フィフィ・ザ・フリー
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概要
村井邦彦アルファ・レーベル第一弾に選ばれたバンド[3]。村井邦彦が作曲家・編曲家としての才能を発揮し、シングル「栄光の朝」は「ニューミュージック」の先取りとされる。廃盤ブームからグループ・サウンズ再評価が始まった1980年代、山下達郎のラジオ番組『サウンドストリート』(NHK-FM)[4]の紹介やサバービア、ソフトロックブームから再び注目される[5]。アソシエイション、ザ・トレメローズなどをコーラス重視でカバー、卓越したコーラス、ハーモニーが再評価された(雑誌VANDA26号・1992年)。

1967年7月大阪芸術大学軽音楽部で結成[6][7]、バンド名はホリーズ(The Hollies)のアルバム『Would You Believe?』の楽曲から。当初の表記は「フイフイ・ザ・フリー」(「イ」が大文字)。地元大阪を拠点に、ラジオ関西、MBSラジオ『MBSヤングタウン』に準レギュラーで定期出演し、その評判から大阪「メキシカン」「ナンバ一番」など主だったジャズ喫茶やプール、デパート催事場などのスポット、野外の新車発表会(「オール・スズキ・フェスティバル」フロンテSS発表会)など、関西各地の地域イベントで出演演奏を重ねる。エコー・プロダクションの招聘で東京へ拠点を移し、そののちに札幌で約一年間に及ぶ滞在を挟み活動した。以下、確認出来た資料記録[要出典]から。
- 1967年
- 5月、フェスティバルホールコンテスト優勝(Y.A.C/日本楽器主催)
- 7月27日 第1回Y.A.Cロックカーニバル出演(サンケイホール)大阪(Y.A.C/日本楽器主催)(ビートルズ "愛こそはすべて" を演奏)。
- 8月 海南市夏祭り出演
- 1968年
- 1969年
- 1970年
- 4月 札幌のナイトクラブ「ジャッド (JUDO)」[11] 専属で契約、延長で約一年滞在。ナイトクラブ「ジャッド」ではフィリピン人バンド「メンズ・フューリー」と共演。同地では平行して、札幌オリンピック関連の北海道放送、ヤマハ等の主催イベント、別途のブッキングによる米軍キャンプ(千歳基地)に出演。HBCラジオ・『ジャッドで踊ろう』などに出演。
- 7月 ラジオ番組『ジャッドで踊ろう』公開録音(蘭島海岸・小樽市(1970年7月28日PM12:00~放送)[要出典]
- HBC後援で映画『ウッドストック』の地域プロモーションで演奏参加
- 11月25日 「ジミー・スミスでゴーゴー」(コスモ・ビラ札幌)共演:ジミー・スミス、たらんぼ(LMA札幌主催)[要出典]
- 12月1日 「ライトミュージックフェスティバル」(道新ホール・札幌)共演:赤い鳥、ジプシー・アイ(LMA札幌主催)
- 1971年
- 1972年3月 東宝ミュージカル『裸のカルメン』(3月7日-29日)ロック・パート伴奏(オーケストラと共演)を務め解散[13]。その後、曽根隆、吉田一夫、遅れて鈴木のりがいずみたくシンガーズへ参加した[要出典]。
ディスコグラフィー
シングル
| 発売日 | レーベル | 品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1969年4月25日[14] | ユニオンレコード | UH-76 | A | おやじのロック | 生方めぐみ | 松田篝 | ||
| B | ひとりぼっちのバラード | 松田篝 | ||||||
| 1969年2月 | テイチクレコード | SN-734 | A | チェンジ・ユア・マインド | 中山啓子 | 曾根隆
補:加納光記 |
山倉たかし | |
| B | 恋の神話 | 池田充男 | 山倉たかし | |||||
| 1969年11月10日 | アルファレコード | Z-1 | A | 栄光の朝 | 山上路夫 | 村井邦彦 | ||
| B | 戦争は知らない | |||||||
| 1970年6月 | Z-4 | A | ワイト・イズ・ワイト | 邦詞:山上路夫 | Roland_Vincent | Michel Delpech作のカヴァー曲 | ||
| B | イエスタデイ・トゥデイ | |||||||
| 1971年7月 | RCAレコード | JRT-1173 | A | 限りなくあたえるもの | 曽根たかし | 羽根田武邦 | ||
| B | 素晴らしきGT | 彦たけし | 西山直彦 | 宮田自転車のCM曲 | ||||
- おやじのロック/ひとりぼっちのバラード - 制作:竹本政治
