トッド・リンデン

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生年月日 (1980-06-30) 1980年6月30日(45歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
トッド・リンデン
Todd Linden
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ワシントン州スノホミッシュ郡エドモンズ
生年月日 (1980-06-30) 1980年6月30日(45歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 MLBドラフト1巡目追補
初出場 MLB / 2003年8月18日
NPB / 2009年7月2日
最終出場 MLB / 2007年9月30日
NPB / 2010年8月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

トッド・アンソニー・リンデンTodd Anthony Linden, 1980年6月30日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州スノホミッシュ郡エドモンズ出身の元プロ野球選手外野手)。右投両打。

プロ入りとジャイアンツ時代

ワシントン州シルバーデール英語版セントラル・キトサップ高等学校英語版を卒業後、ワシントン大学で2年間野球をプレー。その後ルイジアナ州立大学(LSU)へ転校し、サザンイースタン・カンファレンスの両打席本塁打試合のシーズン記録を作った。

2001年MLBドラフト1巡目追補(全体41位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、プロ入り。

2003年8月18日のモントリオール・エクスポズ戦でメジャーデビューを果たした[1]。9月22日のロサンゼルス・ドジャース戦では石井一久からメジャー初本塁打を放った。それからは主にバリー・ボンズの守備固めに入る控え選手としてプレーしていた。

2007年5月10日にDFAとなった。

マーリンズ時代

2007年5月18日にウェイバー公示を経てフロリダ・マーリンズへ移籍した。オフに自由契約となった。

アスレチックス傘下時代

2007年11月21日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、開幕のメジャーロースターには入れなかった。

2008年5月20日に自由契約となった。

インディアンス傘下時代

2008年5月27日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約。ここでもメジャー昇格は果たせず、シーズン終了後にFAとなった。

ヤンキース傘下時代

2009年ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加した。

楽天時代

2009年6月12日に東北楽天ゴールデンイーグルスと契約を結んだことが報じられ[2]、6月16日に楽天が契約合意を発表した[3]。7月2日の北海道日本ハムファイターズ戦にて初出場し、ダルビッシュ有から2安打を放つと、7月7日の千葉ロッテマリーンズ戦では来日初本塁打、初打点を含む4打数4安打3打点の活躍をする。入団直後は右翼手で起用されていたが、6試合目から左翼手に固定される。7月16日の埼玉西武ライオンズ戦では西口文也から初回先頭打者本塁打を放ち、7月19日のオリックス・バファローズ戦では来日初のサヨナラ安打を放った。7月20日の福岡ソフトバンクホークス戦で、見逃し三振の判定に対して福家英登球審に暴言を吐き、来日初の退場処分を受けた(リンデンは後日、このことに対し、判定に不服があったので抗議をしただけと語っている)。この件で、日本プロ野球組織の加藤良三コミッショナーは厳重注意と制裁金5万円を科した。[4] 9月26日の西武戦(西武ドーム)でフェルナンド・セギノール、リンデン、中谷仁の球団史上初となる3者連続ホームランを記録した。7番打者から9番打者の3者連続ホームランは、2003年9月14日の福岡ダイエーホークスフリオ・ズレータ出口雄大鳥越裕介)以来、プロ野球史上2度目。加入当初は1番での起用が多かったが後に下位に定着。守備、走塁の前評判がよかったが、首脳陣の予想以上に打撃で成績を残し、途中加入ながら打率.292、12本塁打37打点、先頭打者本塁打を3本、サヨナラ安打を2度放つなど好成績を残した。しかし一方で三振が非常に多く、73試合の出場でリーグ10位タイとなる105三振を喫した。シーズンではある程度の成績を残したが素行の問題から去就が注目されていたが(下記参照)、12月14日に球団から来季の選手契約を更新した旨が発表され[5]、翌年も引き続き楽天でプレーすることが決まった。

2010年8月18日のオリックス戦で、福家審判に暴言を吐いたとして退場になった際、なだめに来たマーティ・ブラウン監督と衝突した[6]。球団から謹慎と制裁金を科せられた(問題行動の項参照)。そのような騒動や前年のような成績を残せなかったことで10月27日に球団から来季の契約を結ばない事が発表された。

独立リーグ時代

2011年ノース・アメリカン・リーグエドモントン・キャピタルズと契約した。

ジャイアンツ復帰

2012年はプロ入り時の古巣であるジャイアンツとマイナー契約を結び、AAA級フレズノ・グリズリーズで127試合に出場した。11月2日にFAとなった[7]

