マウリシオ・ペジェグリーノ

アルゼンチンのサッカー選手・監督 From Wikipedia, the free encyclopedia

マウリシオ・ペジェグリーノMauricio Andrés Pellegrino Luna, 1971年10月5日 - )は、アルゼンチンコルドバ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。マキシミリアーノ・ペジェグリーノスペイン語版は弟であり、彼もセンターバックでプレーする。

本名 マウリシオ・アンドレス・ペジェグリーノ・ルナ
Mauricio Andrés Pellegrino Luna
ラテン文字 Mauricio PELLEGRINO
生年月日 (1971-10-05) 1971年10月5日(54歳)
概要 マウリシオ・ペジェグリーノ, 名前 ...
マウリシオ・ペジェグリーノ
名前
本名 マウリシオ・アンドレス・ペジェグリーノ・ルナ
Mauricio Andrés Pellegrino Luna
ラテン文字 Mauricio PELLEGRINO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1971-10-05) 1971年10月5日(54歳)
出身地 レオネススペイン語版
身長 193cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
ユース
1982-1987 アルゼンチンの旗 サルミエント
1987-1990 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1998 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 186 (11)
1998-1999 スペインの旗 バルセロナ(loan) 23 (0)
1999-2005 スペインの旗 バレンシア 140 (5)
2005 イングランドの旗 リヴァプール 12 (0)
2005-2006 スペインの旗 アラベス 13 (0)
通算 374 (16)
代表歴
1993  アルゼンチン U-20 2 (0)
1997 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 3 (0)
監督歴
2008-2010 イングランドの旗 リヴァプール (アシスタントコーチ)
2010 イタリアの旗 インテル (アシスタントコーチ)
2012 スペインの旗 バレンシア
2013-2015 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2015-2016 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
2016-2017 スペインの旗 アラベス
2017-2018 イングランドの旗 サウサンプトン
2018-2019 スペインの旗 レガネス
2020-2022 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
2023- チリの旗 ウニベルシダ・デ・チレ
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

選手時代

クラブ

初期の経歴

1990年にCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、クラブの黄金期に4度のリーグ優勝を飾り、1994年にはコパ・リベルタドーレスインターコンチネンタルカップで優勝を果たした。1998年夏、ルイ・ファン・ハール監督が率いるFCバルセロナにレンタル移籍し、9月12日のCFエストレマドゥーラ戦 (1-0) でデビューした。1998-99シーズンはかなりの試合に起用され、リーグ優勝を果たした。

バレンシアCF

1999年にバレンシアCFに移籍し、キャリア最高の時期を過ごした。同じアルゼンチン人ロベルト・アジャラとセンターバックのコンビを組み、2度のリーグ優勝と2003-04シーズンのUEFAカップ優勝に貢献した。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したが、レアル・マドリードとの同国対決に0-3で敗れて準優勝に終わった。2000-01シーズンも同大会で決勝に進出し、バイエルン・ミュンヘンとの対戦は120分を戦って勝敗の行方がPK戦に持ち込まれたが、ペジェグリーノはPK戦でペナルティキックを外している[1]。バレンシアCFには6シーズンの間在籍し、200試合近い公式戦に出場した。

リヴァプールFC

2005-06シーズン序盤は所属クラブがなかったが、2005年1月、バレンシアCF時代の恩師であるラファエル・ベニテス監督が率いていたリヴァプールFCと6ヶ月の短期契約を結び[2]。リヴァプールFCに在籍した初めてのアルゼンチン人選手となった。プレミアリーグでは12試合、公式戦通算13試合に出場したが、彼のプレーは契約延長を果たすのに十分なものではなく、2004-05シーズン終了後にクラブを離れた[3]。その後デポルティーボ・アラベスと契約し、2005-06シーズンは13試合に出場したが、チームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格に終わった。2006年夏、デポルティーボ・アラベスとの契約満了にともなって現役引退した。

代表

1997年にアルゼンチン代表デビューした。同年中に3試合に出場し、コパ・アメリカ1997のメンバーにも選ばれた。

指導者時代

現役引退後の2006年6月、バレンシアCFのカデッテBの監督に就任した[4]。2008年6月30日にはラファエル・ベニテス監督率いるリヴァプールFCのアシスタントコーチに就任し[5]UEFAチャンピオンズリーグFAカップ優勝に尽力した。2010年夏までリヴァプールFCで指導し、ベニテスのインテル監督就任とともにインテルのアシスタントコーチに就任した[1]。同年12月、ベニテスの監督解任を受けてペジェグリーノも解任された。

2012年にはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督に就任する可能性もあったが[6]、5月8日、バレンシアCFと2年契約を結んで監督に就任することが発表された[1]。しかし、成績不振のため、2012年12月に解任された[7]

16-17シーズンからかつて自身が所属したデポルティーボ・アラベスの監督に就任した。 第3節でFCバルセロナを敵地カンプノウで2-1で下すなど、昇格1年目のチームをリーグ9位に導く躍進の立役者となった。また決勝でバルセロナに敗れたものの、クラブ史上2度目のコパ・デル・レイ決勝進出も果たした。 しかしシーズン終了後の2017年5月29日、退任することが発表された[8]

6月23日、解任されたクロード・ピュエルの後任としてプレミアリーグサウサンプトンFCの監督に就任した[9]

2018年6月2日CDレガネスの監督に就任[10]。2018-19シーズンは13位で終えたものの、翌2019-20シーズンは開幕から未勝利が続き、2019年10月21日に解任された[11]

2020年4月16日、CAベレス・サルスフィエルドの監督に就任した[12]

2022年11月29日、クルブ・ウニベルシダ・デ・チレの監督に就任した[13]

監督成績

2022年3月21日現在
さらに見る クラブ, 就任 ...
クラブ 就任 退任 記録
勝率
バレンシア 2012年6月4日 2012年12月1日 211047047.62
エストゥディアンテス 2013年4月5日 2015年4月14日 95393026041.05
インデペンディエンテ 2015年6月4日 2016年5月10日 4121137051.22
アラベス 2016年6月26日 2017年5月29日 47181712038.30
サウサンプトン 2017年6月23日 2018年3月12日 3481313023.53
レガネス 2018年6月2日 2019年10月21日 51131523025.49
ベレス・サルスフィエルド 2020年4月17日 2022年3月23日 78372120047.44
合計 371148114109039.89
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タイトル

脚注

外部リンク

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