遺跡には二重の土壁と浅い濠に囲まれた正方形の土城があり、大きさは南北266m、東西262mである。土城の中心には大型の基壇があるが、二三の小さい付属施設跡を除けば他には建物跡はみられない。その代わり、屋根瓦やレンガが多く発見されることから、瓦屋根とレンガ壁のある木造建築が存在していたと推定される。
土城と基壇の築かれた方向は16℃もずれており、土城と基壇が異なる時代に築かれたことを示している。土壁からは契丹(遼)時代の特徴的を持つ表面に目文の施された灰色陶器の破片が発見されること、他の契丹時代遺跡と共通する900尺=半里の尺度が用いられていることなどから、土壁は契丹時代に築かれたものと考えられる。
中央の基壇からは中国製の陶磁器、黒釉の長壺と呼ばれる大型陶器が出土する。また屋根瓦の文様は連珠文のない獣文が見られ、これは12 世紀前半以降に見られるものである。『元朝秘史』などによるとケレイト部のオン・カンが「カラ・トン」と呼ばれる地を本拠としていたとされるが、「カラ・トン」と「ハル・ショゴイ」はいずれも「黒い林」を意味する単語である。中央基壇が12世紀〜13世紀に用いられたと推定されることも踏まえ、ブフグ遺跡は「カラ・トン」の遺跡であったと考えられている。
カラ・トンは宮殿はチンギス・カンの時代にも用いられたことが記録されており、白石典之はアウラガ遺跡(ケルレン川の大オルド)、ブールルジュート遺跡(サアリ・ケール)、ブフグ遺跡(カラ・トン)がチンギス・カンの季節移動の営地で、「アウラガ首都圏」を構成したものと推定している。