1978 FIFAワールドカップ

1978年にアルゼンチンで行われた第11回FIFAワールドカップ From Wikipedia, the free encyclopedia

1978 FIFAワールドカップ: 1978 FIFA World Cup)は、1978年6月1日から6月25日にかけて、アルゼンチンで開催された第11回目のFIFAワールドカップである。

チーム数 16 (5連盟)
開催地数 6 (5都市)
概要 1978 FIFAワールドカップ1978 FIFA World Cup Copa Mundial de Fútbol de 1978, 大会概要 ...
1978 FIFAワールドカップ
1978 FIFA World Cup
Copa Mundial de Fútbol de 1978
大会概要
開催国 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
日程 1978年6月1日 - 6月25日
チーム数 16 (5連盟)
開催地数 6 (5都市)
大会結果
優勝 アルゼンチンの旗 アルゼンチン (1回目)
準優勝 オランダの旗 オランダ
3位 ブラジルの旗 ブラジル
4位 イタリアの旗 イタリア
大会統計
試合数 38試合
ゴール数 102点
(1試合平均 2.68点)
総入場者数 1,545,791人
(1試合平均 40,679人)
得点王 アルゼンチンの旗 マリオ・ケンペス(6点)
 < 19741982 > 
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決勝アルゼンチンオランダであり、延長戦の末、3対1でアルゼンチンが勝利し、史上6か国目の優勝国となった。

予選

出場国

出場選手は1978 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

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大陸連盟出場
枠数
予選
予選順位
出場国・地域出場回数備考
CONMEBOL 1+2.5 開催国 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 2大会連続7回目
最終予選 1位 ブラジルの旗 ブラジル 11大会連続11回目
2位 ペルーの旗 ペルー 2大会ぶり3回目
UEFA 1+8.5 前回優勝国 西ドイツの旗 西ドイツ 7大会連続9回目[1]
欧州予選 1組 1位 ポーランドの旗 ポーランド 2大会連続3回目
2組 1位 イタリアの旗 イタリア 5大会連続9回目
3組 1位 オーストリアの旗 オーストリア 5大会ぶり4回目
4組 1位 オランダの旗 オランダ 2大会連続4回目
5組 1位 フランスの旗 フランス 3大会ぶり7回目
6組 1位 スウェーデンの旗 スウェーデン 3大会連続7回目
7組 1位 スコットランドの旗 スコットランド 2大会連続4回目
8組 1位 スペインの旗 スペイン 3大会ぶり5回目
9組 1位 ハンガリーの旗 ハンガリー 3大会ぶり7回目
CONCACAF 1 最終予選 1位 メキシコの旗 メキシコ 2大会ぶり8回目
CAF 1 最終予選 1位 チュニジアの旗 チュニジア 初出場
AFC/OFC 1 最終予選 1位 イランの旗 イラン 初出場
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  • 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会

概要

前回の西ドイツ大会と同じ大会方式が採用された。16チームが地区予選を通じて選ばれ、4つごとに4グループに分けられた。各グループの1位と2位が通過し、8チームは4つごとに2グループに分けられた。各組の1位が決勝戦を争い、2位は3位決定戦を戦う。また今大会よりPK戦が導入された[2][3]。ただし3位決定戦も決勝も延長までに決着がついたので、本大会でのPK戦の機会はなかった[4]

第1回大会での準優勝以来、出場はするものの今一つ芳しい成績を挙げていなかったアルゼンチンにとって初の地元開催は優勝を狙う絶好の機会であっただけに、アルゼンチンサッカー協会は代表監督にセサル・ルイス・メノッティを招聘。発足したばかりの軍事政権からも諸外国への宣伝のために優勝を厳命された彼は、ダーティなラフプレーで悪名高かったアルゼンチン・サッカーを攻撃サッカーへと変貌させるべく、首都ブエノスアイレスのビッグクラブに所属する選手や海外でプレーする有力選手ばかりを大会直前に慌しくかき集めていた従来の選抜方式をやめ、地方の小さなクラブも丹念に回り人材発掘に傾注。そしてリカルド・ビジャノルベルト・アロンソレネ・オウセマンといった当時のスター選手を招集はしたが重用せず、レオポルド・ルケダニエル・パサレラオズワルド・アルディレスホルヘ・マリオ・オルギンダニエル・ベルトーニアルベルト・タランティーニルイス・ガルバンアメリコ・ガジェゴら代表経験のない無名の若手選手に代表の運命を託すという賭けに出た。軍事政権の全面協力を取り付けたメノッティは選手の海外移籍を禁じ、国内での入念な合宿を敢行して代表メンバーの結束を図った。

