リード・ジョンソン
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シカゴ・カブス時代 (2009年7月29日) | |
| 基本情報 | |
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| 出身地 | カリフォルニア州リバーサイド |
| 生年月日 | 1976年12月8日(49歳) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 180 lb =約81.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト17巡目(全体523位)でトロント・ブルージェイズから指名 |
| 初出場 | 2003年4月17日 |
| 最終出場 | 2015年10月3日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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リード・キャメロン・ジョンソン(Reed Cameron Johnson, 1976年12月8日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州リバーサイド出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
ブルージェイズ時代
1999年に、MLBドラフト17巡目(全体523位)でトロント・ブルージェイズから指名を受け、6月19日に契約。
2003年にメジャーデビューすると、主にトップバッターとして起用され、シーズン終盤まで3割近い打率を維持し続けた。20四球と少ないながら同数の20死球を受けて、それなりの出塁率を記録した。以降も多くの死球を受けて、6年連続で2ケタ死球を記録した。
2004年も1番打者として起用されていたが、選球眼がお粗末で四球を選べない為、1番を外された。
2005年は、他の選手のポジションの噛み合いで、レギュラーを外された。しかし、控えとしては充分すぎる働きを見せた。
2006年も控えとしての起用が中心かと思われたが、開幕から好調を維持。最終的に3割を超える打率を記録してシーズンを終えた。
2008年3月23日にシャノン・スチュワートをロースター枠に入れる為に解雇された。
カブス時代
2008年3月25日にシカゴ・カブスと1年契約を交わした。6月13日のトロントでのブルージェイズ戦に代打で登場してきたときにはトロントのファンと選手からスタンディングオベーションで迎えられた[1]。
2009年11月5日にFAとなった。
ドジャース時代
2010年2月1日にロサンゼルス・ドジャースと1年契約を結んだ[2]。11月5日にFAとなった。
カブス復帰
2011年は1月12日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、2年ぶりに古巣に復帰。メジャー昇格を果たし、第4の外野手として3割を超える打率を残した。10月30日にFAとなったが、12月21日にカブスと1年115万ドルで再契約した[3]。
ブレーブス時代
2012年7月30日にアローディス・ビスカイーノ、ジェイ・チャップマンとの2対2のトレードで、ポール・マホームと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[4]。10月29日にFAとなったが、12月6日に1年160万ドル(2年目はオプション)でのブレーブス残留が決まった[5]。
2013年11月4日に球団がオプションを破棄したため、FAとなった。
マーリンズ時代
2014年1月31日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[6]。3月30日にマーリンズとメジャー契約を結んだ[7]。
ナショナルズ時代
2015年2月17日にマーリンズとマイナー契約で再契約を結んだが、3月30日に自由契約となる。翌日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び[8]、4月5日にメジャー契約を結び25人枠に入った。4月28日のアトランタ・ブレーブス戦で代打で出場し二塁打を打った際に左脹脛の張りを訴え代走を送られた[9]。翌29日に15日間の故障者リスト入りした[10]。その後脚の手術を受けることになり[11]。6月26日に60日間の故障者リストに移行した[12]。9月26日に復帰したが[13]、17試合の出場で打率.227の成績にとどまる。10月5日にFAとなり[14]、翌6日にマイナー契約でナショナルズと再契約する。