フィフィ・ザ・フリー

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出身地 日本の旗 日本 大阪府
ジャンル
活動期間 1967年 - 1972年
フィフィ・ザ・フリー
Fifi The Flea
出身地 日本の旗 日本 大阪府
ジャンル
活動期間 1967年 - 1972年
レーベル
メンバー
  • 曽根隆
  • まぶちはじめ
  • 吉田一夫
  • うつみ伸一
  • 鈴木のり
旧メンバー 原田康彦、下賀某 、村上某

フィフィ・ザ・フリー(Fifi The Flea)は、かつて存在した日本グループ・サウンズロックバンドである。

旧メンバー
  • 原田康彦、下賀某 、村上某(いずれもドラムス)

概要

村井邦彦アルファ・レーベル第一弾に選ばれたバンド[3]。村井邦彦が作曲家編曲家としての才能を発揮し、シングル「栄光の朝」は「ニューミュージック」の先取りとされる。廃盤ブームからグループ・サウンズ再評価が始まった1980年代山下達郎ラジオ番組サウンドストリート』(NHK-FM[4]の紹介やサバービアソフトロックブームから再び注目される[5]アソシエイションザ・トレメローズなどをコーラス重視でカバー、卓越したコーラス、ハーモニーが再評価された(雑誌VANDA26号・1992年)。

フィフィ・ザ・フリー、レコードデビュー前後。ドラムスは原田康彦

1967年7月大阪芸術大学軽音楽部で結成[6][7]、バンド名はホリーズ(The Hollies)のアルバム『Would You Believe?』の楽曲から。当初の表記は「フイフイ・ザ・フリー」(「イ」が大文字)。地元大阪を拠点に、ラジオ関西MBSラジオMBSヤングタウン』に準レギュラーで定期出演し、その評判から大阪「メキシカン」「ナンバ一番」など主だったジャズ喫茶やプール、デパート催事場などのスポット、野外の新車発表会(「オール・スズキ・フェスティバル」フロンテSS発表会)など、関西各地の地域イベントで出演演奏を重ねる。エコー・プロダクションの招聘で東京へ拠点を移し、そののちに札幌で約一年間に及ぶ滞在を挟み活動した。以下、確認出来た資料記録[要出典]から。

  • 1967年
  • 1968年
  • 1969年
    • 4月 エコー・プロダクション[10]のスカウトを受け東京へ。ジャズ喫茶、ラジオ、TV番組出演や泉アキ、川奈ミキらのバックバンドも務める。
    • 4月28日 KRC(国際ラジオセンター)スタジオにてデモテープ録音[要出典]
    • 6月6日 デモ曲録音「ふたりのサンバ」(録音場所不詳)[要出典]
    • 6月29日 スペースカプセル(東京 赤坂)専属で契約出演(出演中ドラムスが交代、鈴木のりへ)
    • 9月4日 ミュージカル『ヘアー』オーディション参加(吉田は不参加)[要出典]
  • 1970年
    • 4月 札幌のナイトクラブ「ジャッド (JUDO)」[11] 専属で契約、延長で約一年滞在。ナイトクラブ「ジャッド」ではフィリピン人バンド「メンズ・フューリー」と共演。同地では平行して、札幌オリンピック関連の北海道放送、ヤマハ等の主催イベント、別途のブッキングによる米軍キャンプ(千歳基地)に出演。HBCラジオ・『ジャッドで踊ろう』などに出演。
    • 7月 ラジオ番組『ジャッドで踊ろう』公開録音(蘭島海岸・小樽市(1970年7月28日PM12:00~放送)[要出典]
    • HBC後援で映画『ウッドストック』の地域プロモーションで演奏参加
    • 11月25日 「ジミー・スミスでゴーゴー」(コスモ・ビラ札幌)共演:ジミー・スミス、たらんぼ(LMA札幌主催)[要出典]
    • 12月1日 「ライトミュージックフェスティバル」(道新ホール・札幌)共演:赤い鳥、ジプシー・アイ(LMA札幌主催)
  • 1971年
  • 1972年3月 東宝ミュージカル『裸のカルメン』(3月7日-29日)ロック・パート伴奏(オーケストラと共演)を務め解散[13]。その後、曽根隆、吉田一夫、遅れて鈴木のりがいずみたくシンガーズへ参加した[要出典]

ディスコグラフィー

シングル

発売日 レーベル 品番 タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1969年4月25日[14] ユニオンレコード UH-76 A おやじのロック 生方めぐみ 松田篝
B ひとりぼっちのバラード 松田篝
1969年2月 テイチクレコード SN-734 A チェンジ・ユア・マインド 中山啓子 曾根隆

