ミハイロ・ペトロヴィッチ・アラス
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ミハイロ・ペトロヴィッチ・アラス | |
|---|---|
| Михаило Петровић Алас | |
![]() 1905年のペトロヴィッチ | |
| 生誕 |
1868年5月6日 セルビア公国ベオグラード |
| 死没 |
1943年6月8日(75歳没) セルビア救国政府ベオグラード |
| 研究分野 | 数学 |
| 研究機関 | |
| 出身校 | |
| 博士論文 | Sur les zéros et les infinis des intégrales des équations différentielles algébriques (1894) |
| 博士課程指導教員 | |
| 博士課程指導学生 | 系譜節参照 |
| 主な業績 | |
| 署名 | |
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| プロジェクト:人物伝 | |
ミハイロ・ペトロヴィッチ・アラス(セルビア語: Михаило Петровић Алас/Mihailo Petrović Alas、1868年5月6日 – 1943年6月8日 )は、セルビアの数学者である。フランスの数学者らの下で学び、微分方程式論と現象論に大きな貢献を残した[1]。セルビアにおける数理工学の先駆者であった[2]。また、水圧式アナログ計算機の原型を作った発明家であった[3]。
1868年5月6日、ベオグラードで神学教授のニコディム (Никодим/Nikodim) とミリツァ (Милица Лазаревић/Milica Lazarević) の間に長男として生まれた。若い頃にニコディムが歿したため、ミハイロは祖父にも育てられた[4]。
1885年、ベオグラード第一ギムナジウムを卒業し、1889年までベオグラードの哲学部自然科学・数学科[注 1]で学んだ。当時セルビアの数学者の多くは海外に留学して博士号を取得していた[注 2][4]。1889年9月、ペトロヴィッチはパリに赴き、1年を受験勉強に費やして、高等師範学校に入学した[4]。1891年、ソルボンヌ大学で数理科学の学位を取得した。1894年6月21日、微分方程式に関する論文を執筆して数理科学のPhDを取得した[4]。

1894年、ベオグラードの高等教育機関(のちのベオグラード大学)で数学の教授となった。今日、ペトロヴィッチは、微分方程式における最も偉大な数学者の一人とされている。1938年に引退するまで講義を続けた[4]。
1897年、セルビア王立アカデミーとユーゴスラヴィア科学芸術アカデミーの準会員に選出された。1899年には31歳にして正会員となった[4]。
ペトロヴィッチは1889年に漁師見習いとなり、1895年に試験をうけて名漁師に認定された。ニックネーム「アラス」はセルビア語で川漁師を意味する。ペトロヴィッチは単に愛好家であるだけではなく、専門家であった。ルーマニアとの漁師協定に関する立法協議、オーストリア=ハンガリー帝国とのサヴァ川、ドリナ川、ドナウ川の漁師保護に関する協議に参加した[5]。シュコダル湖やオフリド湖といったマケドニア地域の湖の魚類についての専門的な論文・報告を発表した[5]。
ペトロヴィッチは世界で初めて水圧式アナログ計算機を発明し、1900年パリ万国博覧会の展示で金賞を獲得した。1905年、改称でベオグラード大学が設置され、ペトロヴィッチは初代教授8人の一人となった。延べ10個の特許を取得し、また300の科学作品、航海に関する多くの書籍を発表した。アゾレス諸島やニューファンドランド島・ラブラドール地方、スエズ運河、マダガスカル島、カーボベルデ、カナリア諸島、グリーンランド、アイスランド、バミューダ海地域、カリブ海地域等を探検した[1]。北極・南極に訪れて、エスキモーの文化に触れ、捕鯨遠征に参加することもあった[6]。
ペトロヴィッチは数々の賞、表彰を受けた。また、複数の科学アカデミー(プラハ、ブクレシュティ、ヴァルシャヴァ、クラクフ)の会員に選出された。1927年、ヨヴァン・ツヴィイッチが歿してセルビア王立アカデミーの会長にペトロヴィッチが選出されたが、当局はこれを却下しスロボダン・ヨヴァノヴィッチが代わりに会長となった。却下の理由として1925年に逮捕され軟禁処分を受けたジョルジェ・カラジョルジェヴィチの家庭教師、メンターであったためだと考えられている[4]。

