ヤコブの福音書

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ヨアキムアンナへの受胎告知」, ガウデンツィオ・フェラーリによるフレスコ, 1544–45 (部分)

ヤコブの福音書(やこぶのふくいんしょ、: Gospel of James)またはヤコブの原福音書ヤコブによる福音書[Note 1]は2世紀の外典幼児福音英語版であり、イエスの母マリア奇跡的な受胎、マリアの生い立ちとヨセフとの結婚、二人のベツレヘムへの旅、イエスの誕生、そしてその直後の出来事を記している[2][3]。これはマリアの永久的処女性英語版: perpetual virginity)を主張する最古の書であり、イエスの誕生前だけでなく、誕生中とその後の処女性を主張している[4]。本福音書は405年に教皇インノケンティウス1世によって非難され、500年頃にもゲラシウス教令英語版によって外典に分類されたにもかかわらず、マリア論に広く影響を与えた資料となった[5]

成立時期

ヤコブの福音書は3世紀初頭にはオリゲネスに、おそらく2世紀末にはアレクサンドリアのクレメンスによって知られており、150年頃から流布していたと考えられている[6]。この福音書の最古の写本(Papyrus Bodmer 5)は3世紀または4世紀のものである[7]

著者は、ヨセフのマリア以前の結婚で生まれたイエスの兄弟ヤコブであると主張されているが、その身元は不明である[8]

歴史的背景

マリアの神殿での奉仕は、告発された姦婦、ヴェール織りの女性、ナジル人など、女性に神殿へのアクセスと認めた実際の当時のユダヤ教の習慣を反映していると主張されてきた。ユダヤの資料、例えばバルクの黙示録「上質な亜麻を紡ぐ処女たち」で知られる「ヴェールを織る女性たち」は処女の少女であり、テキストでのマリアの役割と一致している[9]。聖書には、幕屋や各神殿で若い女性が働いていたという記述があり(サムエル記上2:22、出エジプト記8:38、エズラ記下2:65)[10]、敷地内ではないにしても付近に住んでいたことは確かである。

本書の起源はおそらくシリアにあり、禁欲主義のエンクラテス派英語版(テモテへの手紙一4:1–4で批判される)に由来している可能性がある[5]。その創始者のタティアヌスは性と結婚を原罪の症状であると教えた[11]

起源

この福音書はマタイ福音書ルカ福音書にあるキリストの降誕ミドラーシュ(詳細化)であり[12]、その多くの要素、特にマリアの妊娠の非常に身体的な描写は、イエスが完全に超自然的である主張したキリスト教ドケティズム(仮現説)を否定しようとしていたことを強く示唆する[13]。また、歴史的な類似性や言い回し、ユダヤ人の生活の詳細に関して、本書は七十人訳聖書に大きく依拠している。また、純潔性・処女性のテーマにおけるギリシャ・ローマ文学の影響が注目される[14]

原典

学者たちは一般的に、ヤコブの福音書がもともとギリシャ語で書かれたことを認めている[15]。100以上のギリシャ語写本が現存しており、シリア語(アラム語)、エチオピア語(ゲエズ語)、サヒド系コプト語ジョージア語古教会スラブ語アルメニア語アラビア語、そして本書を外典に分類したゲラシウス教令英語版の発令者が知っていたであろうラテン語にも翻訳されている[12]。最古の写本(ボドメル・パピルス英語版5)は1952年に発見され、ジュネーヴのボドメル図書館英語版に保存されている。完全な写本はパリのフランス国立図書館にある10世紀のギリシャ語写本である[7][16]

構造と内容

マリアの神殿奉献はヤコブ原福音書にのみ登場する出来事であり、ロシアのイコンにも描かれている。

物語は3つの部分から構成されている。

  1. 1–17章:マリアの伝記、奇跡的な生誕と聖別された幼少期、ヨセフとの結婚、そして処女懐胎によるイエスの誕生について記されている。
  2. 18–21章:イエスの誕生、マリアのイエスの誕生後の処女性についての記述を含む。
  3. 22–24章:洗礼者ヨハネの父ザカリアの死[17]

