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モハンマド・パクプール

イランの革命防衛隊の総司令官。イラン戦争で戦死。 From Wikipedia, the free encyclopedia

モハンマド・パクプール(ペルシア語: محمد پاکپور, ラテン文字転写: Mohammad Pakpour、1961年6月2日 - 2026年2月28日)は、イランのイスラム革命防衛隊の将軍。最終階級はイラン軍における事実上の最上位階級である少将。

軍歴 1979年-2026年
概要 モハンマド・パクプールمحمد پاکپور, 生誕 ...
モハンマド・パクプール
محمد پاکپور
生誕 1961年6月2日
イランの旗 イラン アラーク
死没 2026年2月28日(64歳没)
イランの旗 イラン テヘラン †
所属組織 イスラム革命防衛隊
軍歴 1979年-2026年
最終階級 革命防衛隊少将(سرلشکر پاسدار)
指揮 イスラム革命防衛隊陸軍
イスラム革命防衛隊全軍
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革命防衛隊陸軍司令官を務めた後、2025年の12日間戦争でホセイン・サラミが戦死したのを受けて、代わって革命防衛隊総司令官に就任した[1]。アメリカ合衆国からは特別指定国際テロリスト(英語版)に指定されている[2]。2026年イラン戦争でイスラエル軍の空爆により死亡[3][4]。

経歴

革命防衛隊での昇進

1961年にアラークに生まれる[5]。

イラン革命期から特にコルデスターン州でイスラム革命防衛隊の活動に関与、イラン・イラク戦争に司令官として従軍したという[5][6]。

イスラム革命防衛隊陸軍において陸軍作戦司令部、第8ナジャフ師団(英語版)、第31アーシューラー師団(英語版)、陸軍北部軍などの司令官を歴任[5][7]。

またイラン国営メディアによれば、テヘラン大学から地理学、タルビアット・モダレス大学(英語版)から政治地理学の博士号を取得したという[7]。

革命防衛隊陸軍司令官

2022年10月17日の演習で、革命防衛隊総司令官ホセイン・サラミとともに閲兵

2010年3月に革命防衛隊陸軍総司令官に就任したと伝えられる[8]。

パクプールは、2016年の第3次ファルージャの戦い(英語版)でのイスラム国との戦闘の際、革命防衛隊部隊を指揮していたガーセム・ソレイマーニーと並んで写真に写っているのが確認されている。ロング・ウォール・ジャーナルは、革命防衛隊陸軍司令官たるパクプールが直接ファルージャに来ているのは、革命防衛隊がいかにイラクでの活動に力を入れているかを物語ると論じている[9]。

またパクプールは、シリア内戦において同国のアサド政権(当時)が行っていた残忍な戦闘に加担し、革命防衛隊陸軍をシリアに派兵、ゴドス軍を支援したことがアメリカ政府により確認されている。パクプール自身も2017年にゴドス軍支援のために革命防衛隊陸軍をシリアに送り込んだことを認めている[10]。

2018年12月の演習でパクプールは「最良の防御は攻撃であり、敵がイランに悪意を持つなら攻撃すべきで、それこそが抑止力になる」として先制攻撃の必要性を強調した[11][12]。

2022年9月28日、パクプールは「ラビ作戦(عملیات ربیع)」として[13]、イラク・クルディスタン地域の亡命イラン系クルド人野党の施設に対し、弾道ミサイルやドローンによる攻撃を行い、13人の死亡者、58人の負傷者が出た。イラク政府は「イランによる砲撃とロケット弾攻撃を最も強い言葉で非難する。これはイラクの安全と主権を脅かす深刻な事態である」と非難、アメリカ国務省も「イラクの主権・領土一体性の不当な侵害」としてイランの攻撃を強く非難した[14][15]。

しかしパクプールは、11月中も複数回にわたって攻撃を強行。パクプールは、一連の攻撃について「我々は、クルディスタン地域当局およびイラク中央政府に対し、同地域に存在し複数の拠点を持つ分離主義グループを、追放するか、武装解除するか、収容所に移送するよう警告していたが、いずれも実行されなかった。」として正当化するとともに「ラビ作戦は広範囲に実施され、敵の拠点に完全な損害を与え、何人かを殺害した」と豪語した[13]。

イラン国内でも数々の弾圧や人権侵害に関与[6]。特に2019年11月の抗議デモ弾圧では、パクプール指揮下の革命防衛隊陸軍が、非武装の抗議者や民間人に激しい武力攻撃を加えており、パクプールは重大な人権侵害に責任を負っている人物であることが欧州連合より報告されている[16]。

革命防衛隊総司令官

2025年6月13日、12日間戦争で革命防衛隊総司令官ホセイン・サラミがイスラエル軍の攻撃で死亡したのを受けて、最高指導者アリ・ハメネイは、パクプールをイラン軍における生前の最上位階級である少将に昇進させるとともに革命防衛隊総司令官に任じた[1]。

2025年末から2026年1月にかけてイラン全土で発生した抗議デモをめぐっては、パクプール指揮下の革命防衛隊が激しい弾圧を行い、女性や子どもを含む抗議者が複数州で多数殺害された[17][18]。

これについて、パクプールは、抗議デモはアメリカとイスラエルの扇動であり、死傷者が出たのは、自身の責任ではなく、両国が「主な殺害者」と強弁。「(アメリカとイスラエルは)適切な時期にその対応を受けることになる」として「報復」を宣言した[19]。

最期

2026年2月28日、イラン戦争におけるアメリカ軍とイスラエル軍のテヘラン共同空爆の際に死亡した[20]。

ロイターは、独自の情報源への取材で、パクプールはイスラエル軍の攻撃で死亡したと報じており[3]、パクプール死亡の発表もイスラエル軍が行っている[21]。

イスラエル軍およびイラン国営テレビの発表によれば、パクプールは、防衛評議会(英語版)の会議に出席していた際、防衛評議会事務局長アリ・シャムハニ、参謀総長アブドルラヒム・ムサヴィ、国防相アジーズ・ナシールザーデら他の軍部指導者たちとともに絶命したという[20][4]。

イスラエル軍報道官の声明によれば、パクプールは『イスラエル破壊計画』と題した計画の最も主要な策定者であり、イスラエルに対する戦略的攻撃システムの配備を監督し、各戦線の親イラン過激派武装組織を指揮・支援していたという[22]。

テロリスト指定・制裁

2019年4月にアメリカ合衆国はイスラム革命防衛隊をテロ組織に指定[5]、同年6月24日にはパクプール自身も特別指定国際テロリスト (SDGT)(英語版)に指定され、アメリカ財務省によってアメリカ国内に所有していた資産をすべて凍結され、 アメリカ人は彼とのビジネスを禁じられた[2]。

欧州連合、オーストラリア、日本、カナダからも制裁対象となっている[6][8]。

出典

外部リンク

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