ナイジェリア生徒拉致事件

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座標 北緯10度51分57秒 東経12度50分49秒 / 北緯10.86583度 東経12.84694度 / 10.86583; 12.84694座標: 北緯10度51分57秒 東経12度50分49秒 / 北緯10.86583度 東経12.84694度 / 10.86583; 12.84694
概要 250人以上の女子生徒がイスラム武装勢力により拉致
ナイジェリア生徒拉致事件
誘拐された生徒の親
場所 ナイジェリア ボルノ州 チボク
座標 北緯10度51分57秒 東経12度50分49秒 / 北緯10.86583度 東経12.84694度 / 10.86583; 12.84694座標: 北緯10度51分57秒 東経12度50分49秒 / 北緯10.86583度 東経12.84694度 / 10.86583; 12.84694
日付 2014年4月15日
概要 250人以上の女子生徒がイスラム武装勢力により拉致
行方不明者 223
犯人 ボコ・ハラム
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ナイジェリア生徒拉致事件(ナイジェリアせいとらちじけん)は、2014年4月の14日夜から翌15日にかけてボルノ州の公立中高一貫女子学校から276名の女子生徒が拉致された事件である。ナイジェリア北東部を拠点に活動する、イスラーム過激派タクフィリ英語版思想家集団からなるテロ組織ボコ・ハラムの手により犯行声明が出された。

反乱組織ボコ・ハラムは西洋式の非イスラム教育に反対しており、ナイジェリア政府の続ける欧化政策が彼らの引き起こすテロ行為の要因となっていた[1]。度重なるボコ・ハラムの攻撃によって今までに何千人もの死者が発生しており、2013年5月には連邦政府は反乱組織との戦闘が行われているボルノ州にて非常事態を宣言した[2]。締め付けの強化により数百名に及ぶボコ・ハラムのメンバーが逮捕あるいは殺害されるに至ったが、一方で山岳地帯へと追いやられた組織は民間人を目標とする攻撃を増やした[3]。結局のところこの掃討作戦は国内を安定させるまでには至らなかった。マリ北部紛争に対応したフランス軍の圧迫をうけた国外のボコ・ハラムのメンバーやAQIM(イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構)のテロリストらがナイジェリアに流入したことも治安の維持を困難にさせる一因となっていた[4][5]

2010年よりボコ・ハラムは学校を攻撃目標とするようになり数百名もの生徒を殺害した。組織は、政府がイスラム教的な教育を妨げる限り今後も学校に対する攻撃を続けていくと発表。ボコ・ハラムの活動により一万人の子供たちが登校困難な状況に陥った[1]。またボコ・ハラムは、女性は教育を受けるべきではないという思想から少女を誘拐し、料理担当や性的奴隷として従事させていることも知られている[4]

ボコ・ハラムの攻撃は2014年から激しくなり、2月にはドロンバガ英語版イグヘ英語版の村々で100名を超えるキリスト教徒の男たちが殺害された[4]。また同月、ナイジェリア北東部で起きた連邦大学襲撃事件英語版では59名の少年が殺害された[6]。3月には組織はギワにあるナイジェリア軍兵舎を襲撃、拘束されていたボコ・ハラム兵士を解放した[4]。4月14日、アブージャの爆破テロ事件英語版が発生、少なくとも88名が死亡した。そのまさに同日、ナイジェリア生徒拉致事件は発生した[7]。ボコ・ハラムは2014年だけで4000人近くを殺害しているとされる(4月21日現在)[4]。前述のAQIM、すなわちイスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構とアラビア半島のアルカーイダから訓練を受けたことでその活動が過激化したとみられている[8]

拉致事件の発生

破壊された学校

2014年4月14日夜から翌15日にかけて、ボコ・ハラムの民兵集団がナイジェリア、チボクにある公立の女学校を襲撃した。集団は学校に押し入り警備に当たっていた警察官数名[9]、そして兵士一人を殺害した[10]。多数の生徒がトラックに押し込められ、ボコ・ハラムの要塞化された拠点があることで知られるサンビサ森林英語版内のコンドゥガ英語版地区へと連れて行かれたものとみられている[10]。また、チボクでは事件の中で家々も焼き尽くされていた[7]。事件に先立ち、治安の悪化により学校は四週間にわたって閉鎖されていたが、物理の修了試験を受けるために複数の学校から生徒が集められていた[7][11][12]

近隣の村々から530名の生徒が後期中等教育認定試験に登録していたことが分かっているが、そのうちの何名が襲撃の時間に現場に居合わせたかははっきりしていない[13]。少女たちは16歳から18歳の卒業を控えた生徒だった[14]。第一報では85名の生徒が拉致被害に遭ったとされた。週末、4月19日になると軍は129名の被害者のうち100名以上が解放されたと発表したがそれは撤回され、21日になると生徒の保護者たちは234名の女生徒たちが行方不明であると発表した[4]。二回にわたり何人かの生徒のグループがテロリストからの逃亡に成功している[15]。警察によれば5月2日現在、被害者は276名、うち53名が自力で戻ってきているという[13]。 別の報告では329名の少女が誘拐され、53名が逃亡に成功し276名がいまだ行方不明であるとしている[12][16]

後にアムネスティ・インターナショナルは、ナイジェリア軍は事件発生の4時間も前に襲撃計画の情報をつかんでいながら、学校を守るに足るだけの戦力の増援に失敗したという報告をまとめている[17]。ナイジェリア軍は4時間前に襲撃計画をつかんでいたことを認めたうえで、限界を超えて広範囲に展開している軍に援軍を送る能力は無かったとしている[18]

事件後

脚注

外部リンク

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