バックパサー

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欧字表記 Buckpasser
性別
バックパサー
欧字表記 Buckpasser
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1963年
死没 1978年3月6日
Tom Fool
Busanda
母の父 War Admiral
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 オグデン・フィップス
馬主 オグデン・フィップス
調教師 ウィリアム.C.ウインフレイ
→エドワード A. ネロイ
競走成績
生涯成績 31戦25勝
獲得賞金 1,462,014ドル
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バックパサー (Buckpasser) は、1960年代中頃に活躍したアメリカ合衆国競走馬20世紀のアメリカ名馬100選・第14位(ブラッド・ホース誌)。1970年アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂入り。

バックパサーは1963年クレイボーンファームで生まれた。馬名は父トムフール(大馬鹿者の意)より「責任を逃れる人」と名付けられたが、馬体、性格その他全て欠点が無い完璧な馬であった。ニューヨーク競馬協会のギルマンは「一般的にあらゆる馬には100の欠点がある。だが、バックパサーの欠点は見つけられない」とバックパサーを評価している。また、極めて優しい性格の持ち主で、訪問者には鼻をすりつけて挨拶をしていたというエピソードも残っている。

戦績

唯一の欠点はレースに挑む彼の態度といわれたが、その競走成績は素晴らしく、4着以下に敗れたのはデビュー戦1度のみであり、裂蹄のため三冠競走には出走していないものの、3歳時にはトラヴァーズステークスウッドワードステークスジョッキークラブゴールドカップ等13連勝を達成している。この年のケンタッキーダービー馬カウアイキングとはアーリントンクラシックハンデキャップで対決、これを下すと共に1分32秒6の1マイルの世界レコードを樹立した。この年はアメリカ年度代表馬に選出されている。グロースタークも同世代であったが、グロースタークの故障、引退で結局未対決に終わった。

1967年、まず2勝を上げ連勝記録を15にまで伸ばすも、再度裂蹄を発症して4ヶ月の休養に入る。この休養中にフランスのサンクルー大賞への遠征が持ち上がり、プレップレースとして芝のボウリンググリーンハンデキャップに出走するが3着に敗れ連勝記録は途絶えてしまう。その後行われたサバーバンハンデキャップでは133ポンドのトップハンデを背負いながら驚異的な末脚を発揮し勝利を収めた。引退レースとなったウッドワードステークスでは、バックパサーの他にドクターフェイガー20世紀の米名馬6位)、ダマスカス(同16位)の強豪が揃い、バックパサーはこのメンバーでも2.6倍の1番人気に推された。バックパサーはドクターフェイガーに競り勝ち、4着ハンサムボーイを13馬身も突き放したが、このレースで神掛った強さを発揮したダマスカスに10馬身差負けを喫している。この後膝の関節炎を発症し、引退している。

引退後

引退後は480万ドルの史上最高価格でのシンジケートが組まれた。種牡馬としては313頭の産駒を残し、うち35頭がステークスに優勝した。バックパサーは15歳で死亡したが、死後も母の父(ブルードメアサイアー)として優秀馬を長い期間にわたって送り出し続けた。エルグランセニョールイージーゴア、日本でもマルゼンスキーらが母の父にバックパサーを持っている。

父系のその後

バックパサーはトムフール産駒の種牡馬の中では比較的成功した方だったが、産駒は全体的にダート適正の高い馬が多く、芝レースが中心の日本や欧州に持ち込まれた馬は殆どいなかった。日本で本馬を母の父に持つ馬こそ多いものの、後継種牡馬としては唯一、バックパサー直仔のメイワパッサーと、その産駒スタビライザーがいた程度だった。他方アメリカでは1980年代に活躍したエッグトス産駒アットジスレッショールドとバッカルー産駒スペンドアバックの子孫が90年代へと父系を繋ぎ、2000年代に入るとシルヴァーバック産駒シルヴァーチャームの活躍もあって近年迄その直系を残している。

競走成績

主な産駒

ほか

バックパサーを母の父に持つ著名馬

血統

外部リンク

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