ニック・アルトロック

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生年月日 (1876-09-15) 1876年9月15日
没年月日 (1965-01-20) 1965年1月20日(88歳没)
ニック・アルトロック
Nick Altrock
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1876-09-15) 1876年9月15日
没年月日 (1965-01-20) 1965年1月20日(88歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
197 lb =約89.4 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 投手
プロ入り 1898年
初出場 1898年7月14日
最終出場 1933年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ワシントン・セネタース (1912 - 1953)

ニコラス・アルトロックNicholas Altrock, 1876年9月15日 - 1965年1月20日)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手投手)。左投両打。

シカゴ・ホワイトソックスに在籍していた頃の1904年から1906年という短い間、活躍した投手の一人だった。1906年はレギュラーシーズンにおいて20勝13敗、防御率2.06を記録し、同年のワールドシリーズではシカゴ・カブスに対して1勝1敗、防御率はシリーズ最高の1.00を記録し、ワールドシリーズ制覇の原動力となった。

1906年ワールドシリーズの第1戦目、4安打に抑えたアルトロックを群衆から守る警察官。彼らが内野にいることに注意されたい。当時、観客は試合終了後に球場のフィールドを歩くことが常であった。

1906年シーズン後に腕を痛めたことにより選手生命を棒に振り、1908年以降はほとんど投げることがなくなったが、それでも1924年までホワイトソックスとワシントン・セネタースにて投手を務め、さらに1933年に57歳になる時までたまに代打で出場した(その時の相手の中には、フィラデルフィア・アスレチックスルーブ・ウォルバーグ英語版もいた)。

1912年にセネタースのコーチとなり、ワシントンD.C.にて1953年までの42年間を過ごした。これは、メジャー史上、同じフランチャイズにて連続した期間をコーチを務めた最長記録である。

コーチ時代はアル・シャハト英語版とともにコーチャーズボックスでおどけたことで「野球界のピエロの王子」として知られるようになった。球団の公式マスコットによるフィールドでのコミカルなアトラクションが行われるようになるのは、これから10年以上後のことである。シャットとアルトロックはおふざけをコミカルなアトラクションによるヴォードヴィルの域にまで高めたが[1]、皮肉にも二人はコラボレーションを積み重ねていくうちに個人的な悪感情を募らせてしまい、最終的にはフィールドでお互いに口を利かないようになってしまった。彼らがジャック・デンプシージーン・タニーの世界ヘビー級タイトルをかけた有名なボクシングの試合を真似た際、お互いに雨のようにパンチを浴びせ、まったく手加減していないように見えたという[2]

セネタースのコーチ時代、アルトロックが言ったとされる次のような皮肉が野球に関するいくつかの書籍に収められているが、作り話の逸話である。ある打者が放った打球がスタンドに入ったが、それがフェアなのかファウルなのかわからなかった。普段からアルトロックにからかわれていた審判は宣告を行い、直後に女性がスタンドから担架で運ばれてきた。審判は、打球が女性に当たったのかとアルトロックに尋ねた。すると彼ははっきり聞こえる声でこう言った。「いや。君の宣告によって女性はショックで意識を失ったんだよ。」

メジャーリーグにてプレーした最後の年となった1933年当時、彼はそれまでにメジャーに在籍した選手の中で史上2番目に高齢の選手となっていた。

1965年1月20日、ワシントンD.C.にて88歳で死去。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1898 LOU 11760--330--.50031470.089221--3135054354.501.57
1902 BOS 3210--021--.0007818.01907--15001342.001.44
1903 11100010--.000408.01304--03001089.002.13
CWS 12861--430--.57128371.059319--3192035172.151.10
'03計 13971--440--.50032379.072323--0222045252.851.20
1904 3836316--19141--.5761194307.0274248--387701171012.961.05
1905 3834313--23120--.6571228315.2274363--2976089661.881.07
1906 3830254--20130--.6061119287.2269042--3995095662.061.08
1907 3021151--7132--.350843213.2210331--2614076612.571.13
1908 231381--572--.417532136.0127218--2212155412.711.07
1909 11100010--.000349.01601--0200655.001.89
WS2 9520--130--.25017138.05505--190023235.451.58
'09計 10630--140--.20020547.07106--1110029285.361.64
1912 10000010--.00071.0102--00002218.003.00
1913 40000000------419.0704--1200555.001.22
1914 10000000------41.0300--0000000.003.00
1915 10000001------173.0701--0200439.002.67
1918 53100120--.3339924.02416--15001183.001.25
1919 10000000------40.0400--000044--------
1924 10000000------82.0400--0000100.002.00
MLB:16年 21816112816*083757--.52560161514.0145516272--224253116004492.671.14
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

年度別守備成績



投手(P)一塁(1B)左翼(LF)右翼(RF)
















































1898 LOU 11326021.000---
1902 BOS 31821.818---
1903 126001.000---
CWS 1253831.935---
'03計 1374431.944---
1904 384311453.96910000------
1905 3830130210.988140001.000--
1906 382610245.970130001.000--
1907 30268950.958---
1908 23206730.967---
1909 104001.000---
WS2 971220.905-120001.00032010.667
'09計 1071620.920-120001.00032010.667
1912 10000----13010.750--
1913 41410.833---
1914 10000-------
1915 10000-------
1918 53811.91710000------
1919 10000-------
1924 10210.667---
1929 ---10000----
MLB 2181676102923.964510010.909120001.00042010.667
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

  • ワールドシリーズ出場:3回 (1903年、1906年、1924年)
  • シカゴ・ホワイトソックスにおける、9イニングあたりの与四球数の最小記録(1.49)
  • 一つのフランチャイズでコーチを務めた、MLBにおける連続最長記録(1912年から1953年までの42年間)

参考文献

関連項目

外部リンク

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