2013年1月17日に再びジャイアンツとマイナー契約を結び[7]、AAA級フレズノで47試合に出場した。オフの11月4日にFAとなり退団[7]。この年限りで現役を引退した。

現役引退後

2014年から2015年まで、ジャイアンツ傘下のA級オーガスタ・グリーンジャケッツ英語版打撃コーチを務めた[8]2016年からは傘下A+級サンノゼ・ジャイアンツ英語版の打撃コーチを務め[9]2017年限りで退任した。

その後はワシントン州シアトルで少年野球の指導に携わっている[10]

問題行動

  • ワシントン大学ではチーム規則や学則を何度も破ったり、キューバとの親善試合の際にキューバ製葉巻を密輸したりしたこともあって、退部処分を受けた[11]
  • 2009年8月2日のロッテ戦で、相手バッテリー(唐川侑己-里崎智也)の内角攻めに激高。6回表の第3打席の初球でセーフティバントの構えから引いたバットの先端を里崎のマスクに掠めさせたことで里崎と一触即発、また両チーム乱闘寸前の事態となり、リンデンのこの行為は故意の報復行為とみなされた[12]
  • 2009年10月6日のロッテ戦で、中谷仁のスクイズ失敗により三本間で挟まれた際、ロッテの福浦和也のグラブを肘打ちしてボールを弾き飛ばし守備妨害を宣告された[13]
  • 2009年10月10日の日本ハム戦でスタメン落ちし、6点ビハインドの9回表に代打起用された。その際、「6ランホームランを打てということか[14]と激高し、橋上ヘッドコーチへ侮辱の言葉も連発したため登録抹消された[15]。抹消から再登録までは10日以上開かないと登録ができないため、CS第1ステージ出場が不可能になった。リンデンは10月13日に野村監督のもとへ謝罪に訪れるがTシャツ短パンサンダルという服装に加え、態度の悪さから更に怒らせる結果となってしまった。このままポストシーズン出場機会無しかと思われたが10月19日、今度はスーツ姿に身を包み、2度目の謝罪を行い、ようやく野村監督の許しを得た。CS第1ステージはリンデンを欠きながらもソフトバンクを下したため、第2ステージの日本ハム戦からの復帰が決まった。監督批判は厳しい罰則があるものだが、この野村監督批判に対する罰則は登録抹消のみというものだった。なお、野村は謝罪を受け入れた翌々日、城島健司を批判する際に「あいつは人間失格。ジャパニーズリンデンや」と発言している[16]
  • 2010年のオリックスとの開幕3連戦では米国製のバットに自身が契約している国内のメーカーのシールを張った「違反バット」を使用していたことが分かり、プロ野球規則委員会から注意を受けた[17]
  • 2010年8月18日のオリックス戦で福家英登球審に暴言を吐き退場となった後、ベンチ裏でリンデンをなだめようとしたブラウン監督に対して「なぜジャップの肩を持つんだ」と人種差別発言および監督批判を行なった。それまで度々起用法に関して衝突していた事と相まって9月7日に球団から40日間の謹慎と600万円の罰金が科せられた[18]

その他

  • 日本での2年間はトラブルが多かったが、リンデンを実際に取材したフリーライター広瀬真徳は繊細で従順な男だったと振り返っている[19]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 SF 18393828101126000010082.211.231.316.547
2004 1640326510061002050170.156.289.188.477
2005 601871712037804571330101005545.216.280.333.613
2006 61897715214223551020901202.273.356.455.811
2007 3060556101001130000510230.182.250.200.450
FLA 85144129153571147840001401364.271.347.364.712
'07計 1152041842145811581140001911594.245.319.315.634
2009 楽天 7331728447832201214137250032111055.292.366.496.862
2010 531891621830505501810022104643.185.291.309.600
MLB:5年 270559502641162238168368050441814813.231.303.335.638
NPB:2年 126506446651132701719155350253151698.253.338.428.766

年度別守備成績



左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)外野
















































2003 SF 910010.909-630001.000-
2004 760001.000-430001.000-
2005 1822010.957-4092010.989-
2006 40311001.000-1290001.000-
2007 18120001.000923220.92633010.750-
FLA 19250001.0004100001.000850001.000-
'07計 37370001.0001333220.946118010.889-
2009 楽天 ---711223011.000
2010 ---5084110.988
MLB 111106120.9821333220.94673115020.983-
NPB ---121206411.995

記録

NPB

背番号

  • 50(2003年 - 2004年)
  • 39(2005年 - 2007年途中)
  • 26(2007年途中 - 同年終了)
  • 3(2009年 - 2010年)

脚注

関連項目

外部リンク

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