補:加納光記

山倉たかし
B 恋の神話 池田充男 山倉たかし
1969年11月10日 アルファレコード Z-1 A 栄光の朝 山上路夫 村井邦彦
B 戦争は知らない
1970年6月 Z-4 A ワイト・イズ・ワイト 邦詞:山上路夫 Roland_Vincent Michel Delpech作のカヴァー曲
B イエスタデイ・トゥデイ
1971年7月 RCAレコード JRT-1173 A 限りなくあたえるもの 曽根たかし 羽根田武邦
B 素晴らしきGT 彦たけし 西山直彦 宮田自転車のCM曲
  • おやじのロック/ひとりぼっちのバラード - 制作:竹本政治
当時のアングラ・ブーム、ビートルズ、サイケデリック時代のピンク・フロイドなどに影響された自主性の強い録音。グループ・サウンズ期に多く見られたレコード発売には企画制作のもと、演奏録音をあらかじめスタジオ・ミュージシャンが行うケースが多かった中では少ない事例の一つ[15]。リード・ボーカルを曽根隆が担当[16]、定期出演していた『MBSヤングタウン』放送のスタジオオフ時間に行われ、放送録音技術の懐元ではファズ・ギターにエンジニアが戸惑うなど、試行錯誤も伴ったとのこと(「ひとりぼっちのバラード」ストリングス・トラックスもこのスタジオで収録された)。放送局スタジオでの収録は、札幌の「シャロレーズ」など、録音環境が限られた地域事情等で数件知られている。
アングラ、サイケ、実験的音楽を意識して、おもちゃのピアノやガラガラなどを持参して収録に臨んだ(ステージでは三味線などを使用することもあった。演奏場所のTPOレパートリーで用い、常時の使用はしていない)。
「フィフィザフリーがヤードバーズピンク・フロイドにヒントを得て(当時、フィフィザフリーはサイケ・ロックをやっていた)アレンジしたものです。おまけに雅楽を取り入れたりして。」[17]、「(B面曲)間奏のギターでまぶち(ギター&フルート)がビートルズの「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」にインスパイアされたフレーズを弾いてます。」[17]、「名前は思い出せないけど京都のあるジャズ喫茶に呼ばれ、(出演者紹介)立て看板で『本格派サイケデリック・ロック・バンド、フイフイザフリー、来たる!』と紹介されて面食らったこともありました。」[17]、「(熱狂! GS『グループサウンズ図鑑』著黒沢進の記事[18]にある)『特販部門から不幸なデビュー』については関係縁者がいて、契約が特販部門を介しただけ。普通のデビューでした(笑)」(吉田の述懐・「フィフィザフリーコンプリート・シングルズCD発売記念!?」から引用)[注 1]
松田篝は作曲家、宝塚音楽学校などの音楽講師、またチューインガムの実父。大塚善章は親戚にあたる。この時代、松田はグループ・サウンズでオックスの福井利男、岩田裕二が在籍していたキングスに楽曲提供している。作詞者の生方めぐみは当時NHKアナウンサー生方恵一。他の関西圏出身グループ・サウンズ系のバンド(ザ・リンド&リンダース、ファンキープリンス)と異なり、テイチク大阪支店[19]での契約から原盤制作は、東京[20]を介さないかたちで行われている。
  • チェンジ・ユア・マインド/恋の神話
キャッチコピーは「2月5日堂々発売_フイフイ・ザ・フリーの_ボサノバのリズムで_あなたに贈るオリジナル」
予約特典に「大阪四国団地区でレコード御予約の方先着200名様にぼくたちが1枚1枚描いたステキなイラストをプレゼント!」(原文ママ、宣伝リーフレット」から)[要出典]
一枚目同様、ジャケットイラストは曽根隆が担当(ほかにバンドの移動用ワゴン車、トヨタ・ダイナK170型の書込イラストのアートワーク、バンド解散後の後年に、藤村俊二著「おとこの台所」カバーイラスト担当した)。リード・ボーカルはうつみ伸一。2010年現在「恋の神話」マスターテープ所在は行方不朋。「[17]色々なオリジナルをテイチクに聞いてもらって、シングルに決まったのがそのオリジナルの中で最もイージーなこの曲だったんで、ちょっとガッカリしたことを覚えてます」(吉田の述懐)[要出典]
  • 栄光の朝/戦争は知らない
裏ジャケット、スチール写真は東京港で撮影。プロモーションフィルムも同時収録された[3]
シングル登用経緯について、「プロダクション側の売り込み」[3]と「村井邦彦(又は周囲推薦)側から起用」もある。
演奏は江藤勲(ベース)、石川晶(ドラムス)らのスタジオ・ミュージシャンが担当[3][17]、「4chテープレコーダーでコーラストラックを2回ダビングして厚みを出し(中略)、村井(邦彦)によれば、アソシエイションゴスペル的な雰囲気を持ち込んだようなコーラス・サウンドを狙ったとのこと」[3]。「『全日本歌謡選手権』は、全然覚えてないです。事前録音かナマかどうかも。(以下略)」[17]、「アテレコ(口パク)といえば、『栄光の朝』かな、楽器持たず、踊ってただけの(ダサい)TV出演もありました。当然皆不満漏らしマネージャーには『仕事を選んでくれ』って文句言いました(笑)』[17](吉田の述懐)[要出典]
  • ワイト・イズ・ワイト /イエスタデイ・トゥデイ
村井邦彦がパリで入手した楽譜を元にしたとされ、他フォーリーブスなどと競作となった。当初ファンクラブ会報[21]「イエスタデイ・トゥデイ」と「幸福(しあわせ)の朝」(作者不詳)で予告されていた。
B面リード・ボーカルは鈴木のり。「ソウルが全員苦手だったフィフィザフリーにファンキーでタイトなビートで新風を吹き込んだ鈴木のりのヴォーカルです。(彼はその後札幌でベイカーショップ・ブギのドラマーとして活躍しており、現在も一目置かれる存在ですね。)ただこの曲のドラムは石川晶でベースは江藤勲だったと思う」[17](吉田の述懐)[要出典]
  • 限りなくあたえるもの/素晴らしきGT
「限りなくあたえるもの」作曲者「羽根田武邦」は、このシングルのプロデューサー、ロビー和田の別名。和田はカレッジ・フォークで演奏活動したのち歌謡曲やポップスのプロデュースに転じた。得意分野であるフォーク系コーラスやハーモニーから注目し自身が所属していた日本ビクターレコード傘下のRCAで起用となった。
B面「素晴らしきGT」は、「確かドラムスはつのだひろ、ギターは成毛滋です」[17]、「スタジオに行ったらもうオケが出来ていました。それもキーの合わないしょうもないものが・・・」[17]「適当に歌い(担当したコーラスは出来も悪かったのに)一回でOKが出てしまった。」[17](吉田の述懐)[要出典]
なお、シングル「おやじのロック/ひとりぼっちのバラード」以外4枚のシングルはスタジオ・ミュージシャンによる演奏。

