ブロケード (1981年生の競走馬)

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現役期間 1984年~1985年
欧字表記 Brocade[1][2][3]
ブロケード
現役期間 1984年~1985年
欧字表記 Brocade[1][2][3]
品種 サラブレッド[1][2][3]
性別 [1][2][3]
毛色 Bay[1][2]鹿毛[3]
生誕 1981年5月31日[1][2]
死没 2003年
Habitat[1][2][3]
Canton Silk[1][2][3]
母の父 Runnymede[1][2][3]
生国 イギリス[1][2][3]
生産者 ジェラルド・リー
生産牧場 ケイトンパークスタッド[2]
馬主 ジェラルド・リー
調教師 ガイ・ハーウッド
競走成績
生涯成績 11戦5勝[3]
勝ち鞍
G1フォレ賞1985年
G3チャレンジステークス1984年
Listedオークツリーステークス1984年
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ブロケードBrocade1981年5月31日 - 2003年)は、イギリスで生産および調教されたサラブレッド競走馬、のち繁殖牝馬。1984年に3歳でデビューすると、オークツリーステークスチャレンジステークスを制し、クインシー賞でも2着に好走した。4歳時には前年見せたパフォーマンスをなかなか発揮できなかったが、引退レースとなったフォレ賞で勝利してそのキャリアを終えた。繁殖牝馬としてはバラシアゴッサマーの2頭のG1馬を産む成功を収めた。

競走馬時代

ブロケードは「頑強で体格の良い (robust, good-quartered)[4]鹿毛牝馬で、オーナーブリーダージェラルド・リー (Gerald Leigh) がケイトンパークスタッド (Cayton Park Stud) で生産した[5]ウェスト・サセックスパルバラ英語版にあったガイ・ハーウッド英語版の厩舎で調教された。ハーウッドは競走馬の調教における現代的手法で知られ、イギリスへ人工馬場やアメリカ風の納屋式馬房 (barn-style stabling) を導入した[6]

父のハビタットはアメリカ合衆国で生産されイギリスで走ったマイラーで、ブロケードはその11年目の産駒であった。ハビタットは1970年代から1980年代にかけてのヨーロッパを代表する種牡馬の一頭で、他の産駒にハビブティ英語版フライングウォーター英語版マーウェル英語版ローズボウル英語版スタインレン英語版といった競走馬がおり[7]、3度イギリスのリーディングブルードメアサイアーにもなっている[8]

母カントンシルク (Canton Silk) は、4勝を挙げたスプリンターだった[9]。彼女は1923年生まれの繁殖牝馬フレンチキス (French Kiss) の牝系子孫で、同じファミリーにアスコットゴールドカップ勝ち馬シャンガムゾ英語版がいる[10]

2歳時は不出走。3歳の1984年4月にニューベリー競馬場で行われた7ハロンメイドン競走英語版(未勝利戦)に勝ち、競走馬としてデビューした。翌月にはアスコット競馬場のオートバーステークス(Autobar Stakes、1マイル)を制した。6月はロイヤルアスコット開催コロネーションステークスに出走する予定だったが、ハーウッド厩舎の多くの馬と同様ウイルス感染症にかかり、3ヶ月近く競馬場から遠ざかった。復帰戦となったのは7月末にグッドウッド競馬場で行われたオークツリーステークス英語版(7ハロンL)で、ブロケードは2着馬カプリコーンベル[注 1] に1馬身半差をつけて勝利した。その後はフランス・ドーヴィル競馬場の1600メートルで行われたクインシー賞英語版 (G3) に遠征。ここでは善戦するも4歳騸馬テレプロンプター英語版にクビ差で敗れた[12]

帰国後の10月にニューマーケット競馬場で行われたチャレンジステークス(7ハロン、G3)は、ハンガーフォードステークス勝ち馬プレゴ[注 2]サンディレーンステークス勝ち馬フォルツァンド[注 3]らを相手に5対4(2.25倍)の1番人気となった[15]グレヴィル・スターキー英語版騎乗のブロケードはゴール前1ハロンで先頭に躍り出ると、2着のプレゴに3馬身差をつける快勝を収めた。同月末は再度渡仏してフォレ賞ロンシャン競馬場1400メートル、G1)に出走。優勝したプロシーダ[注 4]に2馬身弱の差をつけられ、出走馬10頭中5着でゴールしてシーズンを終えた[12]

