だとされている。なお、この三部での剣名は、その原資料であるラテン語の『偽テュルパン年代記』においての剣名の影響が濃いと指摘される[84][86]。
ところが逆に『メネ』のスペイン語翻案が盛り込まれる史書『プリメーラ・クロニカ・ヘネラル』においては、若きマイネット(Don Maynet)がスペインで臨んだおなじくブラマント(Bramant)との対決前にガラフレ王(Galafre)の娘の愛しガリアナ姫(Galiana)から得た武器は、ショイオーサ[仮カナ表記](Joyosa)すなわちジョワユーズそのものであったとされている[87][65][6]。しかもそれは彼女が執拗な求婚者ブラマントから受け取った品であった[注 20][87][65]。
ギヨーム・ドランジュの剣
世代が変わり、ルイ敬虔王の御代を語る『ルイ王の戴冠』では、後見人のギヨーム・ドランジュ(史実上のギヨーム・ド・ジェローヌ)が、名剣ジョワユーズをシャルルより授かっており、駿馬のアリオンにうちまたがる[88][89]。
ドイツ翻案であるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ作『ヴィレハルム』ではショイユーゼ[仮カナ表記](Schoyûse)等[90][91]、その続編『レンネヴァルト』ではチョユーゼ[仮カナ表記](Tschoyuse)とみえる[92]。またウルリヒ・フォン・デム・テュールリーン作『ヴィレハルム』にチョイーゼ[仮カナ表記](Tschoise)とみえる[93]。
現代再話
ブルフィンチ再話(1864年)[1863年]によれば、オジエ・ル・ダノワの剣コルトに、それがジョワユーズやドゥランダルと同じ鍛えと材料であり[94]、トレッサン伯爵(1782年)の再話では、より精密に、同じ鍛冶師ガランの作であるとする[34]。
そもそもの武勲詩『オジエの騎士道』では、まだ元服前だったオジエ・ル・ダノワの活躍を称賛したシャルルマーニュが、自分が所有する何らかの王剣をオジエの騎士叙任の際に佩刀させるが[95][96]、ジョワユーズだとは言明されない。だがブルフィンチの再話によると、このあとで妖精モーガン・ル・フェイ(→モルガナ)が、剣をすりかえたため、王があらてめてオジエの剣を抜きはらうと、その剣がコルト(→コルタナ)と書かれており、そしてジョワユーズやドゥランダル(→ドゥリンダナ)と同じ材料でできた、同じ鍛えの剣である、とも詠まれていた[注 21][94]。トレッサン伯爵のフランス語再話では、剣クールタン(原題つづり Courtainの現代読み)には、刀匠が同じガラン(ヴェルンド)であると金文字で書かれていたのに[34]、ブルフィンチでは欠落していた。
また、ブルフィンチ再話には、シャルルマーニュがジョワユーズをふるってサラセン人の総督コルシューブル(→指揮官コルスブル)を打ち首にした場面がみえるが[97][98]、上で説明したとおり、これは『オジエの幼年時代』と同様であり、『オジエの騎士道』とは逸脱する。
実在の剣

ルーヴル美術館蔵のジョワユーズは、いくつかの年代の部分をはぎ合せた合成品である[99]。フィリップ2世尊厳王の1179年の戴冠式に使われた可能性があり[99][注 22]、あるいは1181年を機にフランス王旗を『ららんの歌』と同じもの(オリフラム)とみなし、聖別式の際に王の前に運ばれる剣をジョワユーズとみなすようになった、と説かれるが[101]、確実なところでは1271年のフィリップ3世の戴冠式に使われた記録がある。柄頭の側面は古く、10–11世紀のもので、鍔(クロスガード)は12世紀と鑑定される[99]。本当の由緒は不明であるとされる[102]。
フランスにおいては国王の王権を象徴する剣[102]として多くの絵画に描かれている。歴代のフランス国王の肖像画にも描かれている。1804年、ノートルダム・ド・パリ大聖堂で執り行われたナポレオンの戴冠式の小道具にも使われ、その剣が現存する[102]。ただ、この戴冠式の演出を任されたド・セギュール伯爵は、何らかの形で儀式に使おうと企画はしたが[103]、本番ではナポレオン個人が身につけることは、政治的・コスチューム的な理由から不適切とされ[注 23]、行列のみで使われることになった[105][注 24]。
ギャラリー
- アルブレヒト・デューラー作『カール大帝』