- 当時のアングラ・ブーム、ビートルズ、サイケデリック時代のピンク・フロイドなどに影響された自主性の強い録音。グループ・サウンズ期に多く見られたレコード発売には企画制作のもと、演奏録音をあらかじめスタジオ・ミュージシャンが行うケースが多かった中では少ない事例の一つ[15]。リード・ボーカルを曽根隆が担当[16]、定期出演していた『MBSヤングタウン』放送のスタジオオフ時間に行われ、放送録音技術の懐元ではファズ・ギターにエンジニアが戸惑うなど、試行錯誤も伴ったとのこと(「ひとりぼっちのバラード」ストリングス・トラックスもこのスタジオで収録された)。放送局スタジオでの収録は、札幌の「シャロレーズ」など、録音環境が限られた地域事情等で数件知られている。
- アングラ、サイケ、実験的音楽を意識して、おもちゃのピアノやガラガラなどを持参して収録に臨んだ(ステージでは三味線などを使用することもあった。演奏場所のTPOレパートリーで用い、常時の使用はしていない)。
- 「フィフィザフリーがヤードバーズやピンク・フロイドにヒントを得て(当時、フィフィザフリーはサイケ・ロックをやっていた)アレンジしたものです。おまけに雅楽を取り入れたりして。」[17]、「(B面曲)間奏のギターでまぶち(ギター&フルート)がビートルズの「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」にインスパイアされたフレーズを弾いてます。」[17]、「名前は思い出せないけど京都のあるジャズ喫茶に呼ばれ、(出演者紹介)立て看板で『本格派サイケデリック・ロック・バンド、フイフイザフリー、来たる!』と紹介されて面食らったこともありました。」[17]、「(熱狂! GS『グループサウンズ図鑑』著黒沢進の記事[18]にある)『特販部門から不幸なデビュー』については関係縁者がいて、契約が特販部門を介しただけ。普通のデビューでした(笑)」(吉田の述懐・「フィフィザフリーコンプリート・シングルズCD発売記念!?」から引用)[注 1]
- 松田篝は作曲家、宝塚音楽学校などの音楽講師、またチューインガムの実父。大塚善章は親戚にあたる。この時代、松田はグループ・サウンズでオックスの福井利男、岩田裕二が在籍していたキングスに楽曲提供している。作詞者の生方めぐみは当時NHKアナウンサーの生方恵一。他の関西圏出身グループ・サウンズ系のバンド(ザ・リンド&リンダース、ファンキープリンス)と異なり、テイチク大阪支店[19]での契約から原盤制作は、東京[20]を介さないかたちで行われている。
- チェンジ・ユア・マインド/恋の神話
- キャッチコピーは「2月5日堂々発売_フイフイ・ザ・フリーの_ボサノバのリズムで_あなたに贈るオリジナル」
- 予約特典に「大阪四国団地区でレコード御予約の方先着200名様にぼくたちが1枚1枚描いたステキなイラストをプレゼント!」(原文ママ、宣伝リーフレット」から)[要出典]。
- 一枚目同様、ジャケットイラストは曽根隆が担当(ほかにバンドの移動用ワゴン車、トヨタ・ダイナK170型の書込イラストのアートワーク、バンド解散後の後年に、藤村俊二著「おとこの台所」カバーイラスト担当した)。リード・ボーカルはうつみ伸一。2010年現在「恋の神話」マスターテープ所在は行方不朋。「[17]色々なオリジナルをテイチクに聞いてもらって、シングルに決まったのがそのオリジナルの中で最もイージーなこの曲だったんで、ちょっとガッカリしたことを覚えてます」(吉田の述懐)[要出典]。
- 栄光の朝/戦争は知らない
- 裏ジャケット、スチール写真は東京港で撮影。プロモーションフィルムも同時収録された[3]。
- シングル登用経緯について、「プロダクション側の売り込み」[3]と「村井邦彦(又は周囲推薦)側から起用」もある。
- 演奏は江藤勲(ベース)、石川晶(ドラムス)らのスタジオ・ミュージシャンが担当[3][17]、「4chテープレコーダーでコーラストラックを2回ダビングして厚みを出し(中略)、村井(邦彦)によれば、アソシエイションにゴスペル的な雰囲気を持ち込んだようなコーラス・サウンドを狙ったとのこと」[3]。「『全日本歌謡選手権』は、全然覚えてないです。事前録音かナマかどうかも。(以下略)」[17]、「アテレコ(口パク)といえば、『栄光の朝』かな、楽器持たず、踊ってただけの(ダサい)TV出演もありました。当然皆不満漏らしマネージャーには『仕事を選んでくれ』って文句言いました(笑)』[17](吉田の述懐)[要出典]。
- ワイト・イズ・ワイト /イエスタデイ・トゥデイ
