ウィルバー・ウッド

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生年月日 (1941-10-22) 1941年10月22日
没年月日 (2026-01-17) 2026年1月17日(84歳没)
ウィルバー・ウッド
Wilbur Wood
シカゴ・ホワイトソックス時代
(1969年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ケンブリッジ
生年月日 (1941-10-22) 1941年10月22日
没年月日 (2026-01-17) 2026年1月17日(84歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1960年
初出場 1961年6月30日
最終出場 1978年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィルバー・フォレスター・ウッドWilbur Forrester Wood, 1941年10月22日 - 2026年1月17日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ出身の元プロ野球選手投手)。ニックネームは「Wilbah」。

キャリア初期

1960年ボストン・レッドソックスと契約。1961年6月30日クリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー[1]1963年はAAA級で5勝2敗・防御率1.12を記録して[2]メジャーに昇格。5試合に先発したが勝利なしで4連敗を喫し、その後はリリーフでの起用だった[3]1964年はAAA級で15勝8敗・防御率2.30・197奪三振の好成績[2]だったがメジャーでは結果を残せず、9月6日ピッツバーグ・パイレーツに移籍。10月2日ミルウォーキー・ブレーブス戦でメジャー初完投を記録したが、延長10回裏に押し出し四球を与えてサヨナラ負けを喫した[4]1965年は敗戦処理としての起用ながら34試合に登板[5]1966年はAAA級で14勝8敗・防御率2.41・8完封を記録[2]するがメジャーでの登板はなく、10月12日に後日発表の1選手との交換トレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍。

シカゴ・ホワイトソックス

自身の投球スタイルに限界を感じ始めていたこともあり、1967年スプリングトレーニングでチームメイトのホイト・ウィルヘルムの指導の下でナックルボールを習得[6]。同年はリリーフとしてメジャーに定着。7月16日カンザスシティ・アスレティックス戦では先発してメジャー初勝利を挙げるなど[7]、51試合の登板で4勝2敗・防御率2.45を記録した。1968年は当時のメジャー記録となる88試合に登板し[6]、13勝12敗・防御率1.87の好成績を残す。1969年1970年は共にリーグ最多の登板試合を記録した。1971年は先発に転向し5月22日カリフォルニア・エンゼルス戦でメジャー初完封を挙げる[8]など前半戦で9勝5敗・防御率1.69を記録し[9]オールスターゲームに初選出される。後半戦で13勝を挙げ、22勝13敗・防御率1.91・210奪三振を記録。中2日での先発を15試合こなした[10]サイ・ヤング賞の投票ではヴァイダ・ブルーミッキー・ロリッチに次ぐ3位に入った[11]1972年は初の開幕投手を務め、4月18日から3試合連続完封勝利[12]。前半戦で15勝を挙げ[13]、2年連続でオールスターゲームに選出される。8月12日オークランド・アスレティックス戦では7回2死までノーヒットに抑え、完封目前の9回2死から本塁打を浴びて追い付かれるが、延長11回を2安打1失点で完投勝利[14]。9月に5連敗を喫したが[12]、24勝17敗・防御率2.51・8完封、いずれもリーグ最多の376.2イニング・49先発・325被安打を記録し、ゲイロード・ペリーと並んで最多勝利のタイトルを獲得。特にイニング数はライブボール時代以降現在に至るまでの最多記録となっている。中2日での先発は25試合を数えた[12]。サイ・ヤング賞の投票ではペリーと6ポイント差の2位[15]1973年4月25日から3試合連続完封勝利を挙げるなど序盤は好調で5月までに13勝を記録するが、6月に6連敗を喫する。7月20日ニューヨーク・ヤンキースとのダブルヘッダーでは両試合で先発したが共に敗戦投手となった[16]。後半戦は6勝・防御率4.51と調子を落とした[17]が、24勝20敗、いずれもリーグ最多の359.1イニング・48先発・381被安打・138自責点の成績で2年連続の最多勝利を獲得。1シーズンで20勝と20敗を同時に記録したのは1916年ウォルター・ジョンソン以来だった[6]1974年は3年連続となる20勝(19敗)を記録。1975年はリーグワーストの20敗(16勝)を喫した。1976年は開幕から好調を維持していたが、5月9日デトロイト・タイガース戦の6回にロン・ルフロアの打球が左膝を直撃して膝蓋骨を骨折。そのままシーズンを終えた[6]1977年は7勝、1978年は10勝を挙げたが防御率5.20と振るわず、同年限りで現役を引退。

2026年1月17日死去。84歳没[18]

詳細情報

脚注

外部リンク

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