モイセス・ムニョス
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| 名前 | ||||||
| 本名 | モイセス・アルベルト・ムニョス・ロドリゲス | |||||
| ラテン文字 | Moisés Alberto Muñoz Rodríguez | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1980年2月1日(45歳) | |||||
| 出身地 | ミチョアカン州アギリージャ | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1999-2010 |
| 282 | (0) | |||
| 2010-2011 |
| 53 | (0) | |||
| 2012-2018 |
| 175 | (1) | |||
| 2017 |
→ | 17 | (0) | |||
| 2017-2018 |
→ | 28 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2004-2017 |
| 19 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
モイセス・アルベルト・ムニョス・ロドリゲス(スペイン語: Moisés Alberto Muñoz Rodríguez、1980年2月1日 - )は、メキシコの元サッカー選手。元メキシコ代表。ポジションはGK。
モレリア

1999年9月19日にモナルカス・モレリアでリーグ戦初出場。当初はアンヘル・コミッツォの控えであった。2000年に初タイトルを獲得するものの、この頃はレギュラーではなかった。2002年のアペルトゥーラにレギュラーを獲得しリーグファイナルに進んだが決勝戦で4-2とされ敗北した[1]。翌シーズンも決勝に進んだが再び敗れた[2]。それでも2010年まで在籍し続け、282試合に出場、クラブ史上最多出場記録となった。
アトランテ
2010年にフェデリコ・ビラールとのトレードでアトランテFCに移籍。レギュラーとして53試合に出場した。
クラブ・アメリカ

2011年11月25日にクラブ・アメリカに移籍[3]。2012年のクラウスーラから出場した。
2013年5月にはクラブ・アメリカ移籍後初となるリーグファイナル進出。初戦では0-1と敗北した。2戦目も1点を先行されたが、88分に主将のアキバルド・モスケラが得点し1-1に追い付く。90+2分にオスバルド・マルティネスのコーナーキックを彼がダイビングヘッドし、相手ディフェンダーのアレハンドロ・カストロ・フローレスにディフレクションし得点を記録、試合を延長戦、そしてPK戦に持ち込ませた。PK戦ではハビエル・オロスコのPKを止めて4-2として勝利、その劇的な活躍を各種メディアも取り上げた[4][5]。
代表歴
2004年10月27日のエクアドル代表との親善試合でメキシコ代表初出王。コパ・アメリカ2004、FIFAコンフェデレーションズカップ2005ではセカンドゴールキーパーであった。2005 CONCACAFゴールドカップで正ゴールキーパーになったが、2006 FIFAワールドカップでは23人から落選。ウーゴ・サンチェス、スヴェン=ゴラン・エリクソン両監督からは控えの扱いであった。結局、2005年7月以来代表には久しく出場がなく、2008年以降は招集される事すらなかった。
しかし2013年になるとホセ・マヌエル・デ・ラ・トーレ監督が2013 CONCACAFゴールドカップのメンバーに招集。7月14日のグループステージ最終節、マルティニーク代表戦で8年ぶりの代表出場を記録、試合も3-1で勝利した。この試合での失点もケヴァン・パルスメンが蹴ったPKであった。
同年、ミゲル・エレーラが監督に就任するとレギュラーを掴んだ。2014 FIFAワールドカップ・大陸間プレーオフでも両試合に出場、合計9-3で勝利した。しかし、2014 FIFAワールドカップのメンバーからは外れた。
2015年6月に2015 CONCACAFゴールドカップのメンバーに入った。背番号は今迄着用していた23番をホセ・フアン・バスケスに渡し、1番となった[7]。10月のCONCACAFカップのメンバーにも選出されたが出場は無く、代表最後の試合はCONCACAFゴールドカップのジャマイカ代表戦となった。