前回大会の経験者としてはGKウバルド・フィジョールに唯一の海外プレーヤーであるFWマリオ・ケンペス(と控えのレネ・オウセマン)を加えただけの若い代表チームだったが、優勝への道程は険しいものとなった。1次リーグでは、ハンガリーフランスイタリアと強豪ひしめくグループ1に組み込まれた上に、ケンペスが不発だったこともあって、予想以上の苦戦を強いられた。ルケらの活躍によりハンガリー戦、フランス戦には連勝したものの、ルケが負傷欠場した最終のイタリア戦に敗れグループ2位での2次リーグ進出となった。

八百長の疑惑

これにより首都ブエノスアイレスを離れロサリオへの転戦を余儀なくされたが、結果的に見ればこの1次リーグにおける苦戦とロサリオ転戦が若手主体の代表チームを急成長させることになった。さらにこの2次リーグで“エル・マタドール(闘牛士)”の異名を取るケンペスが復調した。彼にとってロサリオのスタジアム「ヒガンテ・デ・アロジート」はかつての古巣CAロサリオ・セントラルの本拠地であり、首都以上に馴染み深い場所だったのが大きかった。かくしてケンペスはポーランド戦2得点、ペルー戦2得点を挙げる大活躍を見せる。特に2次リーグ最終戦のペルー戦では4点差以上で勝たなければ決勝進出の夢を断たれるという絶体絶命のピンチに追い込まれたが、6-0スペイン語版と圧勝したこと(軍事政権がペルーを買収した八百長の疑い)が大きくものを言って同組ライバルのブラジルを得失点差で上回り、決勝進出を決めた[5]。ペルー代表選手ベラスケスの暴露によると八百長はアルゼンチンのビデラ大統領とペルーのベルムーデス大統領の間で決めらた。ペルーのカルデロン監督はセンターフォワードが一人もいない布陣とした。試合直前に、ペルーのロッカールームにアルゼンチンのビデラ大統領が選手激励に訪れている。また、米国キッシンジャー元国務長官も同席した。ペルーのロッカールームにおいてアルゼンチンのビデラ大統領がペルーのベルムーデス大統領の祝辞「我々は同盟国だ。アルゼンチンが優勝しなければ、大変なことが起こる」と読み上げた。キッシンジャーはアルゼンチン優勝で東西冷戦の均等を希望した。ベラスケスは、「多数が買収されて八百長をした」と、実名を述べている。また、ブラジル代表のリベリーノはコウチーニョ監督からペルー戦・アルゼンチン戦・ポーランド戦の出場を認められず、アルゼンチンの決勝進出決定後の3位決定戦で出場停止が解けた[6][7][8]


決勝のオランダ戦でもケンペスの勢いは止まらず、2得点を決め延長の末に3対1で勝利し、初優勝を果たした。通算で6得点を挙げたケンペスは優勝国から出た初の単独得点王となった。メノッティは軍事政権から与えられた使命を果たし、攻撃的なサッカーで優勝するという賭けに勝った。

名将エルンスト・ハッペルが率いたオランダはニースケンスクロルレンセンブリンクレップハーンヤンセンら前回メンバーの大半が健在であり、トータルフットボールが影を潜めた1次リーグではスコットランドに敗れるなど少々もたついたものの2次リーグに入って調子を上げ、粘り強く決勝まで勝ち残った。しかし、1974年西ドイツ大会に続き2大会連続で開催国相手に決勝戦で敗れる結果となった。トータルフットボールの中心的存在だったヨハン・クライフがアルゼンチン軍事政権の弾圧政策に反対する立場から出場しなかった(後に子どもの誘拐未遂事件に遭ったためだったことを明らかにした[9])ことが結果的に大きく響いた。

