ブライアン・デイエット

アメリカの野球選手 (1957-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

ブライアン・ケリー・デイエットBrian Kelly Dayett , 1957年1月22日 - 2025年9月7日)は、アメリカ合衆国コネチカット州出身のプロ野球選手外野手)。1988年1991年まで日本ハムファイターズに所属した。

生年月日 (1957-01-22) 1957年1月22日
没年月日 (2025-09-07) 2025年9月7日(68歳没)
概要 基本情報, 国籍 ...
ブライアン・デイエット
Brian Dayett
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州
生年月日 (1957-01-22) 1957年1月22日
没年月日 (2025-09-07) 2025年9月7日(68歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1978年 MLBドラフト16巡目
初出場 MLB / 1983年9月11日
NPB / 1988年4月20日
最終出場 MLB / 1987年10月3日
NPB / 1991年6月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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来歴・人物

1978年MLBドラフト16巡目(全体の416番目)でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約。1983年メジャー初昇格。1985年に2対4の交換トレードシカゴ・カブスに移籍し、1987年には97試合に出場、打率.277、5本塁打をマーク。

1988年日本ハムファイターズに入団。球団としては異例の4年・375万ドル(当時のレートで約5億360万円)の契約[1]を結び、前年35本塁打のトニー・ブリューワ中日ドラゴンズから移籍の大島康徳とのクリーンナップに期待が集まったが、その構想は開幕前にあえなく崩壊。ブリューワは腰痛で1年を棒に振り、デイエットも開幕直前に右足の付け根部分を痛め、結局この年は35試合出場にとどまり期待を裏切った。しかしチームは、途中入団のマイク・イースラーとこの年急成長を遂げた田中幸雄の活躍で辛うじてAクラスを死守。

1989年はそのイースラーが怪我でリタイヤしたこともあって、84試合と出番は急増したが打率.278、14本塁打と平凡な成績。4月25日西武ライオンズ戦では渡辺久信からサヨナラ本塁打を放っている。1990年からはマット・ウインタースの加入で再び「第3の助っ人」となり、1991年までの2年間でわずか26試合の出場にとどまり、4年間の契約期間を全うして帰国した。帰国後は狩猟用品店を営んだあと、1998年からマイナーリーグ数球団で監督・コーチを務めた。

2000年ごろにパーキンソン病の診断を受けた。

闘病の末、2025年9月7日死去。68歳没[2]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
1983 NYY 1132293601085001020040.207.258.276.534
1984 64139127143180451230002901143.244.295.402.697
1985 CHC 2227261600194000000161.231.259.346.605
1986 24766771840434110103600102.269.316.507.823
1987 9719817720491415802500012000373.277.348.452.800
1988 日本ハム 351311151128204421300011510275.243.328.365.693
1989 8435431339871601414541220138226315.278.359.463.822
1990 15645371100320113102801141.208.313.377.690
1991 114442214400181110020081.333.364.429.792
MLB:5年 21847242645110262141826801163702719.258.316.427.744
NPB:4年 1455935235914022021225666404633311222.268.347.430.778
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記録

NPB

背番号

  • 62 (1983年 - 1984年)
  • 24 (1985年 - 1987年)
  • 9 (1988年 - 1991年)

脚注

関連項目

外部リンク

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