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ポスト・ディスコ

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ポスト・ディスコ(英:Post-disco)は、1970年代前半から1980年代初頭まで流行したディスコ音楽の流行が去った後、ダンス・ミュージックに関する暗中模索を行っていた時代の音楽である[1][2]。

音楽の傾向は、DJやプロデューサーによって、ダンス・ポップ[3][4]やブギー[5]、イタロ・ディスコ[5]に象徴されるように、より電子化され、実験的なものだった[5]。テクノとハウスはポスト・ディスコから定着した[3][6][7][8][9][10]。

ディスコ音楽からは、シンセサイザーで作られるダンス・ミュージックの全てが派生して行ったが、まさにその派生の最初期に登場した音楽ジャンルである。

起源

ジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテのコンビがシンセサイザーのみでバックトラックを制作したディスコ音楽である、ドナ・サマーの「I Feel Love」が早くも1977年に発売されると、ブライアン・イーノが「このシングルはこの先15年のクラブ・ミュージックのサウンドを変えることになるだろう」とコメントした。電子音楽界の巨匠による証言と音楽的特徴を考慮すると、「I Feel Love」はポスト・ディスコと、そのジャンルから更に派生したHi-NRGの前史に当たると言える。1977年当時には、シンセサイザーによってポピュラー化されたミニマル・ミュージックの領域では、アシュ・ラ・テンペルやクラフトワークが活動しているのみであった事実を考えれば、音楽シーン全体からしても非常に画期的なリリースであった。

ディスコ・デモリッション・ナイト[11]以降、ディスコ・ミュージックはラジオ局でのエアプレイが減少し、代わってブラック・コンテンポラリー、AOR、トップ40もの、ヘヴィメタル、産業ロックなどが流されるようになった。ディスコ・ミュージックの主流レーベルだったカサブランカ・レコード、TKレコード、RSOレコードは経営難に陥っていく。しかし、Hi-NRG、イタロ・ディスコ、ブギー、ユーロビート、テクノポップといった新しいスタイルに分かれながら、ディスコ・ミュージックは生き残っていった[2][12]。

マイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール』(プロデューサー:クインシー・ジョーンズ)は、R&Bやダンス・ミュージックを制作する一部のプロデューサーに影響を与えた[13]。ファンク・バンドのパーラメント-ファンカデリックは、1970年代と1980年代に多くのポスト・ディスコとポスト・パンクの音楽を制作した[14]。

「ポスト・ディスコ」という言葉は、生演奏のエレクトリック・ベース、ドラムスがないディスコ・ミュージックを定義するために、1984年に『ケイデンス・マガジン』が初めて使用した[15]。「ポスト・ディスコ」は、ディスコ・ミュージックの終わりからハウス・ミュージックの出現の間の時代の音楽ジャンルをオールミュージックが表現するときに使用される[5]。

チャート

ポスト・ディスコ時代に成功したレコードたち(大半はR&B、ポップ指向)

年曲レーベルアーティストU.S. Dance [16]U.S. R&B [16]U.S. Pop [16]U.S. M.R. [16]U.K. Pop[17]
1980年「Celebration」[18]De-Liteクール・アンド・ザ・ギャング#1#1#1 ('81)―#7
1981年「レッツ・グルーヴ」 [19]Columbiaアース・ウィンド・アンド・ファイアー#3#1#3―#3
1982年「Last Night a DJ Saved My Life」[20] [21]Sound of New Yorkインディープ#2#10――#13
「ラブ・カム・ダウン」[22][23]RCAイヴリン・キング#1#1#17―#7
1983年「Give It Up」[24]MecaKC――#18―'#1
1983年「ビリー・ジーン」[25]Epicマイケル・ジャクソン#1#1#1―#1
1984年「レッツ・ダンス」[25]Epicデヴィッド・ボウイ#1#14#1#6#1
「Cool It Now」 [26]MCAニュー・エディション―#1#4―#43
「Dr. Beat」 [27]Epicマイアミ・サウンド・マシーン#17―――#6
1987年「Rhythm Is Gonna Get You」 [27]Epicマイアミ・サウンド・マシーン#27―#5――