前回優勝国の西ドイツフランツ・ベッケンバウアーが大会直前に代表を引退し(当時ニューヨークコスモスに在籍し、ペレ及びベッケンバウアーは、キッシンジャー(米国)からの不参加の要請を拒否できなかった。)、ベルティ・フォクツが主将を引き継いでチームを牽引した。しかし、2次リーグ最終戦、オーストリア戦で、フォクツ自ら痛恨のオウンゴールを献上し、ハンス・クランクルに2得点を許したことが響いて2対3の逆転負け、ベスト4進出目前で敗退した。

ブラジルは70年大会優勝時の攻撃力には及ばないものの、ジーコジルセウロベルト・ディナミッチトニーニョ・セレーゾオスカルレオンらを中心とし、無敗のまま2次リーグを終える強さで歴代最多優勝国の意地を見せた。ホスト国をあと1歩まで追い詰めたが、最後は得失点差により3位に終わった。

監督のエンツォ・ベアルツォットに率いられ、ヨーロッパ地区予選でイングランドに競り勝って出場を決めたイタリアは、ベッテガアントニョーニらアタッカー陣とGKゾフ、DFカブリーニシレアらディフェンス陣との攻守バランスが程よく取れており、今大会で地元アルゼンチンを破った唯一のチームとなった。2次リーグ最終戦でオランダに逆転負け、3位決定戦でもブラジルに敗れて4位に終わったが、メンバーの大半はそのまま残り、次回スペイン大会では優勝を果たした。

1次リーグの対オランダ戦で、スコットランドアーチー・ゲミルが決めた得点シーンは映画『トレインスポッティング』の中で演出として使われた。2次リーグに進むためにはスコットランドは3点差が必要であり、ゲミルの得点が試合を3対1にした。しかし、その後オランダが1点を返し、3対2となり、スコットランドは1次リーグで姿を消した。

なお、今大会でブラジルからジーコ、西ドイツからカール=ハインツ・ルンメニゲ、イタリアからパオロ・ロッシ、フランスからミシェル・プラティニが期待の若手として本大会デビューを果たし、各々ゴールも決めている。

しかし、直前に勃発した政情不安、軍事政権による介入など暗い影を落としたこの大会は今日においても「ワールドカップ史上最も汚い大会」と、南米では頻繁に非難されている。

結果

1次リーグ

グループ 1

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チーム







1イタリアの旗 イタリア  6330062+4
2アルゼンチンの旗 アルゼンチン 4320143+1
3フランスの旗 フランス  23102550
4ハンガリーの旗 ハンガリー  0300338-5
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アルゼンチン アルゼンチンの旗 2 - 1 ハンガリーの旗 ハンガリー
ルケ 14分にゴール 14分
ベルトーニ 83分にゴール 83分
レポート チャポー 9分にゴール 9分
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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 71,615人
主審: ポルトガルの旗 Antonio Garrido

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イタリア イタリアの旗 3 - 1 ハンガリーの旗 ハンガリー
ロッシ 34分にゴール 34分
ベッテガ 36分にゴール 36分
ベネッティ 60分にゴール 60分
レポート トート 81分にゴール 81分 (PK)
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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 71,666人
主審: スイスの旗 Jean Dubach

1978年6月10日
14:30
(45分遅れ)
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フランス フランスの旗 3 - 1 ハンガリーの旗 ハンガリー
ロペス 23分にゴール 23分
ベルドール 38分にゴール 38分
ロシュトー 42分にゴール 42分
レポート ゾンボリ 41分にゴール 41分
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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 71,712人
主審: イスラエルの旗 Abraham Klein

グループ 2

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チーム







1ポーランドの旗 ポーランド  5321041+3
2西ドイツの旗 西ドイツ  4312060+6
3チュニジアの旗 チュニジア  3311132+1
4メキシコの旗 メキシコ  03003212-10
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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 67,579人
主審: アルゼンチンの旗 Angel Norberto Coerezza

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チュニジア チュニジアの旗 3 - 1 メキシコの旗 メキシコ
アリ・カアビ 55分にゴール 55分
ゴミド 80分にゴール 80分
ドゥイブ 86分にゴール 86分
レポート バスケス・アジャラ 45分にゴール 45分 (PK)
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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 17,396人
主審: スコットランドの旗 John Gordon