1984年の公式インターナショナル・クラシフィケーションにおいてブロケードは、イギリスで調教された3歳牝馬の中でケイティーズサーカスプルーム英語版ペブルス英語版マイスエルレーム[注 5]に次ぐ第5位に評価された[12]

1985年シーズンは6月のロイヤルアスコット開催で行われたコークアンドオラリーステークスアスコット競馬場、G3)から始動した。6ハロンへの距離短縮となったが、3歳牝馬ダファイナ[注 6]の後塵を拝して4着に終わった。続くチャイルドステークスニューマーケット競馬場8ハロン、G3)はアルバハスリ英語版の6着、ハロウェイズステークス英語版グッドウッド競馬場7ハロン、L)はエフィシオwikidataの9着にそれぞれ敗れた。後者のレース後、タイムフォーム誌の記者はブロケードがスタート前に軽く汗ばんでいるように見えたことから「調教がうまくできていない (failed to train on)」、つまり3歳から4歳への成長が期待されたほどではなかったとコメントした[4]

連覇を目指して出走したチャレンジステークスニューマーケット競馬場7ハロン、G3)ではエフィシオチャペルコテージ[注 7]、パウダーケッグ (Powder Keg) と差のない4着だった。10月は2度目の挑戦となるフォレ賞ロンシャン競馬場1400メートル、G1)に向かった。スターキー騎手がより評価の高い僚馬ヤングラナウェイ[注 8]プロシーダリヴァードラマー[注 9]と並ぶ1番人気だった)に騎乗したため、23対1(24倍)の人気薄だったブロケードはパット・エデリーへ乗り替わりとなった。レースは14頭立てで、他にベアン[注 10]ダファイナエフィシオニコス[注 11]サラーブ[注 12]らが出走した。ブロケードはオッズを覆し、ゴールの400メートル手前で先頭に立つと追い込んできたニコスを1馬身差抑えて優勝した[4]

1985年の公式インターナショナル・クラシフィケーションでは、ブロケードはイギリスで調教された古馬牝馬でペブルスフリーゲスト[注 13]に次いで第3位の評価を受けた[4]

繁殖牝馬時代

1985年のシーズン終了とともに現役を引退し、リーの牧場で繁殖牝馬となった。繁殖成績も優秀で、産駒のうち少なくとも8頭が勝ち上がり、うち4頭がグレードレース勝ち馬となった。さらにバラシア英語版ゴッサマー英語版はそれぞれG1競走で2勝を挙げている。

国際競馬統括機関連盟 (IFHA) は“Brocade”を国際保護馬名に指定しており[26]、再使用が認められない馬名となっている。

競走成績

繁殖成績

生年月日 馬名 毛色 主な成績 出典
初仔 1987年2月13日 Free At Last 鹿毛 Shirley Heights 19戦7勝 [31][32]
2番仔 1988年2月1日 Zabar 鹿毛 Dancing Brave 22戦7勝 [33][34]
3番仔 1989年2月3日 Fort Shirley 鹿毛 Shirley Heights 14戦2勝 [35][36]
4番仔 1990年3月2日 Barathea 鹿毛 Sadler's Wells 16戦5勝 [37][38]
5番仔 1991年2月21日 Foulard 鹿毛 Sadler's Wells [39][40]
6番仔 1992年2月29日 Bracco 鹿毛 Sadler's Wells [41]
7番仔 1993年3月15日 National Treasure 鹿毛 Shirley Heights 3戦0勝 [42][43]
8番仔 1994年4月2日 Bombazine 栗毛 Generous 5戦1勝 [44][45]
9番仔 1995年5月3日 Taffety 鹿毛 Last Tycoon [46][47]
10番仔 1996年5月21日 Brocatelle 鹿毛 Green Desert 4戦0勝 [48][49]
11番仔 1997年5月21日 Zibilene 鹿毛 Rainbow Quest 5戦1勝 [50][51]
12番仔 1999年2月20日 Gossamer 鹿毛 Sadler's Wells 8戦4勝 [52][53]
13番仔 2000年4月4日 Camlet 鹿毛 Green Desert 8戦2勝 [54][55]
14番仔 2001年4月21日 Serge 栗毛 Nashwan [56]

血統表

脚注

外部リンク

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