マウリシオ・ペジェグリーノ
アルゼンチンのサッカー選手・監督
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マウリシオ・ペジェグリーノ(Mauricio Andrés Pellegrino Luna, 1971年10月5日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。マキシミリアーノ・ペジェグリーノは弟であり、彼もセンターバックでプレーする。
Mauricio Andrés Pellegrino Luna
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|---|---|---|---|---|---|---|
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
マウリシオ・アンドレス・ペジェグリーノ・ルナ Mauricio Andrés Pellegrino Luna | |||||
| ラテン文字 | Mauricio PELLEGRINO | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1971年10月5日(54歳) | |||||
| 出身地 | レオネス | |||||
| 身長 | 193cm | |||||
| 体重 | 83kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1982-1987 |
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| 1987-1990 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1990-1998 |
| 186 | (11) | |||
| 1998-1999 |
→ | 23 | (0) | |||
| 1999-2005 |
| 140 | (5) | |||
| 2005 |
| 12 | (0) | |||
| 2005-2006 |
| 13 | (0) | |||
| 通算 | 374 | (16) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1993 |
| 2 | (0) | |||
| 1997 |
| 3 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2008-2010 |
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| 2010 |
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| 2012 |
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| 2013-2015 |
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| 2015-2016 |
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| 2016-2017 |
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| 2017-2018 |
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| 2018-2019 |
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| 2020-2022 |
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| 2023- |
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経歴
選手時代
クラブ
- 初期の経歴
1990年にCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、クラブの黄金期に4度のリーグ優勝を飾り、1994年にはコパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップで優勝を果たした。1998年夏、ルイ・ファン・ハール監督が率いるFCバルセロナにレンタル移籍し、9月12日のCFエストレマドゥーラ戦 (1-0) でデビューした。1998-99シーズンはかなりの試合に起用され、リーグ優勝を果たした。
- バレンシアCF
1999年にバレンシアCFに移籍し、キャリア最高の時期を過ごした。同じアルゼンチン人のロベルト・アジャラとセンターバックのコンビを組み、2度のリーグ優勝と2003-04シーズンのUEFAカップ優勝に貢献した。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したが、レアル・マドリードとの同国対決に0-3で敗れて準優勝に終わった。2000-01シーズンも同大会で決勝に進出し、バイエルン・ミュンヘンとの対戦は120分を戦って勝敗の行方がPK戦に持ち込まれたが、ペジェグリーノはPK戦でペナルティキックを外している[1]。バレンシアCFには6シーズンの間在籍し、200試合近い公式戦に出場した。
- リヴァプールFC
2005-06シーズン序盤は所属クラブがなかったが、2005年1月、バレンシアCF時代の恩師であるラファエル・ベニテス監督が率いていたリヴァプールFCと6ヶ月の短期契約を結び[2]。リヴァプールFCに在籍した初めてのアルゼンチン人選手となった。プレミアリーグでは12試合、公式戦通算13試合に出場したが、彼のプレーは契約延長を果たすのに十分なものではなく、2004-05シーズン終了後にクラブを離れた[3]。その後デポルティーボ・アラベスと契約し、2005-06シーズンは13試合に出場したが、チームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格に終わった。2006年夏、デポルティーボ・アラベスとの契約満了にともなって現役引退した。
代表
1997年にアルゼンチン代表デビューした。同年中に3試合に出場し、コパ・アメリカ1997のメンバーにも選ばれた。
指導者時代
現役引退後の2006年6月、バレンシアCFのカデッテBの監督に就任した[4]。2008年6月30日にはラファエル・ベニテス監督率いるリヴァプールFCのアシスタントコーチに就任し[5]、UEFAチャンピオンズリーグとFAカップ優勝に尽力した。2010年夏までリヴァプールFCで指導し、ベニテスのインテル監督就任とともにインテルのアシスタントコーチに就任した[1]。同年12月、ベニテスの監督解任を受けてペジェグリーノも解任された。
2012年にはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督に就任する可能性もあったが[6]、5月8日、バレンシアCFと2年契約を結んで監督に就任することが発表された[1]。しかし、成績不振のため、2012年12月に解任された[7]。
16-17シーズンからかつて自身が所属したデポルティーボ・アラベスの監督に就任した。 第3節でFCバルセロナを敵地カンプノウで2-1で下すなど、昇格1年目のチームをリーグ9位に導く躍進の立役者となった。また決勝でバルセロナに敗れたものの、クラブ史上2度目のコパ・デル・レイ決勝進出も果たした。 しかしシーズン終了後の2017年5月29日、退任することが発表された[8]。
6月23日、解任されたクロード・ピュエルの後任としてプレミアリーグサウサンプトンFCの監督に就任した[9]。
2018年6月2日、CDレガネスの監督に就任[10]。2018-19シーズンは13位で終えたものの、翌2019-20シーズンは開幕から未勝利が続き、2019年10月21日に解任された[11]。
2020年4月16日、CAベレス・サルスフィエルドの監督に就任した[12]。
2022年11月29日、クルブ・ウニベルシダ・デ・チレの監督に就任した[13]。
監督成績
- 2022年3月21日現在
| クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||
| バレンシア | 2012年6月4日 | 2012年12月1日 | 21 | 10 | 4 | 7 | 47.62 |
| エストゥディアンテス | 2013年4月5日 | 2015年4月14日 | 95 | 39 | 30 | 26 | 41.05 |
| インデペンディエンテ | 2015年6月4日 | 2016年5月10日 | 41 | 21 | 13 | 7 | 51.22 |
| アラベス | 2016年6月26日 | 2017年5月29日 | 47 | 18 | 17 | 12 | 38.30 |
| サウサンプトン | 2017年6月23日 | 2018年3月12日 | 34 | 8 | 13 | 13 | 23.53 |
| レガネス | 2018年6月2日 | 2019年10月21日 | 51 | 13 | 15 | 23 | 25.49 |
| ベレス・サルスフィエルド | 2020年4月17日 | 2022年3月23日 | 78 | 37 | 21 | 20 | 47.44 |
| 合計 | 371 | 148 | 114 | 109 | 39.89 | ||
タイトル
- CAベレス・サルスフィエルド
- プリメーラ・ディビシオン : 1992-93C, 1995-96A, 1995-96C, 1997-98C
- コパ・リベルタドーレス : 1994
- インターコンチネンタルカップ : 1994
- コパ・インテラメリカーナ : 1995
- スーペルコパ・スダメリカーナ : 1996
- レコパ・スダメリカーナ : 1997
- FCバルセロナ
- バレンシアCF
- リーガ・エスパニョーラ : 2001-02, 2003-04
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1999
- UEFAカップ : 2003-04
- UEFAスーパーカップ : 2004