ペルシャ・プリンセス

From Wikipedia, the free encyclopedia

ペルシャ・プリンセス(Persian Princess)もしくはペルシャ・ミイラ(Persian Mummy)とは2000年10月パキスタンバローチスターン州で発見されたミイラ

このミイラは当初、アケメネス朝ペルシャ王女のものと目され、世間の関心を引いた。しかし、さらなる調査ののち、ミイラは現代の偽物であるばかりか、殺人事件被害者である可能性も高いことが発覚した。

このミイラは2000年10月19日に発見された。当初、パキスタン政府はあるビデオテープの存在について注意していた。このビデオで、アリー・アクバル(Ali Aqbar)は一体のミイラを所持し、それを販売したいと述べていた。そしてアクバルは警察に突き止められ、ミイラがアフガニスタン国境付近のバローチスターン州カーラン(Kharan)の部族長ワリ・モハメド・リーキ(Wali Mohammed Reeki)の家にあると供述した。リーキはミイラがシャリーフ・シャー・バキー(Sharif Shah Bakhi)というイラン人からもらったもので、クエッタ付近で発生した地震の後バキーが入手したものであると主張した。このミイラは芸術品の闇市で600万ルピー(当時の為替レートで約1100万米ドル)で出品されていたことも判明し、リーキとアクバルはパキスタン文化財保護法違反の疑いで訴えられた[1]

鑑定

10月26日記者会見で、イスラマバードクエイド=イ=アザーム大学考古学者アフマド・ハサン・ダニ(Ahmad Hasan Dani)はミイラが紀元前600年前後のある王女のもののようであると発表した。このミイラは古代エジプトの様式で包まれ、サルコファガスの中にある、楔形文字が彫られた金色木棺の中に置かれていた。棺の外側には大きなファラヴァハルシンボルが刻まれていた。ミイラの下にはロウ蜂蜜の層、上には石の板、にはがあった[1]。ミイラのの上にある金のプレートに刻まれた銘文によると、この女性はアケメネス朝の王クセルクセス1世の娘、ロードゥグーネ(Rhodugune)である[2]

考古学者は彼女がペルシャの王子と結婚したエジプトの王女、あるいはアケメネス朝ペルシャの初代国王キュロス2世の娘であると推測した。しかし、ミイラの製作は古代エジプト以外でほとんど見られず、今回までペルシャの故地でミイラが見つけられたことは一件もなかった[1]

所有権論争

ミイラの存在が公表されると、イランとパキスタン両国の政府はたちまちその所有権について論争し始めた。イラン文化遺産機構は彼女がペルシャ王室の一員であると主張し、ミイラの返還を求めた。一方、パキスタンの文化財保護機関はミイラが自国境内で発見されたことを根拠として、パキスタンこそその所有権を持つと反論した。また、アフガニスタンのタリバンも所有権を主張した。クエッタの住民たちは警察がミイラを彼らに戻すべきであると求めた[1]

2000年11月カラチパキスタン国立博物館でこのミイラの展示が始まった。

疑惑

その後

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI