ナゴヤアバンガルドクラブ
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結成と活動
写真部会と分裂
写真部会は本クラブの重要な構成要素であり、この部門から1939年2月にナゴヤ・フォトアバンガルドが独立した[3][4]。 山本悍右は1937年11月のクラブ結成時に写真部会に加わり、その後ナゴヤ・フォトアバンガルドにも参加した[5][3]。 しかし、戦時下の状況が強まるなかで、坂田稔の側が「写真による革新」と「民族主義」の交叉を志向する方向へ転じると、山本はその決定を受け入れず、1939年秋に坂田と訣別した[6][7]。 山本はのちにこの時期を回想して、「写真による革新と民族主義の交合。そういうことが考えられるのか。その決定にぼくは納得することができなかった」と記している[7]。 ナゴヤ・フォトアバンガルドはその後「名古屋写真文化協会」と改称し、1941年に解散した[7]。 本クラブ自体は第1回展と機関誌第1号を残したのち、1939年4月までに分裂・解散した[2]。 下郷と山中の周辺から離れた画家たちは、同年の美術文化協会結成に合流し、あわせて逎誘会を結成した[2]。