レシピ
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レシピ(recipe [ˈresəpi])は、何かを準備する手順書のこと。特に料理の調理法を記述した文書を示し、本書で説明する。
基本構成要素
飲料や食品以外の調製法の場合は、フォーミュラ(formula、配合表)と呼ばれることもある。
現代の料理レシピは、通常以下の要素で構成される。
- 料理の名前 - 名称に加え、地方や由来が記される場合もある。
- 完成量 - そのレシピで出来上がる料理が何人前(あるいは何個分)か。
- 食材と分量 - 必要とする食材と、その量。
- 調理器具 - 調理に必要とする道具や設備。
- 手順一覧 - 調理する順番に沿った工程の説明。
- 調理時間 - 調理に要する時間の目安。
付加情報
レシピによっては、以下の情報が含まれることもある。
- 保存方法 - 保存可能期間や、冷凍保存の可否。
- バリエーション - 伝統的料理の派生形や、代用食材の一覧。
- 栄養価 - カロリーや塩分、アレルギー情報など。
歴史的背景
初期のレシピには、詳細な情報が欠けていることが多い。これは、当時のレシピが「既に基本的な調理技術を習得している者」への備忘録(覚え書き)として機能していたためであり、食材と分量のみが簡潔に記されるのが一般的であった。
語源
レシピの歴史
各地のレシピ
知られている最古のレシピは紀元前約1600年の南バビロニアでのアッカド語の粘土板である[2]。
古代ギリシャのレシピが多く知られている。ミタイコスの料理本が最古であるが、大部分が失われた。アテナイオスは『食卓の賢人たち』 (Deipnosophistae) で短いレシピを1つ引用した。アテナイオスは他の多くの料理本にも言及したが、それらは全て失われた[4]。
ローマのレシピは紀元前2世紀にカトー・ケンソリウスの『農業論』で始まったと知られている。この時代に、地中海東の料理の多くがギリシャ語とラテン語で記述された[4]。
古代カルタゴのレシピの幾つかが、ギリシャ語とラテン語に翻訳され知られている[4]。
より後の西暦4世紀または5世紀に、『アピキウス』と呼ばれる膨大なレシピ集が現れ、完全に現存する最古の料理本である[4]。『アピキウス』は、通常参照されるコースを、前菜(Gustatio )、メインコース(Primae Mensae )、デザート(Secundae Mensae )と参照されるコースを記録している[5]。ローマ人は西洋料理にハーブと香辛料を導入した。レンフリューは、タイム、ゲッケイジュ、バジリコ、フェンネル、ルー、ミント、パセリ、イノンドが、ギリシャで一般的であったと記述している[6]。
アラビア語のレシピは10世紀から記述されはじめている。アル=ワッラ (Ibn Sayyar al-Warraq) およびアル=バグダディ (Muhammad bin Hasan al-Baghdadi) 参照。
中国
古代中国の現存するレシピ集としては、北魏の賈思勰『斉民要術』、北宋の呉氏『中饋録』[7]、南宋の林洪『山家清供』[7]、元の著者不明『居家必要事類全書』[7]、清の袁枚『随園食単』などがある。中国のレシピ集は、農書や日用類書(生活情報の百科事典[8])と重なる部分が大きい。
日本
江戸時代には『料理物語』や『本朝食鑑』が刊行された。1802年、救荒のための『かてもの』が刊行された。1782年、『豆腐百珍』が刊行され、ブームとなって多くの続編や類似書が出現した。
明治時代には、村井弦斎による新聞連載小説の『食道楽』がベストセラーとなり、その妻の村井多嘉子がレシピ本の走りとされる『弦齋夫人の料理談』を出版した。石川理紀之助は貧農救済を目的として、『草木谷庵の手なべ』を著した。
料理本のレシピ
イギリスのリチャード2世がレシピ本の『The Forme of Cury』 (Forme of Cury) を委任した[9]。同じ頃に、他の本『Curye on Inglysh (Inglisch) 』が発行された[10]。両方の本には、当時のイギリス貴族階級で、料理がどう準備されて出されたかについて記述されている。当時のヨーロッパの階級システムの復活は、高貴な宮殿と家を戻し、それと共に現代のレシピ本と呼ばれるものが始まった。西暦1400年代までに、1日のレシピを詳細を述べた多数の写本が作られた。Harleian写本279、Harleian写本4016、Ashmole写本1429、Laud写本553、Dure写本55等多数は素晴らしい情報を与え、コリアンダー、パセリ、バジリコ、およびローズマリーを含む多くのハーブ、香辛料の再発見を記録した[11]。ハーブ、香辛料の多くは十字軍から持ち返された。
西暦1500年代から西暦1600年代の間、大きな家の間での競争が一般的となり、家を管理して食事を用意する方法について多数の本が書かれた。オランダ[12]とイギリス[13]では、貴族の間で誰が最も贅沢な宴会を準備できたかが競われた。西暦1660年代までに、料理法は芸術に進展し、良い料理人が求められた。彼らの多くはライバルと競って、彼らのレシピの詳細を述べる自身の本を発行した[14]。これらの本の多くは、現在翻訳されて、オンラインで利用可能である[15]。
西暦1800年代までに、世界中が料理に熱中した。最新の印刷技術と出版の新しい概念を使用して、ビートン夫人(イザベラ・メアリー・ビートン、1836年 - 1865年)は有名な本『ビートン夫人の家政書』を、西暦1857年から1865年の間に24分冊という形態で出版した。ほぼ同時期に、アメリカ人料理人ファニー・ファーマー (Fannie Farmer) (ファニー・メリット・ファーマー、1857年 - 1915年)が生まれ、料理に専念し、1849のレシピが含まれる有名な本『ボストン・クッキングスクール・クックブック』を出版した[16]。
料理番組のレシピ
1900年代半ばまでに、文字通り何千冊もの料理法とレシピの本が利用可能となった。次の革命はテレビの料理番組であった。イギリスでの最初のテレビの料理人はファニー・クラドック (Fanny Cradock) でありBBCに番組を持っており、後にグラハム・カー(世界の料理ショーで有名)に引き継がれた。これらのテレビの料理番組は、新しい料理法を切望する視聴者にこれらの料理人のレシピを提供した。初期には、レシピはBBCからの郵便で利用できた。後に、画面Ceefax文字システムによりテレビで利用可能となった。また、新興のチャンネル4とS4CがORACLEと呼ばれる文字システムでレシピを提供した。
今日でも、テレビはレシピの主要な情報源であり、ジェイミー・オリヴァー、ゴードン・ラムゼイ、ナイジェラ・ローソン、レイチェル・レイ (Rachael Ray) といった国際的な料理人がプライムタイムの番組を持つ。これら全てのレシピの詳細はインターネットウェブサイトでバックアップしている。今日、インターネットがあるにもかかわらず、料理本は以前と同様に人気がある。
