ライアン・クレスコ
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州ウェストミンスター |
| 生年月日 | 1971年6月12日(53歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 220 lb =約99.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手・一塁手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 1992年9月12日 |
| 最終出場 | 2007年9月29日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ライアン・アンソニー・クレスコ(Ryan Anthony Klesko, 1971年6月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは左翼手・一塁手。アメリカ合衆国カリフォルニア州ウェストミンスター出身。
アトランタ・ブレーブス
1989年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから5巡目に指名を受け入団。1992年9月12日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。1994年は開幕からメジャーに定着。ストライキでシーズンが打ち切られたが、打率.278・17本塁打・47打点・OPS.907を記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位に入った[1]。1995年は開幕から不振が続いたが、6月6日のシカゴ・カブス戦で2本塁打6打点を記録[2]するなど一気に調子を上げ、前半戦で打率.352・長打率.641・OPS1.069[3]の好成績。後半戦で15本塁打を記録し、規定打席不足ながら打率.310・23本塁打・70打点・出塁率.396・長打率.608・OPS1.004の大活躍で、チームの地区優勝に貢献。
2003年は主砲のフィル・ネビンが開幕から肩の故障で長期離脱を余儀なくされた。そんな中、マーク・ロレッタやピッツバーグ・パイレーツからトレード移籍してきたブライアン・ジャイルズらと共に、主軸打者としてチーム唯一の20発クリアとなる21本塁打・67打点をマークし存在感を示した(ジャイルズも20本塁打を放っているが、パドレス移籍後は4本塁打しか放っていない)。
2004年は投手有利な新本拠地ペトコ・パークが開場し、これまで三塁を守ってきたネビンが完全に一塁にコンバートされた影響で、不慣れな左翼を守ることとなった。そんな影響からか、11年ぶりに2桁本塁打に届かず、中軸としては物足りない成績であった。
2005年もほぼ左翼手としてプレーしたが、主砲ネビンの放出やロレッタの怪我による長期離脱・ジャイルズやショーン・バロウズの不振などもあった。そんな中、チームトップの18本塁打をマークし、投手有利な球場を本拠地とするパワーレスな打線の中軸打者として、地区優勝したチームを牽引。その一方、守備ではミスが目立ち、左腕の先発投手の際にはスタメンを外された。また、5月に7本塁打を放ち、6月に打率.302をマークしていたものの、首と背中を痛めて急失速するなど不満の残るシーズンでもあった。
2006年は肩の故障のため、シーズンの大半を棒に振った。復帰後はエイドリアン・ゴンザレスの台頭もあり、守備にはつかず、すべて代打としての出場であった。同年オフにFAとなり、サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。