ユーリ・ニキフォロフ
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本名
ユーリ・ヴァレリエヴィッチ・ニキフォロフ
Yuri Valeryevich Nikiforov
Yuri Valeryevich Nikiforov
ラテン文字
Yuri NIKIFOROV
ロシア語
Юрий Валерьевич Никифоров
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|---|---|---|---|---|---|---|
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2019年のニキフォロフ | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ユーリ・ヴァレリエヴィッチ・ニキフォロフ Yuri Valeryevich Nikiforov | |||||
| ラテン文字 | Yuri NIKIFOROV | |||||
| ロシア語 | Юрий Валерьевич Никифоров | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1970年9月16日(55歳) | |||||
| 出身地 | オデッサ | |||||
| 身長 | 188cm | |||||
| 体重 | 88kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1987 |
| 5 | (0) | |||
| 1988 |
| 1 | (0) | |||
| 1988-1989 |
| 2 | (0) | |||
| 1990-1993 |
| 76 | (4) | |||
| 1993-1996 |
| 85 | (15) | |||
| 1996-1998 |
| 65 | (3) | |||
| 1998-2002 |
| 89 | (5) | |||
| 2002-2003 |
| 29 | (1) | |||
| 2003-2004 |
| 12 | (0) | |||
| 通算 | 374 | (28) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1992[1] |
| 4 | (0) | |||
| 1992[1] |
| 3 | (0) | |||
| 1992-2002[1] |
| 55 | (6) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ユーリ・ニキフォロフ(ロシア語: Юрий Никифоровユーリイ・ニキーファラフ、Jurij Nikiforov, 1970年9月16日-)は、J1リーグ・浦和レッドダイヤモンズ等に所属したウクライナ(旧ソ連)出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。

若い頃から各年代のソ連代表に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年のソビエト連邦の崩壊の余波を受け、故郷であるウクライナ代表としてプレーする事を選択した。しかしFIFAワールドカップに出場する為にロシア代表となる道を選択し、1994年のアメリカW杯に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の日韓W杯でも代表に選出され、1次リーグの日本代表戦にも出場している[2]。
その後、2003年8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対ジュビロ磐田戦(埼玉)でリーグ戦デビューを飾り[3]、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなるナビスコ杯獲得に貢献した[2]。しかし2004年は左膝の故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、2005年1月にロシアのスポーツ新聞「スポルト・エクスプレス」紙とのインタビューで現役引退を表明した。
引退後は、指導者として活動している。
所属クラブ
- 1987年 SKAオデッサ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1988年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1988年 - 1989年 ディナモ・キエフ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1990年 - 1993年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1993年 - 1996年 スパルタク・モスクワ (ロシア)
- 1996年 - 1998年 スポルティング・デ・ヒホン (スペイン)
- 1998年 - 2002年 PSVアイントホーフェン (オランダ)
- 2002年 - 2003年7月 RKCヴァールヴァイク (オランダ)
- 2003年8月 - 2004年6月 浦和レッドダイヤモンズ (日本)
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ソビエト連邦 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1987 | SKAオデッサ | 5 | 0 | ||||||||
| 1988 | チョルノモレツ | トップリーグ | 1 | 0 | |||||||
| ディナモ・キエフ | 0 | 0 | |||||||||
| 1989 | 0 | 0 | |||||||||
| 1990 | チョルノモレツ | 17 | 0 | ||||||||
| 1991 | 30 | 2 | |||||||||
| ウクライナ | リーグ戦 | リーグ杯 | ウクライナ杯 | 期間通算 | |||||||
| 1992 | チョルノモレツ | プレミア | 18 | 2 | |||||||
| 1992-93 | 18 | 2 | |||||||||
| ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993 | スパルタク・モスクワ | トップリーグ | 23 | 0 | |||||||
| 1994 | 26 | 2 | |||||||||
| 1995 | 22 | 8 | |||||||||
| 1996 | 14 | 5 | |||||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996-97 | スポルティング・ヒホン | プリメーラ | 38 | 2 | |||||||
| 1997-98 | 27 | 1 | |||||||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1998-99 | PSV | エールディヴィジ | 25 | 1 | |||||||
| 1999-00 | 29 | 3 | |||||||||
| 2000-01 | 26 | 1 | |||||||||
| 2001-02 | 19 | 0 | |||||||||
| 2002-03 | RKC | 29 | 1 | ||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003 | 浦和 | 29 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0 | ||||
| 2004 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
| 通算 | ソ連 | 53 | 2|||||||||||| | ||||||||
| ウクライナ | プレミア | 36 | 4|||||||||||| | ||||||||
| ロシア | トップリーグ | 85 | 15|||||||||||| | ||||||||
| スペイン | プリメーラ | 65 | 3|||||||||||| | ||||||||
| オランダ | エールディヴィジ | 128 | 6|||||||||||| | ||||||||
| 日本 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0|||||||| | ||||||
| 総通算 | 379 | 30|||||||||||| | |||||||||
代表歴
指導歴
- 2014年-2015年
FCイルティシュ・パヴロダル アシスタントコーチ - 2015年
FCクバン・クラスノダール アシスタントコーチ - 2017年-2019年
FCディナモ・モスクワ
- 2017年 FCディナモ2・モスクワ アシスタントコーチ
- 2017年 予備アシスタントコーチ
- 2017年-2019年 アシスタントコーチ
タイトル
選手時代
- チョルノモレツ・オデッサ
- ウクライナ・カップ:1回(1992)
- FCスパルタク・モスクワ
- ロシア・プレミアリーグ:3回(1993、1994、1996)
- ロシア・カップ:1回(1994)
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ:2回(2000、2001)
- ヨハン・クライフ・スハール:3回(1998、2000、2001)
- 浦和レッドダイヤモンズ
- ソビエト連邦代表
- FIFA U-16世界選手権:1回(1987)
- UEFA U-19欧州選手権:1回(1988)
- ロシア代表
- レジェンズカップ:2回(2009、2010)