トニーニョ・セレーゾ

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トニーニョ・セレーゾ (Toninho Cerezo) こと、アントニオ・カルロス・セレーゾポルトガル語: Antônio Carlos Cerezo1955年4月21日 - )は、ブラジルミナスジェライス州ベロオリゾンテ出身[1]の元サッカー選手、サッカー指導者。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダーボランチ)。

本名 アントニオ・カルロス・セレーゾ
Antônio Carlos Cerezo
愛称 ヒゲ、セレーゾ
ラテン文字 TONINHO CEREZO
概要 トニーニョ・セレーゾ, 名前 ...
トニーニョ・セレーゾ
名前
本名 アントニオ・カルロス・セレーゾ
Antônio Carlos Cerezo
愛称 ヒゲ、セレーゾ
ラテン文字 TONINHO CEREZO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1955-04-21) 1955年4月21日(71歳)
出身地 ベロオリゾンテ
身長 183cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF (DH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1983 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 112 (12)
1973 ブラジルの旗 ナシオナルFC (loan) 20 (3)
1983-1986 イタリアの旗 ASローマ 70 (13)
1986-1992 イタリアの旗 UCサンプドリア 145 (14)
1992-1993 ブラジルの旗 サンパウロFC 72 (7)
1994-1994 ブラジルの旗 クルゼイロEC 10 (3)
1995-1995 ブラジルの旗 パウリスタFC
1995-1995 ブラジルの旗 サンパウロFC 8 (0)
1996-1996 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
1996-1996 ブラジルの旗 アメリカ・ミネイロ
通算 437 (52)
代表歴
1977-1985 ブラジルの旗 ブラジル 74 (6)
監督歴
1999 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
1999 ブラジルの旗 ECヴィトーリア
2000-2005 日本の旗 鹿島アントラーズ
2006-2006 ブラジルの旗 グアラニFC
2007-2007 サウジアラビアの旗 アル・ヒラル
2008-2009 アラブ首長国連邦の旗 アル・シャバーブ
2009-2010 アラブ首長国連邦の旗 アル・アインFC
2010 ブラジルの旗 スポルチ・レシフェ
2012 ブラジルの旗 ECヴィトーリア
2013-2015 日本の旗 鹿島アントラーズ
1. 国内リーグ戦に限る。
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ブラジル代表のレギュラーとして1978、1982年ワールドカップに出場したが、1986年ワールドカップは負傷で出場できなかった。強固なフィジカルやタックルだけでなく、豊富なスタミナ[2]、長短の正確なパスを武器に活躍した[1]。元オランダ代表のフランク・ライカールトが目標としていた選手であった[3]。利き手は右[4]

選手経歴

1980年代にブラジル代表ではジーコソクラテスパウロ・ロベルト・ファルカンと「黄金のカルテット」を中盤で形成した。ブラジルのアトレチコ・ミネイロでプロのキャリアをスタートさせ[1]、約10年間プレーし、ブラジル代表でも中心選手の一人として、1978年のアルゼンチンワールドカップに中心選手として出場、優勝には届かなかったが、ブラジルの3位に貢献した。1982年のスペインワールドカップにもジーコらと黄金のカルテットの一員として出場したが、セレーゾのミスパスによりロッシに得点を許し[1]、イタリアに敗れた後、全盛期にイタリアのセリエAに渡った。

ASローマ

ASローマではブラジル代表のチームメートであるファルカン、イタリア代表の中心選手ブルーノ・コンティ、ユベントスから移籍のボニエク、とともに中心選手の一人としてプレー。通算成績104試合25得点、2016年にはローマの殿堂入りも果たした[5]

1983-84シーズン、コッパ・イタリアの優勝に貢献[1]UEFAチャンピオンズカップ決勝進出に貢献、決勝でも先発としてプレーしたが決勝ではリヴァプールFCに敗れた。セレーゾは「試合後、ローマサポーターによるグラッツェ、ローマのサポーターソングが響いていたことは、とてもファンタスティックな光景だった。今でも、あの日のことを思い出すぐらいだ」と当時を振り返った[2]

1985-86シーズン、コッパ・イタリアで2度目の優勝に貢献したが、サンプドリアとの決勝第2戦でのけがのため、ブラジル代表として1986年メキシコワールドカップ出場を逃した[1][5]

UCサンプドリア

UCサンプドリアに移り、長年にわたり中心選手として活躍、チーム初のセリエA制覇やカップウィナーズカップ獲得など、ロベルト・マンチーニジャンルカ・ビアリジャンルカ・パリューカらとサンプドリアの黄金期を築いた。加入前には、ACミランと仮契約を結んでいたものの、ミランが翻意したため、サンプドリアへ加入した[6]

1987-88シーズン、コパ・イタリア優勝に貢献[1]

