ポール・ド・マン
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研究内容・業績
戦時中のジャーナリスト活動と反ユダヤ的著作
第二次世界大戦中の1941年3月4日、ポール・ド・マンは親ナチス新聞 Le Soirに「Les Juifs dans la littérature actuelle(現代文学におけるユダヤ人)」を発表し「ヨーロッパ人の生活のあらゆる局面にユダヤ的な干渉があったにもかかわらず、われわれの文明はその完全な独自性と特質を維持することで、その根本性質が健全なものであることを立証した」「ヨーロッパから隔離された地にユダヤ人居留地を設営するというユダヤ人問題への解決策は、西洋の文学生活には少しも嘆かわしい結果をもたらさない」と論じ、この他にもジャーナリストとして数編の記事を書いた[1][2][3]。
1988年、オルトウィン・ド・グラーフが戦時中にポール・ド・マンが親ナチス雑誌 Le Soirに掲載していた記事を発見した[1]。その後、ヴェルナー・ハーマッハー、ニール・ハーツ、トマス・キーナンが編集した「Wartime Journalism 1939–1943 by Paul de Man」(University of Nebraska Press, 1988)が刊行され、ポール・ド・マンの反ユダヤ主義的発言をめぐって論争となった[1]。
ジェフリー・ゴルト・ハーパムは、ポール・ド・マンの「非道徳性やホロコーストへの加担、場当たり的行動」が議論されるようになってしまったと述べている[4][1]。
ポール・ド・マンの「現代文学におけるユダヤ人」における「ヨーロッパから隔離された地にユダヤ人居留地を設営するというユダヤ人問題への解決策」とはマダガスカル計画のことであり、マダガスカル計画はアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト主導で考案されたユダヤ難民救済政策であり、その後、ヒトラーとビウス2世教皇や、フランス、イギリス政府でも話題にされたとマーティン・マックィランは述べている[5][1]。
家族・親族
- 叔父:アンリ・ド・マン(ヘンドリック・ド・マン)は、政治家・元フランクフルト大学教授。ナチス・ドイツ統治下の対独協力者の一人である。
著作
- Blindness & Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism, (Oxford University Press, 1971).
- Allegories of Reading: Figural Language in Rousseau, Nietzsche, Rilke, and Proust, (Yale University Press, 1979).
- The Rhetoric of Romanticism, (Columbia University Press, 1984).
- The Resistance to Theory, (Manchester University Press, 1986).
- Wartime Journalism, 1939-1943, ed., by Werner Hamacher, Neil Hertz, and Thomas Keenan, (University of Nebraska Press, 1988).
- Critical Writings, 1953-1978, ed., by Lindsay Waters, (University of Minnesota Press, 1989).
- Romanticism and Contemporary Criticism: the Gauss Seminar and Other Papers, ed., E. S. Burt, Kevin Newmark and Andrzej Warm, (Johns Hopkins University Press, 1993).
- Aesthetic Ideology, ed., by Andrzej Warminski, (University of Minnesota Press, 1996).
- ジャーナリズムでの寄稿
- Wartime Journalism 1939–1943 by Paul de Man」University of Nebraska Press, 1988,
- ヴェルナー・ハーマッハー、ニール・ハーツ、トマス・キーナン編
- 土田知則訳、ポール・ド・マン「ドイツ占領下時代の新聞記事5篇」『思想』1059号、2012年7月号、岩波書店