ホテル西洋銀座

From Wikipedia, the free encyclopedia

正式名称 ホテル西洋銀座
運営 エイチ・エス・ジー
階数 地下2 - 12階
部屋数 77室
ホテル西洋銀座
Hotel Seiyo Ginza
ホテル概要
正式名称 ホテル西洋銀座
運営 エイチ・エス・ジー
階数 地下2 - 12階
部屋数 77室
開業 1987年(昭和62年)3月15日
閉業 2013年(平成25年)5月31日
最寄駅 東京メトロ銀座一丁目駅
東京メトロ京橋駅
最寄IC 首都高速道路8号線東銀座出口
所在地 〒104-0061
東京都中央区銀座1丁目11番2号
位置 北緯35度40分28.7秒 東経139度46分10.1秒 / 北緯35.674639度 東経139.769472度 / 35.674639; 139.769472座標: 北緯35度40分28.7秒 東経139度46分10.1秒 / 北緯35.674639度 東経139.769472度 / 35.674639; 139.769472
テンプレートを表示
ホテル西洋銀座
(銀座テアトルビル)
情報
用途 ホテル劇場映画館レストラン
設計者 久米建築事務所
菊竹清訓建築設計事務所
施工 竹中工務店
建築主 東邦生命保険
東京センタービルディング
西洋環境開発
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート及び鉄骨構造
敷地面積 2,527.46 m²
建築面積 2,031.61 m²
延床面積 18,146.36 m²
状態 解体
階数 地上12階地下2階、塔屋2階
高さ 47.55m(軒高)、57.75m(最高)
エレベーター数 9台
着工 1985年昭和60年)1月23日
竣工 1987年昭和62年)1月31日
開館開所 1987年(昭和62年)3月2日
(劇場、地下1階の一部)
解体 2014年
テンプレートを表示

ホテル西洋銀座(ホテルせいようぎんざ・1987年(昭和62年)3月15日開業 - 2013年(平成25年)5月31日閉鎖)は、東京都中央区銀座一丁目にあった高級シティホテル

施設・サービス

1984年にオープンした有楽町西武[注 1]に続くセゾングループの銀座戦略の一環として[1]、グループのデベロッパー西洋環境開発が、銀座中央通りのテアトル東京跡地に建設した「銀座テアトルビル」に1987年3月開業した。投資額は約100億円[2]

当初予定されていたのは、オフィス機能に劇場を付加する構想であったが、オフィスの上に劇場があることの不自然さや、夜間のオフィスビルは明かりが消えてしまうなどの理由から、結局、ホテルを建設することに決まった[3]。ホテル機能プラス劇場に基本的な設計変更が行われ、ホテル、劇場、ギャラリー、飲食という複合機能を持った新しいホテル構想が出来上がった[3]

コンセプトは「西欧の高質感と和の伝統の現代化」[2]パリの『リッツ』やロンドンの『コンノート英語版』のような小規模高級ホテルに日本旅館の持つ“かゆいところに手が届くようなサービス”を取り入れた[4]「スモールラグジュアリーホテル」を自称していた。映画館「銀座テアトル西友」(後の銀座テアトルシネマ)と銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座 by PARCO)を併設し、地下1階のレストランはホテルと劇場で共通であった。

外観は菊竹清訓が手掛け、客室階の3次元的にセットバックするのある形態と、劇場部分の大屋根を白いセラミックで覆い、大きな館を暗喩させるデザインとしている[1]。エントランス、ピロティ部分の天井照明デザインは石井幹子、劇場・映画館部分の内装デザインは田中一光杉本貴志がそれぞれ手掛けた。

77[注 2]という少数の客室数ながら、1室の平均面積は60㎡(換算で約30畳)を超え、開業当初は6階以上がすべてスイートルームだった[5]。菊竹が提唱したメタボリズム建築を具現化し、ライフスタイルの変化に対応することを目指して[5]、3階には宴会場とホワイエ楽屋を同じフロアに配置。ホワイエをイベントスペースとして活用したり、役者と観客の交流を促すなど、ホテルの新しい可能性を提示することも意図していた[1]。総支配人として、ニューヨークウォルドルフ・アストリアで支配人の経験を持つ永井得也をスカウト[3]。レストラン部門のグランド・シェフにはパリのホテル・ド・パリやムーラン・ド・ムージャンで修業した鎌田昭男を招いた[3]。また当初、田崎真也ソムリエの責任者を務めている[6][7]