1988-89シーズン、コパ・イタリア優勝に貢献[1]、カップウィナーズカップ決勝の進出に貢献したがFCバルセロナに敗れた。

1989-90シーズン、負傷で決勝には出場できなかったが、カップウィナーズカップ優勝に貢献[1]

1990-91シーズン、怪我で多くの試合を欠場したが[7]、7節のACミランとのゲームでは決勝点を[7] 、26節のSSCナポリとのゲームの先制点、優勝が決定したレッチェとのゲームで先制点となるミドルシュートを決めるなど[7]、12試合の出場ながら、チームのリーグ初優勝に重要な役割を果たした[6]

1991-92シーズン、UEFAチャンピオンズカップ決勝の進出に貢献、決勝でも先発出場し、ペップ・グアルディオラをよく抑えたが[1]ジャンルカ・ビアリが決定的チャンスを3度逃がし[7]FCバルセロナに敗れ、同シーズン限りでサンプドリアを退団した。サンプドリアでは216試合で25得点を記録した[6]

サンパウロFC

1991-92シーズンのセリエA終了後、テレ・サンターナ元ブラジル代表監督の誘いで[1]、母国ブラジルのサンパウロFCに所属、カフー、ミューレルらとともに、サンパウロに多くのタイトルをもたらした。

1992年、リーグ優勝、1992年12月のトヨタカップでは先発出場し、効果的なパスを再三見せるなど[8]、優勝に貢献[8]、同年5月のUCサンプドリア所属時にチャンピオンズカップの決勝で敗れたFCバルセロナに勝利し雪辱を果たした。

1993年、リベルタドーレスカップ優勝、トヨタカップの優勝に貢献。ACミランとの対戦では、ACミランDF陣の隙を突く鋭いパスからミューレルの決勝点となるゴールをアシスト[1][9]、38歳ながら1ゴール1アシストを記録して大会MVPに選ばれた[10]。スーペルコパスダメリカーナ、レコパカップの優勝にも貢献した。

その後は1994年にクルゼイロECでプレー、サンパウロFCへ復帰、最後はアトレチコ・ミネイロでプレー後、1997年に現役を引退した[1]

鹿島の監督時、親友であるマンチーニの引退試合に急遽駆け付け、MVPを受賞した。

指導者経歴

また、1999年にECヴィトーリアの監督に就任して当時2部のクラブを若手主体で州選手権優勝に導いた。

2000年より鹿島アントラーズの監督に就任。就任1年目にJリーグ初の年間3冠(Jリーグ年間王者、ナビスコカップ天皇杯)に輝くなど在任中に合計5冠を獲得した。2005年シーズン終了後に勇退。6シーズンという長期政権をしいた[4]。(2008年に当時ガンバ大阪監督の西野朗に抜かれた。)

2006年よりブラジル・グアラニFCの監督に就任したが、チームの2部降格、フロントとの衝突もあって2ヶ月で退任。

2007年2月にサウジアラビアアル・ヒラルの監督に就任したが、成績不振により2ヶ月で解任。

2008年、UAEアル・シャバーブ・アル・アラビークラブの監督に就任し、チームを優勝に導き、最優秀監督賞を受賞。2009年10月、成績不振を理由に解任された。

2009年12月にUAEのアル・アインFCの監督に就任したが、2010年4月15日、AFCチャンピオンズリーグ2010FCパフタコール・タシュケントに2-3で敗れた直後に解任された。

2011年、イタリア・UCサンプドリアの強化部で一時的にスカウトを務め、その後古巣であるECヴィトーリアの監督に13年ぶりに就任。

2013年、8年ぶりに鹿島の監督に就任。第5節セレッソ大阪戦での勝利により、J1監督100勝目を史上最速で挙げた[4]。外国人監督としてはハンス・オフトを抜いて、最速189試合目での到達となった。2014年は優勝争いをするもわずかに優勝には届かず。2015年7月21日、成績不振により解任[4]。下位クラブへの取りこぼしや、采配のワンパターンぶりを指摘された[11]

人物・エピソード

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1972アトレチコ-MG30
197340
1973ナシオナル-AM203
1974アトレチコ-MG50
1975120
1976192
1977180
1978
197981
1980194
198193
198230
1983112
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1983-84ローマセリエA306
1984-85223
1985-86184
1986-87サンプドリア283
1987-88283
1988-89292
1989-90212
1990-91123
1991-92271
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1992サンパウロ
1993131
1994103
1995パウリスタ3部
1995サンパウロ80
1996アトレチコ-MG
1996アメリカ-MG2部
通算ブラジル
イタリアセリエA
総通算
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代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 57試合 5得点(1977年-1985年)[14]
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ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1977112
1978110
197920
198061
1981132
198290
198300
198400
198550
通算575
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獲得タイトル

脚注

外部リンク

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