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デーブ・スチュワート (野球)

アメリカの野球選手 (1957 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

デイヴィッド・キース・スチュワートDavid Keith Stewart, 1957年2月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元MLB選手(投手)。 ニックネームは「Smoke」。

生年月日 (1957-02-19) 1957年2月19日(69歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
デーブ・スチュワート
Dave Stewart
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1957-02-19) 1957年2月19日(69歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1975年 ドラフト16巡目でロサンゼルス・ドジャースから指名
初出場 1978年9月22日
最終出場 1995年7月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
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経歴

セント・エリザベス高校を経て、1975年MLBドラフト16巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。

1978年9月22日にメジャーデビューを果たしたが、このときは1試合に登板したのみで翌年以後は再びマイナーに降格し、次にメジャーに昇格するのは、チームがワールドシリーズ制覇を果たした1981年であった。

1982年は14試合に先発して9勝。

1983年シーズン途中にテキサス・レンジャーズに移籍し、両チーム合計で10勝8セーブ(先発は9試合)。

1984年にようやくほぼ年間を通じて先発ローテーション入りを果たすが7勝14敗に終わる。

1985年は再びブルペンに降格。シーズン途中にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。この頃、外国人投手を探していた読売ジャイアンツが獲得を検討したが、スチュワートに買春容疑がかけられていたため獲得を断念した。

1986年途中に生まれ故郷のオークランド・アスレチックスに移籍。シーズン後半には先発ローテーションに定着し、9勝を挙げる。

1987年にようやく開花して、この年20勝を挙げる。以後1990年まで4年連続で20勝を挙げ、エースとして君臨。1988年からのチームのア・リーグ3連覇に貢献。ただし、4年連続20勝をあげながら、サイ・ヤング賞には一度も選ばれなかった。投票では1989年の2位が最高で、1987年と1990年は3位、1988年は4位であった。同時期に活躍し、サイ・ヤング賞の常連であったロジャー・クレメンスと先発で投げ合った試合は、7勝1敗と圧倒していた。

1989年には、サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズ第1戦に先発し、完封勝利を収める。第3戦の試合開始前にサンフランシスコ・オークランド一帯を大地震が襲い、シリーズは10日間中断。12日ぶりに再開された第3戦で再び先発し、3点を許したものもこのシリーズ2勝目を挙げてチームの4連勝に貢献。この活躍でワールドシリーズMVPベーブ・ルース賞に選ばれた。また、ポストシーズンに強く、通算18試合に先発して10勝6敗、防御率2.84であった。

1990年6月29日トロント・ブルージェイズ戦(スカイドーム)でノーヒットノーランを達成[1]。その年のア・リーグチャンピオンシップシリーズ (ALCS) ではMVPに選ばれる。これも含め、LCSでの通算8勝は、ア・リーグ、ナ・リーグを問わずLCSの最多記録である(2位はアンディ・ペティットジョン・スモルツの6勝)。また、この8勝の間敗戦はなく、8連勝も歴代最多記録である。同年のワールドシリーズではシンシナティ・レッズに4連敗を喫したが、この年社会貢献が認められてロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

1992年に再びチームは地区優勝を果たすが、ACLSでブルージェイズに敗れる。

1993年にはそのブルージェイズに移籍し、12勝をあげて地区優勝に貢献。シカゴ・ホワイトソックスとのALCSでは再びMVPに選ばれる。かつて在籍したフィリーズとのワールドシリーズでは第2戦と第6戦に先発。勝利投手にはなれなかったが第6戦ではジョー・カーターのサヨナラホームランが出て、自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた。

その後は成績が下降し、1995年に古巣・アスレチックスに復帰し、同年を最後に現役を引退した(なお、最後のシーズンは背番号『35』をつけている)。引退後は、メジャー3球団で投手コーチ、ブルージェイズのGM補佐などを務めた。

2014年9月25日アリゾナ・ダイヤモンドバックスのGMに就任。

スチュワートのアスレチックス在籍時の背番号「34」。
オークランド・アスレチックスの永久欠番2022年に指定。

2019年、古巣アスレチックスはスチュワートの在籍時の背番号『34』を永久欠番に指定することを発表[2]し、すでに『34』はチームの先輩でもあったローリー・フィンガーズの永久欠番に指定されており、こちらもアンドレ・ドーソンエクスポズの「10」)・ブルース・スーターカージナルスの「42」)・マリアノ・リベラヤンキースの「42」)に次ぐ永久欠番追加指定選手となった。 永久欠番表彰式は2020年に行われる予定だったが、直後に起きた新型コロナウイルス感染症の影響により翌2021年に延期となるも、感染が収まらなかったため再度延期となった。そしてスチュワートの永久欠番表彰式は2022年9月11日にようやく行われた[3]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1978 LAD 10000000------62.010000100000.000.50
1981 320000436--.57118443.14031450294013122.491.25
1982 4514000981--.529616146.11371449112803072623.811.27
1983 461000528--.71432876.06743372542028252.961.32
TEX 88201520--.71423759.05021702241015142.141.14
'83計 5492011048--.714565135.011765074783043392.601.24
1984 32273007140--.333847192.11932687341191201061014.731.46
1985 425000064--.00036181.186133752645153495.421.51
PHI 40000000------224.150400220436.232.08
'85計 465000064--.00038385.291134152667157525.461.54
1986 80000000------5612.1151400913996.571.35
OAK 2917410950--.643644149.11371565031029067623.741.54
'86計 3717310950--.643700161.215216690311110376713.951.37
1987 373781120130--.6061103261.122424105262051101211073.681.26
1988 3737142221120--.6361156275.224014110531921416111993.231.27
1989 36368022190--.7001081257.2260236906155130105953.321.28
1990 3636114222110--.6671088267.02261683151668084762.561.16
1991 353521011110--.5001014226.024524105191441201351305.181.55
1992 313120012100--.545838199.11752579181303196813.661.27
1993 TOR 26260001280--.600687162.0146237204964186804.441.35
1994 2222100780--.467602133.11512662441116089875.871.60
1995 OAK 1616000370--.30038181.0101113912588165626.891.73
通算:16年 523348559816812919--.566112512629.2249926410344662174111823125911543.951.34
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表彰 

脚注

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