ルイ2世・ダンジュー
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生涯
父はナポリ王位を主張してカルロ3世と争ったが、ルイ2世も同じくナポリ王位を主張、1389年にアヴィニョン対立教皇クレメンス7世によって戴冠を受け、カルロ3世の子ラディズラーオを追放してナポリを占領した。しかし、1399年にラディズラーオにナポリを奪還された[1]。
一方、フランスでは従兄の国王シャルル6世が発狂、政権を巡りシャルル6世の弟オルレアン公ルイと従兄のブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)が対立、1407年にオルレアン公が無怖公に暗殺され、翌1408年に無怖公が事件の自己弁護に務めた集会に出席した。翌1409年の無怖公とオルレアン公の遺児シャルル・ド・ヴァロワの和解式にも立ち会ったが、あまりフランスの政争に関わっていなかった[2]。
フランスよりナポリへ目を向け、1度挫折したナポリ王位をなおも諦めず、1409年にラディズラーオがピサの対立教皇アレクサンデル5世と対立して破門されると、代わりにナポリ王に推されフィレンツェ・シエーナと手を組んでローマを占領していたラディズラーオを追い出した。1411年にヨハネス23世を擁立しローマを占拠したが、1413年にラディズラーオに反撃されヨハネス23世は逃亡、ナポリ王位獲得は失敗に終わった[3]。
以後は妻ヨランド・ダラゴンの勧めでアンジューの経営に専念、1413年にヨランドが娘マリーをシャルル王太子(後のシャルル7世)と婚約させたことでフランス宮廷に近付いたが、1417年に死去[4]。長男のルイ3世がアンジュー公位を継承したが、彼と次男ルネもまたナポリの争乱に関わることになる。