フィロステファニ
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| フィロステファニ | ||||||
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第14回アルテミスステークスパドック (2025年10月25日) | ||||||
| 欧字表記 | Firostefani[1] | |||||
| 品種 | サラブレッド[1] | |||||
| 性別 | 牝[1] | |||||
| 毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||
| 生誕 | 2023年2月7日(3歳)[1] | |||||
| 抹消日 | 2025年11月14日[2] | |||||
| 父 | エピファネイア[1] | |||||
| 母 | スキア[1] | |||||
| 母の父 | Motivator[1] | |||||
| 生国 |
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| 生産者 | 社台ファーム[1] | |||||
| 馬主 | (有)社台レースホース[1] | |||||
| 調教師 | 中内田充正(栗東)[1] | |||||
| 調教助手 | 福永拓[3] | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 2戦2勝[1] | |||||
| 獲得賞金 | 3685万7000円[1] | |||||
| JTR | M109 / 2025年 | |||||
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フィロステファニ(欧字名:Firostefani、2023年2月7日 - )は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に2025年のアルテミスステークス。
デビュー前
2023年2月7日、北海道千歳市・社台ファームにて誕生。2024年、募集馬名「スキアの23」として、予定厩舎は中内田充正、募集総額8000万円(1口出資額200万円)で、社台レースホースによって募集された[5]。社台ファームの佐々木氏は「普段からおとなしくて優しい子ですけど、騎乗すると勢いよく動いてくれますね。成長とともに前脚のかき込み、後肢の蹴り上げが強くなり、僚馬の中でも抜けています。芝の中距離を舞台に切れ味を発揮してくれるでしょう。夏後半から秋でのデビューを意識しています」とコメント[6]。その後も順調に育成過程が進み、2025年4月23日、栗東トレーニングセンターで行われたゲート試験を合格した[7]。
2歳(2025年)
新馬戦
2025年7月27日、新潟競馬場第3レースの2歳新馬戦(芝1600m)で、短期騎手免許により来日していたレイチェル・キングを背にデビューした[8]。単勝オッズは母に2019年のフローラステークスを制したウィクトーリアを持つ、ペルウィクトールに1番人気を譲り、2.8倍の2番人気で迎えた[9]。道中は中団で追走し、直線に入ると位置を外に変え猛追。最後はディールメーカーとの競り合いを制し、デビュー勝ちを決める[10][11]。騎乗したキングは「今日は勝つことが出来たが、まだ競馬を分かっていないところがある」と未熟な点を挙げる一方で、「能力の高さを感じることができた。競馬を覚えていけばさらにステップアップする」と伸び代を強調した。また、管理する中内田は「馬群で競馬をして欲しいと、ジョッキーに伝えた通りに乗ってくれた。いい教育ができたレース」とコメントした[12]。
アルテミスステークス
次走には、初の重賞挑戦の舞台としてアルテミスステークスを選択し、鞍上には川田将雅を起用した。単勝オッズは半姉に2021年の桜花賞などGI競走を3勝したソダシや、2023年のスプリンターズステークスを制したママコチャがいる、白毛馬のマルガに譲り、またも2番人気で迎えた[13][14]。五分のスタートを切ると3番手に付け追走。直線に入ると、逃げていたマルガや2番手のハッピーエンジェルをノーステッキで交わし、後続を寄せ付けず、そのまま重賞初制覇を果たした[15]。騎乗した川田は「1週前追い切りに乗ったときに、とてもいい馬だということは理解しましたし、その分、難しいところもありますが、ここをいいレースができればというところでした」「まずはこの重賞をいい内容で走れたということがこの馬にとって大きいですから。これが次につながると思います」と淡々とコメントした[16]。また中内田は「強い馬もいた中で、上手に競馬をしてくれたので、いい教育ができました」「夏からここへかけてしっかり成長してくれましたし、太め感はなかったです。新馬戦はヨーイドンでしたが、逃げている馬がいいペースを刻む中で脚を使ったし、フィロステファニの能力ですね」と本馬の良さや成長面をコメントすると同時に[17]、「距離はマイルがベストですね。暮れに大きなレースがありますし、そこを目標にやっていきたいです」と、初のGI競走挑戦として阪神ジュベナイルフィリーズへの出走を検討するプランを明かした[18]。
故障発覚、そして電撃引退
しかしレース後、栗東に帰厩した際に右前肢の繫ぎ部分に腫れと熱感が発覚。10月29日、右前肢屈腱炎を発症していることがエコー検査で判明した。30日には宮城県の山元トレーニングセンターで放牧に出し、牧場での治療と経過観察をしながら、今後について検討を行うと発表された[19][20][21]。その後、11月13日に社台サラブレッドクラブ公式サイトで引退が発表された[22]。同日に再度エコー検査を行った結果、浅屈腱の最下部にあたる繋ぎを中心に炎症が認められるなど重度の部類であることが判明。復帰へ向けた運動再開の目途が立たない状況であることや、症状が治まったあとでも復帰までの調教過程で再発する可能性が払拭できないことから、関係者間での協議の結果、生涯2戦2勝の戦績での引退決定となった[23][24][25][26]。そして、11月14日に競走馬登録抹消を行い、生まれ故郷の社台ファームにて繁殖牝馬として繋養される[2]。