マリアーノ・ピッコリ

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マリアーノ・ピッコリ

マリアーノ・ピッコリ(Mariano Piccoli、1970年9月11日 - )、イタリア・トレント出身の元自転車プロロードレース選手。1992年プロデビュー。 2005年に引退。山岳ポイントとゴールスプリントの両方で実力を発揮する特異な選手として活躍した。 2007年のジロ・デ・イタリアではイタリア放送協会(RAI)の解説者として登場している。

  • 1992-94年 メルカトーネ・ウノ
  • 1995-98年 ブレシアラット
  • 1999-2004年 ランプレ(1999-2002年Lampre-Daikin、2003-04年Lampre)
  • 2005年 アクア・サポーネ

経歴

頭角を現したのは1993年のジロ・デ・イタリア。大型新人カサグランデと前半戦の山岳ポイントを争い、最終的にクラウディオ・キアプッチに奪われるものの9日にわたりマリア・ヴェルデを着用する活躍を見せた。

1995年のジロ・デ・イタリアでは連日積極的な走りを見せ区間1勝、山岳賞も獲得した。この年はトニー・ロミンゲルが圧倒的な力を見せ各賞を独占し、唯一取りこぼしたのが山岳賞だった。 翌96年は優勝こそなかったものの、ジロ・デ・イタリアの山岳区間で積極的に動き2年連続の山岳賞を獲得した。

1998年のジロ・デ・イタリアでは第1ステージで並み居るスプリンターを振り切り優勝。その後も積極的にゴール争いに加わり、ポイント賞を獲得して周囲を驚かせた。

2度目の出場を果たした1999年のツール・ド・フランスでは序盤の小規模な山岳ポイントをこまめに稼ぎ、プロローグ[1] から第9ステージでリシャール・ビランクに奪われるまでマイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュを着続けて名を売ったほか、積極的に逃げに加わり第5ステージで敢闘賞を獲得した。最終的に山岳賞争いではビランク、エッリに続き3位に入っている。

2000年のジロ・デ・イタリアでは最終区間のミラノのゴールスプリントを制して区間優勝。またも意外なスプリントの強さを印象付けた。この勢いを駆って出場したブエルタ・ア・エスパーニャでも好調を維持し、区間2勝[2]、ポイント賞5位、スプリント賞3位、総合成績で50位に入る好走を見せている。

なお、2004年にはジャパンカップへの出場がアナウンスされていたが、来日は実現しなかった。

主な成績

脚注

外部リンク

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