デヴィッド・カーニー
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
デヴィッド・レイモンド・カーニー David Raymond Carney | |||||
| ラテン文字 | David Carney | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1983年11月30日(41歳) | |||||
| 出身地 | シドニー | |||||
| 身長 | 180cm | |||||
| 体重 | 69kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF (左SH), DF (左SB) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1998-1999 |
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| 1999-2002 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2002-2003 |
| 0 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 0 | (0) | |||
| 2004 |
| 3 | (0) | |||
| 2004-2005 |
| 8 | (0) | |||
| 2005-2007 |
| 38 | (7) | |||
| 2007-2009 |
| 21 | (2) | |||
| 2009 |
→ | 9 | (0) | |||
| 2009-2010 |
| 11 | (0) | |||
| 2010-2011 |
| 11 | (0) | |||
| 2011-2012 |
| 3 | (0) | |||
| 2012 |
| 4 | (1) | |||
| 2013 |
| 9 | (0) | |||
| 2014-2016 |
| 37 | (3) | |||
| 2016-2018 |
| 56 | (9) | |||
| 通算 | 210 | (22) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2003 |
| 2 | (0) | |||
| 2006-2013 |
| 48 | (6) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
デヴィッド・レイモンド・カーニー(David Raymond Carney, 1983年11月30日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の元サッカー選手。元オーストラリア代表。名前は「デビッド」、「デイヴィッド」とも表記される。
クラブ
16歳の時にエヴァートンFCの下部組織に入団。そこではウェイン・ルーニーと一緒にプレーした。トップチームに昇格したものの出番がなかったカーニーは2003年に退団。その後、数チーム渡り歩くも出番はあまりなく、2005年3月にオーストラリアに戻りシドニーFCと契約した。初年度から主力として優勝に貢献。その活躍からルーマニアやドイツのクラブから注目を集めた。その後はイングランドに戻り、シェフィールド・ユナイテッド、ノリッジ・シティFCでプレーした。2009年8月27日、オランダのFCトゥウェンテに移籍。2010年9月、プレミアリーグ昇格を果たしたブラックプールFCへ移籍。
その後、スペインのADアルコルコンを経て、2012年はウズベキスタンの強豪FCブニョドコルへ移籍。
2013年8月8日、ニューヨーク・レッドブルズに移籍した。
2014年2月2日、ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCに移籍した。
代表
AFCアジアカップ2011決勝で自身のミスでフリーにしてしまい李忠成に決勝ゴールを決められ優勝を逃した。このミスは、オーストラリア紙に今後のキャリアに一生つきまとうだろうと報じられ[1] 当時、監督だったホルガー・オジェックは「失点の場面は、この試合で唯一ともいえる位置取りのミスだった」と発言した。[2]
代表では左サイドバックとしてプレーした。