- 村井邦彦がパリで入手した楽譜を元にしたとされ、他フォーリーブスなどと競作となった。当初ファンクラブ会報[21]「イエスタデイ・トゥデイ」と「幸福(しあわせ)の朝」(作者不詳)で予告されていた。
- B面リード・ボーカルは鈴木のり。「ソウルが全員苦手だったフィフィザフリーにファンキーでタイトなビートで新風を吹き込んだ鈴木のりのヴォーカルです。(彼はその後札幌でベイカーショップ・ブギのドラマーとして活躍しており、現在も一目置かれる存在ですね。)ただこの曲のドラムは石川晶でベースは江藤勲だったと思う」[17](吉田の述懐)[要出典]。
- 限りなくあたえるもの/素晴らしきGT
- 「限りなくあたえるもの」作曲者「羽根田武邦」は、このシングルのプロデューサー、ロビー和田の別名。和田はカレッジ・フォークで演奏活動したのち歌謡曲やポップスのプロデュースに転じた。得意分野であるフォーク系コーラスやハーモニーから注目し自身が所属していた日本ビクターレコード傘下のRCAで起用となった。
- B面「素晴らしきGT」は、「確かドラムスはつのだひろ、ギターは成毛滋です」[17]、「スタジオに行ったらもうオケが出来ていました。それもキーの合わないしょうもないものが・・・」[17]「適当に歌い(担当したコーラスは出来も悪かったのに)一回でOKが出てしまった。」[17](吉田の述懐)[要出典]。
- なお、シングル「おやじのロック/ひとりぼっちのバラード」以外4枚のシングルはスタジオ・ミュージシャンによる演奏。
8トラック・テープ
- 「最新ポップス・リクエスト32」1971年、ケイブンシャ、32YS-2802
発売に至らなかったもの[22]
- 恋の足あと・Traces(日本語詞 山上路夫、編曲 村井邦彦)
- ステージ・レパートリーのひとつ。
- Classics IVのカヴァー、ハーフ・ブリードがのちに発売。
オリジナル曲
- あなたを想って 作詞:中山桂子、作曲:曽根隆[23]
- 春のにおいのプロローグ 詞曲:曽根隆
- 昔々のこと(作者不詳)
- 君の為なら(作者不詳)
- 風と花と夢(作者曽根隆)69年4月28日KRCでのデモテープに収録された。
- 「組曲/ロック・オペラ,風と花と夢~If-もしも(タイトル未確認)」(作者:曽根隆)
- 原曲「風と花と夢」との追加変更、差違については未確認。
プロローグ ナレーションと伴奏~朝日と小鳥とお花畑(パート1)~ナレーション~ふくろうとおじさん~ナレーション~森の動物達~ナレーション~クリスタル・ファンタジア~湖に何が起こったか~ナレーション~むかし、むかしの物語~朝日と小鳥とお花畑(パート2)~エピローグ ナレーションと伴奏
ステージ・レパートリー
ファンクラブ会報などで記載あるもの、当時のメモ、録音から。
同時代のニュー・ロックバンドと同様、ビートルズ、英米ロック・バンドのカバー、ディーン・マーティン、『誰かが誰かを愛してる』など、洋楽中心に豊富なレパートリーを持っていた。1969年の「ブルース・ブーム」ではジョン・メイオールなどを取り上げている。リード・ボーカルは主にうつみが担当、曲によって他メンバーやローディが参加した[24]。
- (1969年頃)ブラック・マジック・ウーマン、黒いひつじ、サンシャイン・オブ・ラブ、ほか
- (1970年頃)二人のシーズン、トレイシズ、エンド・オブ・ザ・ワールド、アイム・ソー・グラッド、バルプルギス、ロウダウン(シカゴ、日本語版)[25]
- (1971年頃)ネヴァー・マイ・ラブ、スーパースター(デラニー&ボニー)、ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド、ララは愛の言葉、シー・オブ・マイ・マッドネス
オムニバス
- 『ソフトロックドライヴィン 栄光の朝アルファ編』
- アルファミュージック ALCA5089 1996年発売 選曲・解説 土龍団
- 『カルト・GS・コレクション テイチク編 VOl.1』
- TEICHIKU TECN 22178 1992年発売 監修解説 黒沢進
- 『カルト・GS・コレクション テイチク編 VOl.2』
- TEICHIKU TECN 22179 1992年発売
- 越天楽ゴーゴー~幻の名盤カルトGS/Cutie-Pop/Softrock Drivin'解放歌集
- P-VINE PCD-1531 1996年10月
- 『アングラ・カーニバル』
- TEICHIKU TECN-25694 2001年1月発売
- ソフトロックドライヴィン アルファ編[26]
- ソニー・ミュージックダイレクト MHCL-935 2006年11月 解説著 土龍団