フローレン・ジェルー
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1986年にノルマンディーのアルジャンタンにて誕生。父ドミニクは元騎手で調教師であった。1999年13歳でフランスの騎手学校アファセックに入学[3]。2004年5月にフランス・ロンシャン競馬場でChopyluzに騎乗し初勝利を挙げる[4][1]。翌2005年には43勝を挙げ見習い騎手チャンピオンとなった[3]。
2007年に同じくフランス出身の調教師パトリック・ビアンコーネの誘いでアメリカ合衆国へ拠点を移しアメリカ騎手免許を取得。数か月間共にトレーニングした後、フランスに帰るが、秋にはケンタッキー州のレーシングサーキットに参加する意向でアメリカに戻る[4]。しかし開幕戦のキーンランド競馬場でレース中の落馬により手首骨折と椎骨2本骨折という重篤な負傷にあうと、ビザの問題もあり再度フランスへ帰国。療養後はアイルランドに渡り、クールモアスタッドで6か月働いた[1]。その間にビザの問題を解決すると、2008年にアメリカへ戻り、次はシカゴを拠点にした[3]。3年後の2010年にパッカーアップステークス(GIII)を制して重賞初制覇[5]。
2014年にはブリーダーズカップ・スプリントを人気薄のワークオールウィークで制し、初のGI勝利を果たしている[6]。2015年にはザピッツァマンでアーリントンミリオンを制し、ブリーダーズカップではキャッチアグリンプス(Catch a Glimpse)でジュヴェナイルフィリーズターフ、モンゴリアンサタデー(Mongolian Saturday)でターフスプリントの2レースを制した。
2016年には自己最多の217勝を挙げるなど、アメリカにおけるトップジョッキーの1人となり[7]、12月29日、フェアグラウンズ競馬場でミスター・ミスアンソウド(Mr. Misunderstood)に騎乗して北米通算1,000勝を達成した[8]。
ジェルーの名声を一躍高めたのは2017年のエクリプス賞年度代表馬ガンランナーであり、同馬とのコンビではブリーダーズカップ・クラシックやペガサスワールドカップなどGI6勝を含む重賞10勝を挙げた[4]。
2018年5月23日にアメリカ合衆国の市民権を取得した[9]。
2021年、ケンタッキーダービーでマンダルーンに騎乗し2着に入るが、1着入線のメディーナスピリットからレース後に禁止薬物の陽性反応が検出され、係争が続いてたが翌2022年2月に失格が確定となったため、マンダルーンが繰り上がり優勝となった。この結果、1977年のジャン・クルゲ、2019年のフラヴィアン・プラに続き、フランス人騎手として3人目のケンタッキーダービー制覇。
2025年12月には短期騎手免許制度を利用し来日。身元引受調教師は福永祐一で、契約馬主は窪田芳郎[10]。来日初週にはルクソールカフェの鞍上としてチャンピオンズカップにて日本の重賞及びG1競走に初騎乗を果たすも、15着に終わる[11]。12月20日、阪神5Rでスピナーリートに騎乗し1着となり、JRA初勝利を32戦目で挙げた[12]。
主な騎乗馬
- ガンランナー(2018年ペガサスワールドカップ、2017年ブリーダーズカップ・クラシック、ウッドワードステークス、ホイットニーステークス、スティーブンフォスターハンデキャップ、2016年クラークハンデキャップ)
- モノモイガール(2018年ブリーダーズカップ・ディスタフ、ケンタッキーオークス、エイコーンステークス、CCAオークス、アッシュランドステークス、2020年ラトロワンヌステークス、ブリーダーズカップ・ディスタフ)
- マンダルーン(2021年ケンタッキーダービー、ハスケルインビテーショナルステークス)
- ヒットショー(2025年ドバイワールドカップ)