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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 35,258人
主審: シリアの旗 Farouk Bouzo

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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 9,624人
主審: スペインの旗 Angel Franco Martinez

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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 30,667人
主審: ペルーの旗 Cesar Guerrero Orosco

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ポーランド ポーランドの旗 3 - 1 メキシコの旗 メキシコ
ボニエク 42分にゴール 42分, 83分
デイナ 56分にゴール 56分
レポート ランヘル 51分にゴール 51分
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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 22,651人
主審: イランの旗 Jaffar Namdar

グループ 3

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チーム







1オーストリアの旗 オーストリア     4320132+1
2ブラジルの旗 ブラジル 4312021+1
3スペインの旗 スペイン 33111220
4スウェーデンの旗 スウェーデン 1301213-2
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オーストリア オーストリアの旗 2 - 1 スペインの旗 スペイン
シャフナー 10分にゴール 10分
クランクル 79分にゴール 79分
レポート ダニ 21分にゴール 21分
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スウェーデン スウェーデンの旗 1 - 1 ブラジルの旗 ブラジル
ショーベリ 37分にゴール 37分 レポート レイナウド 45分にゴール 45分
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グループ 4

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チーム







1ペルーの旗 ペルー 5321072+5
2オランダの旗 オランダ 3311153+2
3スコットランドの旗 スコットランド 3311156-1
4イランの旗 イラン 1301228-6
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ペルー ペルーの旗 3 - 1 スコットランドの旗 スコットランド
クエト 43分にゴール 43分
クビジャス 70分にゴール 70分, 76分
レポート ジョーダン 19分にゴール 19分
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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 37,927人
主審: スウェーデンの旗 Ulf Eriksson

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オランダ オランダの旗 3 - 0 イランの旗 イラン
レンセンブリンク 40分にゴール 40分 (PK), 62分, 78分 (PK) レポート
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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 33,431人
主審: メキシコの旗 Gonzalez Archundia

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スコットランド スコットランドの旗 1 - 1 イランの旗 イラン
エスカンダリアン43分にゴール 43分 (OG) レポート ダナエイファルド 60分にゴール 60分
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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 7,938人
主審: セネガルの旗 Youssou N'Diaye

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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 28,125人
主審: 東ドイツの旗 Adolf Prokop

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ペルー ペルーの旗 4 - 1 イランの旗 イラン
ベラスケス 2分にゴール 2分
クビジャス 36分にゴール 36分 (PK), 39分 (PK), 79分
レポート ロウシャン 41分にゴール 41分
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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 21,262人
主審: ポーランドの旗 Alojzy Jarguz

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スコットランド スコットランドの旗 3 - 2 オランダの旗 オランダ
ダルグリッシュ 44分にゴール 44分
ゲミル 46分にゴール 46分 (PK), 68分
レポート レンセンブリンク 34分にゴール 34分 (PK)
レップ 71分にゴール 71分
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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 35,130人
主審: オーストリアの旗 Erich Linemayr

オランダが得失点差でスコットランドを上回り第2ラウンドへ

2次リーグ

グループ A

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チーム







1オランダの旗 オランダ 5321094+5
2イタリアの旗 イタリア 33111220
3西ドイツの旗 西ドイツ 2302145-1
4オーストリアの旗 オーストリア 2310248-4
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オランダ オランダの旗 5 - 1 オーストリアの旗 オーストリア
ブランツ 6分にゴール 6分
レンセンブリンク 35分にゴール 35分 (PK)
レップ36分にゴール 36分, 53分
W.ファン・デ・ケルクホフ 82分にゴール 82分
レポート オーベルマイヤー 80分にゴール 80分
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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 25,050人
主審: スコットランドの旗 John Gordon

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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 67,547人
主審: ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 Dušan Maksimović

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西ドイツ 西ドイツの旗 2 - 2 オランダの旗 オランダ
アブラムツィク 3分にゴール 3分
D.ミュラー 70分にゴール 70分
レポート ハーン 27分にゴール 27分
R.ファン・デ・ケルクホフ 82分にゴール 82分
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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 40,750人
主審: ウルグアイの旗 Ramon Barreto

