フィエラブラ

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バニョン翻案、散文体『フィエラブラ』(リヨン、1497年版)

フィエラブラ[2]またはフィエラブラス[7][注 1]Fierabras)は『フィエラブラ(の歌)』をはじめとする武勲詩やその翻訳作品などに登場するイスラムの戦士。

フィエラブラは。たびたび巨人という設定になっていることもある。名前はフランス語の「Fier-a-bras」(武装していることが誇り、Proud-on-arms)に由来する。

『フィエラブラの歌』では、サラセン王バランとその息子フィエラブラが、ローマのキリスト受難の聖遺物を奪ったのをフランス勢が奪還しようとするのが主題で[8]十二勇士オリヴィエと対決するが、最終的にはキリスト教に改宗し、シャルルマーニュに仕えることになる。

フィエラブラがもっとも古く登場する作品は、12世紀に成立したフランスの武勲詩『フィエラブラ(の歌)』(1170年頃)である。この武勲詩は類韻を踏む節の集まりで構成されており、おおよそ6200のアレクサンドランから成り立っている。だいたいのあらすじは、以下の通り。

サラセンの王バランと、その息子で15フィートの身長を持つフィエラブラはローマのサン・ピエトロ大聖堂で略奪をし、キリストの聖遺物([茨の]冠、聖釘、書付け)をスペインに持ち帰っていた。シャルルマーニュは聖遺物を取り返すためにスペインへ侵攻し、十二勇士のオリヴィエを派遣し、フィエラブラと戦わせることにした[9][8]。フィエラブラは、もし敗北するようなことがあるならキリスト教へ改宗し[注 2]、シャルルマーニュ軍へ参加することを決意するが、結局オリヴィエと幾人かの騎士は捕虜となってしまう。フィエラブラの姉妹のフロリパ(Floripas)はギィ・ド・ブルゴーニュ(教皇カリストゥス2世のこと)に恋をしてしまう。その後、いくつかの戦いの後、シャルルマーニュはバラン王を殺し、スペインを分割しフィエラブラと、フロリパと結婚していたギィ・ド・ブルゴーニュに与え、聖遺物とともにサン=ドニ大聖堂へ帰還するのだった。

アイテム考証

名剣九本

フィエラブラが使用する三振りの剣は、バプテーム(Baptesme、「洗礼」)、プロランス(Plorance)、ガルバン(Garbain)といい、オーリサ[ス][仮カナ表記](Aurisas[注 3]という鍛冶師が鍛えたものとされる(648–9行) [14]。ところがじつは対決相手のオリヴィエの得物をはじめ、フランス勢の主たる武器も、その鍛冶師の兄弟が打ったとされている[注 4]。鍛冶師ミュニフィカン(Munificans)は、デュランダル、ミュサギーヌ[仮カナ表記](Musaguine)、コルタンを、名匠ガラン(Galans、英語でいうウェイランドのこと)は、ルノー・ド・モントーバンの剣フロベルジュFloberge)、オリヴィエの剣オートクレール、シャルル大帝の剣ジョワユーズをこしらえた(638–59行)[15] [13]

武勲詩『メネフランス語版』(若きシャルルマーニュの武勲詩)では鍛冶師の名はオーリファ[ス](Haurifas)とみえる[16]

治癒の香油

武勲詩『フィエラブラの歌』によれば、フィエラブラとバラン王はローマからキリストの死体の防腐処理に使われた2樽の香油(現代語:baume[17]、原文:basme)をローマ帝国エルサレム[注 5][18])で略奪したという。この香油には奇跡の力が込められており、飲んだ者の傷でもたちまち癒す効果があった(525–530行[19][17])。『ドン・キホーテ』ではたびたびこの香油について触れられており[20]、10章では、騎士ドン・キホーテが従者のサンチョ・パンサに対し、かの香油の調合を知っている、とうそぶくシーンがある。また、17章ではドン・キホーテはサンチョに対し、その材料は油、ワイン、塩、それからローズマリー[注 6]であると説明している[21]。ドン・キホーテはそれを作り、呑むのだが吐き戻し、また大汗をかくが、寝て起きればすっかり癒されている。だが、同じ薬を飲んだサンチョは嘔吐と下痢に襲われ、死ぬ思いをしている。これに対し、ドン・キホーテは、「この薬は真の騎士にしか効果がないのだ」とわけの分からない説明をするのであった。

稿本

『フィエラブラ(の歌)』の稿本には[22][23][24]

などがある。エミール・ハウスクネヒトが把握していたのは7つのフランス語写本だが、現代資料では9-12写本(行方の不確かなものも含め)を列挙する[22]

