ドレーニャ・デル・コッリオ
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| ドレーニャ・デル・コッリオ Dolegna del Collio | |
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| 行政 | |
| 国 |
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| 州 |
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| 県/大都市 |
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| CAP(郵便番号) | 34070 |
| 市外局番 | 0481 |
| ISTATコード | 031004 |
| 識別コード | D321 |
| 分離集落 | #分離集落参照 |
| 隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
| 公式サイト | リンク |
| 人口 | |
| 人口 | 306 人 (2023-01-01 [1]) |
| 人口密度 | 24.5 人/km2 |
| 文化 | |
| 住民の呼称 | dolegnesi |
| 守護聖人 |
聖ジュゼッペ (San Giuseppe) |
| 祝祭日 | 3月19日 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯46度02分 東経13度29分 / 北緯46.033度 東経13.483度座標: 北緯46度02分 東経13度29分 / 北緯46.033度 東経13.483度 |
| 標高 | 90 (65 - 328) [2] m |
| 面積 | 12.49 [3] km2 |
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ドレーニャ・デル・コッリオ(伊: Dolegna del Collio)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約300人の基礎自治体(コムーネ)。
標準イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。
イタリア語での地名に含まれる「コッリオ」は、国境線を跨いで隣接するスロベニアの自治体(オプチナ)・ブルダ市のイタリア語名称であり、またそれを中心とする地方名 (it:Collio (territorio)) でもある。この一帯はヴェネツィア・ジュリアの一部であり、第二次世界大戦後にスロベニア(ユーゴスラビア)領とイタリア領に分割された。同様に「コッリオ」を含むコムーネとしては、ブルダ市を挟んで東南にサン・フロリアーノ・デル・コッリオがある。
地理
位置・広がり
ゴリツィア県の最北部に位置するコムーネである。ドレーニャ・デル・コッリオの集落は、ドブロヴォ(スロベニア領ブルダ市)の北西約5km、コルモンスの北約8km、県都ゴリツィアの北西約15km、ウーディネの東約19kmの位置に位置する [5]。
コムーネの領域はゴリツィア県が北へ突出した形になっており、東は国境を隔ててスロベニア、西はルドリオ川(Torrente Ludrio)を境界としてウーディネ県である。
隣接コムーネ
隣接コムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。括弧内のSLOはスロベニア領、UDはウーディネ県を示す。
- ブルダ (Collio) (SLO) - 東
- コルモンス - 南
- コルノ・ディ・ロザッツォ (UD) - 南西
- プレポット (UD) - 北西
気候分類・地震分類
ドレーニャ・デル・コッリオにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2282 GGである[6]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される[7]。
歴史
この地域は、第一次世界大戦後の1920年にイタリア王国に編入された。1923年にドレーニャ・デル・コッリオという名称になり、1928年にはコスバーナ・デル・コッリオ(現在のスロベニア領ブルダ市の集落、コズバナ Kožbana)のコムーネを編入した。
第二次世界大戦後の1947年、パリ条約によってこの地域のユーゴスラビアとイタリアの国境が決定された。その結果、旧コスバーナ・デル・コッリオのほぼ全域(Mernico と Scriò を除く)と、もともとのドレーニャ・デル・コッリオの一部(Cursò と Nebola)がユーゴスラビア領となった。なお、この時ユーゴスラビアに割譲された地域はその後スロベニアの領土となり、現在はブルダ市に含まれている。