8トラック・テープ

発売に至らなかったもの[22]

  • 恋の足あと・Traces(日本語詞 山上路夫、編曲 村井邦彦)
    • ステージ・レパートリーのひとつ。
    • Classics IVのカヴァー、ハーフ・ブリードがのちに発売。

オリジナル曲

  • あなたを想って 作詞:中山桂子、作曲:曽根隆[23]
  • 春のにおいのプロローグ 詞曲:曽根隆
  • 昔々のこと(作者不詳)
  • 君の為なら(作者不詳)
  • 風と花と夢(作者曽根隆)69年4月28日KRCでのデモテープに収録された。
  • 「組曲/ロック・オペラ,風と花と夢~If-もしも(タイトル未確認)」(作者:曽根隆)
    • 原曲「風と花と夢」との追加変更、差違については未確認。

プロローグ ナレーションと伴奏~朝日と小鳥とお花畑(パート1)~ナレーション~ふくろうとおじさん~ナレーション~森の動物達~ナレーション~クリスタル・ファンタジア~湖に何が起こったか~ナレーション~むかし、むかしの物語~朝日と小鳥とお花畑(パート2)~エピローグ ナレーションと伴奏

ステージ・レパートリー

ファンクラブ会報などで記載あるもの、当時のメモ、録音から。

同時代のニュー・ロックバンドと同様、ビートルズ、英米ロック・バンドのカバー、ディーン・マーティン、『誰かが誰かを愛してる』など、洋楽中心に豊富なレパートリーを持っていた。1969年の「ブルース・ブーム」ではジョン・メイオールなどを取り上げている。リード・ボーカルは主にうつみが担当、曲によって他メンバーやローディが参加した[24]

  • (1969年頃)ブラック・マジック・ウーマン、黒いひつじ、サンシャイン・オブ・ラブ、ほか
  • (1970年頃)二人のシーズン、トレイシズ、エンド・オブ・ザ・ワールド、アイム・ソー・グラッド、バルプルギス、ロウダウン(シカゴ、日本語版)[25]
  • (1971年頃)ネヴァー・マイ・ラブ、スーパースター(デラニー&ボニー)、ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド、ララは愛の言葉、シー・オブ・マイ・マッドネス

オムニバス

  • 『ソフトロックドライヴィン 栄光の朝アルファ編』
    • アルファミュージック ALCA5089 1996年発売 選曲・解説 土龍団
  • 『カルト・GS・コレクション テイチク編 VOl.1』
    • TEICHIKU  TECN 22178 1992年発売 監修解説 黒沢進
  • 『カルト・GS・コレクション テイチク編 VOl.2』
    • TEICHIKU  TECN 22179 1992年発売
  • 越天楽ゴーゴー~幻の名盤カルトGS/Cutie-Pop/Softrock Drivin'解放歌集
  • 『アングラ・カーニバル』
    • TEICHIKU  TECN-25694 2001年1月発売
  • ソフトロックドライヴィン アルファ編[26]

出演

ミュージカル「裸のカルメン」(日生会館)1972年3月7日-29日 出演:那智わたる細川俊之

脚注

参考文献

関連項目

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