マリアは母アンナの胎にいる時から、偉大なことを成し遂げる運命にある特別な子供として描かれる[7]。マリアの両親である裕福なヨアキムとその妻アンナは子供がいないことに悩み、ヨアキムは祈りを捧げるために荒野に行く。アンナは子供がいないことを嘆いた[18]。神はアンナの祈りを聞き、天使たちが生まれてくる子供の将来が並外れていること、彼女はアンナの妊娠7ヶ月目に生まれることを告げる[19][18]。アンナはその子供を神に捧げ、神殿で育てることを誓う[18]。ヨアキムとアンナはその子供にマリアと名づけ、彼女が3歳になったときに神殿に送った[18]。そこで彼女は毎日天使から食物を与えられた[17]

マリアが12歳になると、神殿が経血で汚れる恐れから、司祭たちは彼女に神殿に留まることを禁じた。そこで神は、マリアの守護者として未亡人ヨセフを選んだ[18]。ヨセフは年老いた、成人した息子を持つ老人として描かれており、彼は女性に性的願望を持たなかった[20]。彼は仕事で神殿を離れ、マリアは神殿の幕を織る手伝いをするため神殿に呼ばれた。ある日マリアが幕の糸を紡いでいると、天使ガブリエル[21]が現れ、マリアは救い主イエスを宿すために選ばれたが、他の女性と同じように出産することはないだろうと告げた[22]。ヨセフは神殿に戻り、妊娠6ヶ月のマリアを見た。ヨセフは、祭司たちが彼を罪人だと決めつけるのではないかと恐れ、マリアを叱った[23]。案の定、祭司たちはヨセフを疑ったが、彼らの潔白は「苦い水の試練英語版」によって証明された[24]

ローマの人口調査英語版のため夫婦はベツレヘムに向かうが、村に着く前にマリアの時が満ちた[25]。ヨセフはマリアを洞窟に滞在させ、息子たちに守らせた。ヨセフは助産婦を探しに行かせた。彼が洞窟の入り口に立っていると、雲が洞窟を覆い、強い光が洞窟を満たし、マリアの胸に赤ん坊がいた[23]。ヨセフと助産婦はこの奇跡に驚き、助産婦の一人のサロメがマリアを診察しようとした。すると、サロメの手は信仰の欠如の証として萎縮した。サロメは神に許しを求めると、天使が現れ、サロメに幼子イエスに触れるよう告げた。サロメが触れると、その手は癒された[26]

福音書は東方三博士の訪問、ベツレヘムの幼児虐殺、大祭司ゼカリヤ洗礼者ヨハネの父)の殉教、後継者シメオンの選出[25]、この作品が書かれた状況を説明するエピローグで終わっている[17]

影響

キリスト教

ヤコブの原福音書はマリアに関するキリスト教の教義に広く影響を与えた[5]。ベルンハルト・ローゼによれば、この書物はマリアの永久的処女性英語版: perpetual virginity)を主張した最も初期の書物であり、イエスの誕生中・誕生後のマリアの処女性を示唆する[27]。福音書に登場するイエスの兄弟たちをヨセフの先婚による子孫と説明するこの見解は、東方教会の立場として今でも維持されている[27][28]。リヒャルト・バウカムは「イエスの兄弟たちがマリアの息子ではなかったと当時正しく伝承・記憶されていた可能性がある」と指摘している[29]。西方では、影響力のある神学者ヒエロニムスが、ヨセフ自身が永久の童貞(perpetual virgin)であり、「イエスの兄弟たち」は実はイエスの従兄弟たちであると主張した[27]。ヒエロニムスの原福音書への反対は、西方ラテン教会における普及と影響力を低下させた。ヤコブの福音書は405年に教皇インノケンティウス1世によって非難され、500年頃にゲラシウス教令英語版によって拒絶された[30]。西方では全く知られておらず、広く読まれていた偽マタイの福音書英語版に取って代わられ、その物語のほとんどが広く知られるようになった[31]

イスラーム

聖母マリアとイエスの誕生に関するクルアーンの物語は、近東で広く知られていた原福音書のものと類似している[32]。これには、天使がマリアに食物を与えたこと、籤引きで彼女の保護者(ヨセフ)を選んだこと、そして受胎告知の直前に彼女が神殿の幕を織る仕事をしていたことなどが含まれる[33]。しかし、クルアーンはマリアを高く評価しており、現代のイスラム教徒もキリスト教徒と同様に、マリアがイエスを身籠ったときに処女であることに同意しているものの、現代のイスラム教徒の中には、彼女の永久の処女性というヤコブ原福音書の中心的な考えは、妻や母としての女性というイスラームの理想に反すると考える者もいる[34]

関連項目

脚注

出典

外部リンク

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