ポスト・ディスコ・リバイバル

2000年代にハウス・ミュージック・グループのダフト・パンクは、1980年代のポスト・ディスコ風アルバム『ディスカバリー』(2001年)を発表した[28]。他のハウス・アーティストであるレ・リズム・ディジタルは1980年代のポスト・ディスコに影響された[29]。カナダの音楽グループであるクローメオは、1980年代調のブギー・アルバム『She's in Control』で2004年にデビューした。『The Perfect Beats』シリーズ (Vol. 1-4) は、様々なアーティスト(イマジネーション、レベル42、アフリカ・バンバータなど)によるポスト・ディスコのコンピレーション・アルバムである[30]

特徴

ディスコ・ミュージックとは異なり、ポスト・ディスコは通常ハイハットによるビートやエレクトリック・ベースによるウォーキング・ベース、ストリングスはなく、ドラムマシン、シンセサイザー、シーケンサーによる4/4拍子を特徴としている。ソウルフルな歌声は、この新しい音楽に留まった。ポスト・ディスコはアンダーグラウンド・ミュージックというわけではなく、マドンナ、ニュー・オーダー、ペット・ショップ・ボーイズなどのディスコ・ミュージックに対する新しい解釈によるキャリアである[2]。

演奏者

「 「Thanks To You」と「Don't Make Me Wait」がダブの最初である[31] — シェップ・ペティボーン 」

ラリー・レヴァンは、アンダーグラウンドな彼自身のグループであるピーチ・ボーイズを含む、様々なポスト・ディスコ・アーティストをプロデュース・リミックスする際に、ダブの技術を使う。シナモンの「Thanks To You」、D・トレインの「You're the One for Me」、ピーチ・ボーイズの「Don't Make Me Wait」といったポスト・ディスコの曲達は、これまでにない新しい音楽スタイル(ハウス・ミュージック)だった[32]。

DJ、ミキサー、プロデューサーとして新しい音楽を創造した音楽家は、例えばアーサー・ベイカー[33]、ラリー・レヴァン[33][34]、フランキー・ナックルズ[33][35]、シェップ・ペティボーン[33]、カシーフ[33]などである。

ポスト・ディスコに続いたポップ・ロック、電子音楽、R&Bのミュージシャンは、例えばテレックス[33]、D・トレイン[33][36]、ザ・システム、シャロン・レッド、Musique、ゲイル・アダムス、パトリース・ラッシェン、エムトゥーメイ[33]、オーラ、スカイ[33]、インナー・ライフ、ラファエル・キャメロン、エドウィン・バードソング、アンリミテッド・タッチ[33][36]、カーティス・ブロウ[37]、ウォズ (ノット・ウォズ)、リキッド・リキッド[33]、イマジネーション、ボビー・O[38]、シャノン、タイメックス・ソーシャル・クラブ、S.O.S.バンド、シャラマー、レイクサイド、ミッドナイト・スター、ウィスパーズ、インスタント・ファンクなどである。

ポスト・ディスコのアルバムには、マイケル・ジャクソンの『スリラー』(1982年)[39]、パトリース・ラッシェンの『ハート泥棒』(1982年)、マドンナの『バーニング・アップ』(1983年)などがある。

残した影響

1980年代のポスト・ディスコ・サウンドは多くのノルウェーのダンス・ミュージックのプロデューサーに影響を与えた[40]。アイス・キューブやEPMDなどの一部のラッパーは、ザップやキャメオのような彼らがお気に入りのポスト・ディスコ・ファンク・サウンドにラップを重ねた[41]。ショーン・パフィ・コムズは、ポスト・ディスコ・R&Bに間接的に影響を受けた[42]。

レコード・レーベル

関連項目

脚注

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