翻案

この物語は13世紀にプロヴァンス語に翻訳された[27][28]。14世紀にイタリア語版に翻訳された。中英詩版も14世紀までには詩文体で3種類作られた。14~15世紀になると物語は韻文から各国語での散文形式で語られるようになり、それらの初期版本(インキュナブラ)が各地で出版された。それぞれ詳細は以下に述べる。

3種類の中英詩は[29][30][注 7]、まず『フェルンブラスwikidata[注 8]がある[9]。底本はアシュモレアン33写本(1380–1400年)で、これがユニークな写本の作品としてテキストが『Sir Ferumbras』(1879年)の題名で発表されたが[32][注 9];ただし、これはあくまでこの現代版本で与えられた題名であり、じっさいの文中には "Fyrumbras"もしくは"Firumbras"の綴りがみえる[33]。欠損本で、冒頭と末尾を欠いている[33]。フランス語原作に忠実な訳出との評もあるが、おそらく聖職者がことと、依頼主(読者)の趣を反映して、宗教にかかわる部分が増補されていたり、「騎士道の華」という文句が繰り返されるなどの変化がみられる[34]。前半は7 詩脚から、後半は尾韻英語版6行連にきりかわる[35]

2種目は断片版『Firumbras』(Fillingham Firumbras、旧フィリンガム写本、現大英図書館蔵 Add. 37492写本[30])で[36][注 10] 、こちらも比較できるかぎりかなり忠実な翻訳とされるが、前部のかなりの部分、およそ半分の量が欠損しており[注 11][37]。こちらは原作のアレクサンドラン律をなるべく保つように訳されている[35]

第3種の中英詩翻案は『バビロンのサルタンwikidata[注 12](原題”Sowdone of Babylone[38][注 13]である。英国において古フランス語で製作されたイガートン写本では、『ローマの破壊』・『フィエラブラ』二連作よろしく、『バビロンのサルタン』には前章(プロローグ)が書き加えられており、そもそもローマ人は罪深く(以前も帝国は異教徒に滅ぼされた)、サルタン側の商人から盗みを働いたせいで、サルタンからローマの侵攻を受け、略奪の限りを尽くされたことになっている[29]。ここではサルタンとは、バビロン(エジプトのカイロ)の王(スルターン)のことで、スペインにはたまたま滞在していることになっており[29]、原作でバランがスペインの異教徒王なのとは違う設定になっている。

イタリアへの伝搬はスペイン(後述)よりもいささか早かったようである。詩文体、全13歌章(カント)からなる『フィエラブラッチョとウリヴィエーリの歌物語[40][注 14](原題:El cantare di Fierabraccia et Ulivieri[42][注 15])は15世紀末に成立した[9]

バニョン(Jehan Bagnyon)のフランス語散文訳による翻案『巨人フィエラブラス』(初版ジュネーヴ、1478年)は[注 16]、じつは残存する冊本のが欠損しており、正式題名が不明であるが、締めくくりに『巨人フィエラブラのロマンス』という作品名らしき言及があるのが[注 17]便宜用題名に使われているMandach (1987), p. 149[44]1486年1497年リヨン版に長文の題名『シャルル大王のスペイン征服および十二臣将の義勇、そしてフィエラブラについて)』[仮訳題名]がつけられ[注 18][45]、以降そのような題名での重版になった[44][46]。近年のケラー編本(1992年)は、より簡素な『(ときにフィエラブラのロマンスとも呼ばれし)シャルルマーニュ物語』[仮訳題名]のような現代題名をつけている[注 19]

このバニョン散文版からウィリアム・キャクストンが散文英訳『シャルル大帝[注 20]/『シャルル大王伝[注 21][注 22](原題:The Hystory and Lyf of the Noble and Chrysten Prynce Charles the Grete[49]1485年)を出版しており[44]、その後ニコラス・デ・ピエモンテ(Nicola of Piamonte)によるスペイン訳『カルロマグノの騎士道史[50](原題:Historia del emperador Carlomagno y de los doce pares de Franciaセヴィリア刊、1521年[注 23])が出ている[52]

ドイツ語への翻案作品は1533年に刊行されている[53][9][注 24]カール・ヨーゼフ・ジムロック編本が1849年に出されている[注 25]

ドイツ民衆本(フォルクスブッフドイツ語版)からは、アイスランド語で『Ferakuts saga』が訳出されている[54][注 26]

時代考証

物語は、536–7年、846年、1081–4年に起きたローマ略奪英語版}を基にしている[55]。また、評論家によれば、サン=ドニ大聖堂の聖遺物(聖釘と茨の冠)を宣伝する目的で作られた面もあるという[3]

脚注

参照文献

外部リンク

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