宿泊においては、海外マーケットを重視し、1988年12月に世界の伝統ある名門ホテルの組織であるプリファードホテルズワールドに加盟し、1990年1月には、欧州を中心にアメリカ・カナダ等にあるホテルレストランの権威ある組織ルレ・エ・シャトーのメンバーにも加盟[8]。またザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールドにも加わっていた。

レストランにおいては、本格的フレンチ・イタリアンレストランを目標に海外からの招聘シェフ等で販売促進を行った[8]。そのような中で、米国のトラベル&レジャー誌においてホテル内「アトレー」がイタリア国外での最高のイタリアンレストランとして評価されている[8]

パーソナルコンシェルジュサービスもいち早く導入された[7]。一般的なホテルにあるフロントカウンターはなく、利用客はホテルに到着すると、パーソナルセクレタリーと呼ばれるスタッフが出迎え、2階にあるレセプションルームでチェックインを行い、各客室へ案内。チェックアウトまでの秘書的な業務に加え、各種チケットリムジンなどの手配・予約にも対応した。客室内ではルームアシスタントがランドリーサービス承りから好みの・バス用品・化粧品のオーダーに至るまで、様々な利用客の要望に応えていた[9]

館内の飲食店や宴会場には演劇音楽にまつわる名称がつけられていた。地下1階のカフェイタリア語で“~の間”を意味し、“幕間”を表現した「イントラ」、2階メインダイニングは田園曲を意味する名詞の「パストラル」、3階宴会場は「サロン・ラ・ロンド」などである。この他、宿泊客及び厳しい入会資格をパスした会員のみが入れるメンバーズバー[10]などが併設された。

閉館

運営会社の「ホテル西洋」は、1986年12月に資本金4億5000万円で設立され[8]、そのレストランオペレーションノウハウを基に、1988年4月には西洋環境開発が川崎市新百合ヶ丘の地域開発において建設した総合生活オペレーション機能を備えた賃貸住宅ベルクリエ2階には、プールを併設したガーデンレストラン「アサガオガーデン」を運営受託でオープンされている[8]

2000年3月、経営危機に陥っていた西洋環境開発は不動産を東京テアトルに譲渡。ホテルの運営は東京テアトルの子会社エイチ・エス・ジーが継承した。同年7月、米国ホテル運営大手のローズウッドホテル&リゾーツと運営委託契約を締結し(2009年12月解約)、輸入家具などの什器関係の販売代行、関連コンサルティング、惣菜の外販等も順次開始。事業範囲の拡大に取り組んだ。しかし、リーマンショック後は利用客が激減。都内には外資系ホテルの進出も相次ぐ参入で苦戦を強いられる中、2013年3月期には赤字を計上。この間、2012年に東京テアトルは財務体質改善のため、銀座テアトルビルを売りに出した[11][12]。しかし、その後も業績回復に至らず、2013年5月31日をもってホテル西洋銀座は、銀座テアトルシネマ・ル テアトル銀座 by PARCOとともに営業を終了し閉館した[13]

土地と建物は、2013年6月にコナミの関連会社が取得。もともとホテル自体が更新可能なように計画されており[14]、コナミ側も、当初は改装の上でグループの拠点として活用していく予定だった[15]。しかし老朽化を理由として全面建替えに方針を転換、2014年8月25日から解体工事に着手した[7]。跡地には「コナミクリエイティブセンター銀座」が竣工している[16]

西洋銀座ブランドのその後

建物売却後は、東京テアトルの子会社である札幌開発株式会社が「西洋銀座」のブランドで洋食及び洋菓子のデリバリー、パティスリー業務を展開。2023年9月、発祥の地である銀座にて、フレンチレストラン「レストラン西洋銀座」をオープン[17][18]2025年9月には改装オープンする西武池袋本店地下2階に「西洋銀座 西武池袋本店」を出店する[19]

客室

  • スイートルーム
  • デラックスブードア ルーム
  • スーペリアルーム

など

施設

  • フランス料理「レペトワ」
  • イタリア料理「アトーレ」
  • バー&ラウンジ「プレリュード」(バー
  • メンバーズバー「G1」(バー
  • 東京吉兆西洋店(懐石料理
  • すし屋 真魚(
  • 宿泊者専用フィットネスルーム

など

アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI