メホ・コドロ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
| ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
メフメド・コドロ Mehmed Kodro | |||||
| ラテン文字 | Meho Kodro | |||||
| キリル文字 | Мехо Кодро | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1967年1月12日(58歳) | |||||
| 出身地 |
| |||||
| 身長 | 188cm | |||||
| 体重 | 81kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1991 |
| 129 | (48) | |||
| 1991-1995 |
| 129 | (73) | |||
| 1995-1996 |
| 32 | (9) | |||
| 1996-1999 |
| 72 | (18) | |||
| 1999-2000 |
| 30 | (5) | |||
| 2000-2001 |
| 6 | (1) | |||
| 通算 | 398 | (154) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1991-1992 |
| 2 | (0) | |||
| 1996-2000 |
| 13 | (3) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2006 |
| |||||
| 2008 |
| |||||
| 2008-2010 |
| |||||
| 2010-2013 |
| |||||
| 2014-2015 |
| |||||
| 2016-2018 |
| |||||
| 2020-2022 |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
メホ・コドロ(Mehmed "Meho" Kodro , 1967年1月12日 - )は、ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)・モスタル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワードであり、元ユーゴスラビア代表及び元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。現在はチャレンジリーグ・FCスタッド・ローザンヌ・ウシーの監督を務めている。
1990年代に活躍し、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー史上最高のストライカーと称された。息子のケナン・コドロもサッカー選手であり、同じくフォワードを務めている。
地元のクラブであるFKヴェレジュ・モスタルにて1985年にキャリアデビューを果たした。 1991年ユーゴスラビア紛争の影響もあり、リーガ・エスパニョーラのレアル・ソシエダへ移籍。恵まれた体格を活かしたプレーにテクニックを兼備し、移籍1年目から10ゴールを挙げた。1993-94シーズンには23ゴールを挙げ、この活躍を目にしたビッグクラブからオファーが殺到した。しかし、コドロはラ・レアルとの契約を延長し、残留する。1994-1995シーズンもヴァレリー・カルピンらのアシストからコンスタントに得点を挙げ、イバン・サモラーノに次ぐ、リーグ2位の25ゴールを記録した。
4シーズンに渡り2桁ゴールを挙げ、リーガエスパニョーラ屈指のストライカーとなったコドロは、1995-96シーズン開幕前にヨハン・クライフ率いるFCバルセロナに移籍。新加入のルイス・フィーゴ、ロベルト・プロシネツキ、ゲオルゲ・ポペスクらと共に第2期ドリーム・チームを構成すると期待された。しかし、新加入の選手が多かったバルセロナはシステムが機能せず、コドロ自身も9ゴールと活躍することができなかった。
シーズン終了後、バルセロナはヨハン・クライフからボビー・ロブソンに政権が交代。コドロ自身もバルセロナからCDテネリフェにフアン・アントニオ・ピッツィと入れ替わる形で移籍した。1997-98シーズンにロイ・マカーイとのコンビで12ゴールを挙げるも、ラ・レアルに在籍していたころの活躍をすることはできなかった。
その後、1999-00シーズンにはデポルティーボ・アラベスに移籍し、2001-02シーズンにイスラエルのマッカビ・テルアビブにて現役を引退した。