マッツ・ビランデル
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||
|---|---|---|---|---|
|
2014年ビランデル | ||||
| 基本情報 | ||||
| フルネーム | Mats Arne Olof Wilander | |||
| 国籍 |
| |||
| 出身地 | クロノベリ県ベクショー | |||
| 居住地 |
アイダホ州ヘイリー | |||
| 生年月日 | 1964年8月22日(60歳) | |||
| 身長 | 182cm | |||
| 体重 | 77kg | |||
| 利き手 | 右 | |||
| バックハンド | 両手打ち | |||
| 殿堂入り | 2002年 | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 1981年 | |||
| 引退年 | 1996年 | |||
| ツアー通算 | 40勝 | |||
| シングルス | 33勝 | |||
| ダブルス | 7勝 | |||
| 生涯通算成績 | 739勝349敗 | |||
| シングルス | 571勝222敗 | |||
| ダブルス | 168勝127敗 | |||
| 生涯獲得賞金 | $7,976,256 | |||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||
| 全豪 | 優勝(1983・84・88) | |||
| 全仏 | 優勝(1982・85・88) | |||
| 全英 | ベスト8(1987-89) | |||
| 全米 | 優勝(1988) | |||
| 優勝回数 | 7(豪3・仏3・米1) | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 準優勝(1984) | |||
| 全仏 | ベスト4(1985) | |||
| 全英 | 優勝(1986) | |||
| 全米 | 準優勝(1986) | |||
| 優勝回数 | 1(英1) | |||
| 国別対抗戦最高成績 | ||||
| デビス杯 | 優勝(1984・85・87) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 1位(1988年9月12日) | |||
| ダブルス | 3位(1985年10月21日) | |||
マッツ・ビランデル(Mats Wilander、1964年8月22日 - )は、スウェーデン・ヴェクショー出身の元男子プロテニス選手。ビョルン・ボルグ、ステファン・エドベリと並んで、スウェーデンの男子テニス界の黄金期を築いた3強豪のひとりである。4大大会でシングルス通算「7勝」を挙げ、ダブルスでも1986年のウィンブルドンで優勝した。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス33勝、ダブルス7勝を挙げた。右利きの選手。
1981年にプロ入り。1982年の全仏オープンにて、17歳9ヶ月の若さで4大大会初優勝。その決勝戦ではアルゼンチンのベテラン選手、ギリェルモ・ビラスとの大熱戦を制し、大会初出場で初優勝を飾った。直後の1983年1月に先輩のビョルン・ボルグが突然の引退表明をしたため、ビランデルに対するスウェーデンのスポーツ界の期待が高まった。1983年と1984年に全豪オープンで大会2連覇を達成する。1985年までの全豪オープンは、「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで12月の年末に開催されていた。1985年には全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした。1986年はシングルス部門ではやや不振の年となったが、ウィンブルドンではヨアキム・ニーストロムと組んだダブルスで初優勝を飾っている。翌1987年は調子を取り戻し、全仏オープンと全米オープンでは決勝に進出する。しかしどちらもイワン・レンドルに敗れてしまい、準優勝に終わった。
マッツ・ビランデルは1988年にキャリアの最盛期を迎え、ウィンブルドンを除く4大大会年間3冠を獲得した。全豪オープン決勝ではパット・キャッシュ、全仏オープン決勝ではアンリ・ルコントを破り、それぞれの大会で地元選手の優勝を阻止している。ところが、最も苦手な芝生のウィンブルドンで、男子テニス界で“スウェーデン・キラー”と呼ばれてきたチェコスロバキアのミロスラフ・メチージュに準々決勝で敗れ、年間グランドスラムのチャンスは消えた。4大大会年間最終戦の全米オープンでは、決勝でイワン・レンドルと「4時間55分」に及ぶ激戦を繰り広げて、悲願の大会初優勝を果たす。年間3冠獲得は1974年のジミー・コナーズ以来14年ぶりの快挙達成であった。ビランデルはこの勝利により、レンドルから世界ランキング1位のポジションを奪取した。
しかし1989年に入ると、ビランデルのテニス成績は急降下を始める。全豪オープンでは2回戦でインドのラメシュ・クリシュナンに敗れ、全仏オープンでも準々決勝でソ連のアンドレイ・チェスノコフに敗れ去る。年頭には1位だった世界ランキングも下降の一途をたどり、夏の終わりには5位に転落していく。そして全米オープンでは2回戦で当時18歳のピート・サンプラスに敗れ、一気に前年までの輝きを失っていった。1990年全豪オープンで準決勝に進出したものの、1988年当時の輝きはもう戻らなかった。
ビランデルは引退後、一時期マラト・サフィンのコーチを務めたこともあった。2002年に国際テニス殿堂入りを果たし、現在は男子テニスのシニア・ツアーを転戦している(最初は35歳以上の現役引退選手が対象であったが、最近になってシニア・ツアー参戦の最低年齢が30歳に引き下げられた)。2003年からは、デビスカップのスウェーデン代表監督も務めている。
ビランデルと同年代に当たるステファン・エドベリが1996年に現役を引退した後は、スウェーデンのテニス界は往時の輝きを取り戻せない状態になっている。
記録
- グランドスラムのクレー・芝・ハードコートの大会それぞれ2回以上優勝
- 他にラファエル・ナダルが記録。
- 全豪オープン3年連続決勝進出
- イワン・レンドル、ノバク・ジョコビッチとタイ記録。
- 最年少全豪オープン優勝者
- 17歳9ヶ月
- 全仏オープン初参加初優勝
- 他にラファエル・ナダルが記録。