1931年、満場一致で会長に推薦されたが再び不承諾となり、ボグダン・ガヴリロヴィッチが会長となった。1939年、ベオグラード大学より名誉博士号が送られ、また同年に聖サヴァ勲章を授与された[4]。
ベオグラード大学初の数理科学の博士号は、1912年にペトロヴィッチの指導の下でムラダン・ベリッチに授与された。ベリッチはベオグラード第一ギムナジウムの教師、ペトロヴィッチの助手であった[4]。1912年から第二次世界大戦まで、ベオグラード大学で授与された博士号はすべてペトロヴィッチのメンターシップの下にあった。
バルカン戦争と第一次世界大戦にペトロヴィッチは将校として参加し、戦後は予備役将校となった。彼の実践した暗号理論の体系は、第二次世界大戦でユーゴスラヴィア陸軍によって用いられた[4]。ユーゴスラヴィアが敗戦した際、ペトロヴィッチは陸軍に招集され、ドイツ軍に捕らえられた。しばらくして病気のために解法された。1943年6月8日、ベオグラードの邸宅で歿した[4]。
私生活
ペトロヴィッチはヴァイオリンを興じ、1986年には音楽会スズ (Суз/Suz) を設立した[7] 。
セルビアの科学者ミルティン・ミランコヴィッチとは10年以上にわたり親しい友であった[1]。
後世
ベオグラード第九ギムナジウムとベオグラードの小学校の一つはペトロヴィッチ・アラスの名を冠する[1]。最も著名な100人のセルビア人に選ばれた。
セルビアの団体アドリガトは幼少期の写真、祖父からの手紙、ディプロマ、原稿、試験記録などミハイロ・ペトロヴィッチ・アラスの遺産を保管している[8]。
会員・受章歴
出典:[9]


- セルビア科学芸術アカデミー会員
- ユーゴスラヴィアアカデミー会員
- チェコ共和国科学アカデミー会員
- ブクレシュティ、ヴァルシャヴァ、クラコフ、プラハ、パリ、ベルリンのアカデミー会員
- パレルモ、ライプツィヒの数学者会の会員
- シェフチェンコ科学会会員
- ベオグラードロータリークラブ会員
- Орден Милоша Великог
- 聖サヴァ勲章一等、二等、三等
- ルーマニア王冠勲章三等
- ベオグラード大学、科学の名誉博士号
系譜
ユーゴスラヴィア数学派をはじめ、ペトロヴィッチおよびその弟子の後継に挙げられている者に以下の人物が含まれる[10][11]。
著作
- O asimptonim vrednostima integrala i deferencijalnih jednačina, Beograd, 1895.
- Elementi matematicke fenomenologije, Beograd 1911.
- Les spectres numeriques, Paris 1919.
- Mecanismes communs aux phenomenes disparates, Paris 1921,
- Notice sur les travaux scientifiques de M. Michel Petrovich, Paris, 1922
- Durees physiques independantes des dimensions spatiales, Zurich-Paris, 1924.
- Lecons sur les spectres mathematiques, Paris, 1928.
- Integrales premieres a restrictions, Paris, 1929.
- Integrales qualitative des equations differentielles, Paris, 1931.
- Fenomenološko preslikavanje, Beograd, 1933.
- Jedan diferencijalni algoritam i njegove primene, Beograd, 1936.
- Članci, Beograd, 1949.
- Metafore i alegorije, Beograd 1967.
- Računanje sa brojnim razmacima, Beograd, 1932.
- Eliptičke funkcije, Beograd, 1937.
- Integracije diferencijalnih jednačina pomoću redova, Beograd 1938.
- Kroz polarnu oblast, Beograd 1932.
- U carstvu gusara, Beograd, 1933.
- Sa okeanskim ribarima, Beograd, 1935.
- Po zabačenim ostrvima, Beograd, 1936.
- Roman jegulje, Beograd, 1940.
- Đerdapski ribolov u prošlosti i sadašnjosti, Beograd, 1941.
- Daleka kopna i mora, Beograd, 1948.
- Po gusarima i drugim ostrvima, Beograd 1952.
- S okenaskim ribarima, Subotica, 1953.
- Po gusarskim ostrvima, Beograd, 1960.
- Sa Arktika do Antarktika, Beograd, 1960.
全集[12]
- Diferencijalne jednacine I
- Diferencijalne jednacine II
- Matematička analiza
- Algebra
- Matematički spektri
- Matematička fenomenologija
- Elementi matematičke fenomenologije
- Intervalna matematika – diferencijalni algoritam
- Eliptičke funkcije – integracija pomoću redova
- Članci – studije
- Putopisi I
- Putopisi II
- Metafore i alegorije – članci
- Ribarstvo
- Mihailo Petrović (pisma, bibliografija i letopis)