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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 66,695人
主審: ベルギーの旗 Francis Rion

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エスタディオ・オリンピコ・シャトー・カレーラスコルドバ
観客数: 38,318人
主審: イスラエルの旗 Abraham Klein

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オランダ オランダの旗 2 - 1 イタリアの旗 イタリア
ブランツ 49分にゴール 49分
ハーン 76分にゴール 76分
レポート ブランツ19分にゴール 19分 (OG)
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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 67,433人
主審: スペインの旗 Angel Franco Martinez

グループ B

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チーム







1アルゼンチンの旗 アルゼンチン 5321080+8
2ブラジルの旗 ブラジル 5321061+5
3ポーランドの旗 ポーランド 2310225-3
4ペルーの旗 ペルー 03003010-10
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ブラジル ブラジルの旗 3 - 0 ペルーの旗 ペルー
ジルセウ 15分にゴール 15分, 27分
ジーコ 72分にゴール 72分 (PK)
レポート
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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 31,278人
主審: ルーマニアの旗 Nicolae Rainea

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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 37,091人
主審: スウェーデンの旗 Ulf Eriksson

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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 35,288人
主審: イングランドの旗 Pat Partridge

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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 37,326人
主審: ハンガリーの旗 Karoly Palotai

さらに見る 3 - 1 ...
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エスタディオ・マルヴィナス・アルヘンティナスメンドーサ
観客数: 39,586人
主審: チリの旗 Juan Silvagno Cavanna

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エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートロサリオ
観客数: 37,315人
主審: フランスの旗 Robert Wurtz

アルゼンチンが得失点差でブラジルを上回り決勝へ進出

3位決定戦


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エスタディオ・モヌメンタルブエノスアイレス
観客数: 69,659人
主審: イスラエルの旗 Abraham Klein

決勝


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アルゼンチン アルゼンチンの旗 3 - 1
(延長)
オランダの旗 オランダ
ケンペス 37分にゴール 37分, 104分
ベルトーニ 115分にゴール 115分
レポート ナニンハ 82分にゴール 82分
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アルゼンチン
オランダ
GK5ウバルド・フィジョール
RB15ホルヘ・マリオ・オルギン
CB7ルイス・ガルバン
CB19ダニエル・パサレラ captain
LB20アルベルト・タランティーニ
DM6アメリコ・ガジェゴ
CM2オズワルド・アルディレス40分に警告 40分66分に交代退場 66分
AM10マリオ・ケンペス
RW4ダニエル・ベルトーニ
LW16オスカル・オルティス75分に交代退場 75分
CF14レオポルド・ルケ
控え選手:
MF1ノルベルト・アロンソ
GK3エクトル・バレイ
MF8ルベン・ガルバン
MF9レネ・オウセマン75分に交代出場 75分
MF12オマール・ラロッサ93分に警告 93分66分に交代出場 66分
監督:
セサル・ルイス・メノッティ
GK8ヤン・ヨングブルート
SW5ルート・クロル captain15分に警告 15分
RB6ビム・ヤンセン73分に交代退場 73分
CB22エルニー・ブランツ
LB2ヤン・ボールトフリート96分に警告 96分
RM13ヨハン・ニースケンス
CM9アリー・ハーン
LM11ウィリー・ファン・デ・ケルクホフ
RF10レネ・ファン・デ・ケルクホフ
CF16ヨニー・レップ58分に交代退場 58分
LF12ロブ・レンセンブリンク
控え選手:
DF4アドリー・ファン・クラーイ
DF17ヴィム・ライスベルヘン
FW18ディック・ナニンハ58分に交代出場 58分
GK19ピム・ドゥースベルフ
DF20ヴィム・シュルビア94分に警告 94分73分に交代出場 73分
監督:
オーストリアの旗 エルンスト・ハッペル

優勝国

 1978 FIFAワールドカップ優勝国 

アルゼンチン
初優勝

得点ランキング

表彰

個人賞

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選手名国籍備考
ゴールデンボール(大会MVP)マリオ・ケンペスアルゼンチンの旗 アルゼンチン優勝
シルバーボールパオロ・ロッシイタリアの旗 イタリア4位
ブロンズボールジルセウブラジルの旗 ブラジル3位
ゴールデンシューズ(得点王)マリオ・ケンペスアルゼンチンの旗 アルゼンチン6得点
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批判・問題点・トラブル

