マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス

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在位 260年 - 269年
全名 マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス
出生 不詳
死去 269年
モゴンティアクム(現:マインツ
ポストゥムス
Postumus
ガリア皇帝
ポストゥムス帝の勝利を記念する硬貨
在位 260年 - 269年

全名 マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス
出生 不詳
死去 269年
モゴンティアクム(現:マインツ
承継 マルクス・アウレリウス・マリウス
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ポストゥムス帝の勝利を記念する硬貨

マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムスラテン語: Marcus Cassianius Latinius Postumus、? - 269年)は、ローマ帝国の軍人。後にガリア帝国の初代皇帝となった。軍人皇帝時代僭称皇帝(在位:260年 - 269年)のひとり。

なお、「ポストゥムス」は「最後の息子」や「父の死後に生まれた息子」の意味をもつラテン語の添え名(コグノーメン)である。

前半生はほとんど分かっていないが、身分が低いガリア人で、軍に入隊して昇進し、ついにはゲルマニア・スペリオルゲルマニア・インフェリオルの総督にまで至ったと推測されている。ローマ皇帝ガッリエヌスが東部で発生した問題を解決するために現地に赴いたとき、ライン川を防衛するために息子で共同皇帝のプブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌスおよびポストゥムスを含む軍指揮官を後に残した。この地域がアレマンニ族フランク人の侵略を受け、その混乱の中で、ポストゥムスは自ら皇帝の名乗りをあげた。そしてポストゥムスは、サロニヌスとその補佐でプラエフェクトゥス・プラエトリオであったシルウァヌス(以前はポストゥムスと共にガリアのローマ政策の共同指導者だった)がいるコロニア・アグリッピナ(現:ケルン)を包囲し、攻撃を加えた。ポストゥムスは城壁を突破し、サロニヌスらを捕虜とし、後に処刑した。後に彼はこの勝利を記念するアーチ門を建設した。

統治

参考資料

外部リンク

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