政治的混乱と人権

1978年のワールドカップをめぐる論争の一つとして、大会のわずか2年前(1976年)にイサベル・ペロン政権がクーデターによって軍事独裁政権(国家再編プロセスと呼ばれる)に取って代わられたことだった。軍事政権が政権を掌握してからワールドカップ開幕までの間、外国人ジャーナリストたちは、政権が左派勢力を排除しようとする中で、アルゼンチンの新聞記者や編集者をどのように扱っているのかを懸念しており、新政権は、自分たちを弱体化させようとするあらゆる社会勢力を標的にした[10]。ワールドカップ開催前の1977年9月アルバノ・ハルギンデギー英語版内務大臣は、5,618人が行方不明になったと発表したが、悪名高き海軍高等機械学校英語版では汚い戦争の強制収容所囚人が収容されており、囚人たちはわずか1マイル(約1.6キロ)離れたリバープレートのモニュメンタル・スタジアムで行われる試合の観衆の歓声を聞くことができたと伝えられている[11]。これは、1936年のベルリンオリンピック1934年のFIFAワールドカップにおけるアドルフ・ヒトラーベニート・ムッソリーニによるスポーツウォッシングと比較されることになった[12]。また、軍事政権は設立当初から検閲を実施しており、アルゼンチンの実際の状況に関する報道を減らすよう促し、これはアルゼンチン国民の性格を変えようとする試みとして行われていた[10]

ワールドカップ開催のわずか数ヶ月前、軍事政権は国民からの政府へのあらゆる批判を封じ込めるためのキャンペーンを開始したが、大会期間中、政権は権威主義的な姿勢を示して世界中から批判を受けることを避けるため、この作戦を中止したが、国際的な新聞や人権団体は既に、ワールドカップ開催国としてのアルゼンチンを批判していた[13]

ウィル・ハーシーの記事「1978年アルゼンチン大会を振り返る:史上最も汚いワールドカップ」より[14]

アルゼンチンハンガリーのグループには、優勝候補筆頭のフランスイタリアが同組となり、大会で最も厳しい予選グループとなった。ハンガリーに勝利した後、ある軍事政権幹部がレオポルド・ルケに「君にとっては、このグループは死のグループになるかもしれない」と、笑みを浮かべながら言った。「その日の午前中、親しい友人の兄弟が行方不明になったことが頭をよぎった」とルケは回想する。「彼の遺体は後にラプラタ川の岸辺で村人によって発見された。両足にコンクリートがくっつけられていた。当時、政権反対派は飛行機から海に投げ落とされることもあった」ウィル・ハーシー

抗議

軍事政権による政情不安のため、オランダスウェーデンをはじめとする一部の代表チームは、大会への参加の是非を公に検討したが、最終的には全チームが制限なく参加した[15]。当時世界的にトッププレイヤーだったヨハン・クライフが、1978年のFIFAワールドカップ予選には出場していたにもかかわらず、本大会への出場を拒否したが、クライフが政治的信念のために出場を拒否したという疑惑は、30年後に彼自身によって否定されており、大会の数ヶ月前、彼と家族誘拐未遂事件の被害に遭っており、バルセロナの自宅に夜中に複数の犯人が押し入り、銃を突きつけて彼と家族を縛り上げるという事件が起きていた[16]

五月広場の母たち英語版のメンバーであるエンリケータ・マロニ英語版は、オランダのテレビインタビューで独裁政権の犯罪について率直に語ったことで国際的に知られるようになった[17]

ラテンアメリカヨーロッパ以外では、米国カナダオーストラリアの人権団体も独裁政権の犯罪に注目を集めるための独自のキャンペーンを開始し、北米各地のアムネスティ・インターナショナル支部は、強制失踪に関するファクトシートを公表し、FIFAと各国政府にアルゼンチンの弾圧を非難するよう圧力をかけるための手紙を書く運動を組織した[18]

脚注

外部リンク

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