ロビン・フレイザー

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本名 Robin Lucius Fraser
カタカナ ロビン・ルーシャス・フレイザー
ラテン文字 Robin Fraser
ロビン・フレイザー
2017年のフレイザー
名前
本名 Robin Lucius Fraser
カタカナ ロビン・ルーシャス・フレイザー
ラテン文字 Robin Fraser
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1966-12-17) 1966年12月17日(59歳)
出身地 ジャマイカの旗ジャマイカキングストン
身長 185cm
選手情報
ポジション DF
ユース
1985-1988 アメリカ合衆国の旗 フロリダ国際大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1989 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・シャークス
1990-1995 アメリカ合衆国の旗 コロラド・フォクセズ英語版 93 (6)
1996-2000 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 129 (1)
2001-2003 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 74 (0)
2004-2005 アメリカ合衆国の旗 コロンバス・クルー 57 (0)
代表歴
1988-2001 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 27 (0)
監督歴
2011-2012 アメリカ合衆国の旗 チーバスUSA
2019- アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロビン・ルーシャス・フレイザー(Robin Lucius Fraser、1966年12月17日 - )は、アメリカ合衆国の元サッカー選手であり、サッカー指導者である。現在はMLSコロラド・ラピッズの監督である。

選手としては、MLSで主に活躍し、アメリカ代表として1988年から2001年の間に27試合出場している。

プロキャリア

1988年にアメリカン・サッカーリーグのマイアミ・シャークスと契約し、2年間プレーした。1990年APSL(アメリカン・プロサッカーリーグ)のコロラド・フォクセズ英語版に移籍し、1995年までプレーした間に、APSLのオールスターチームに4年連続で選出された。

メジャーリーグサッカーが創設されると、ドラフト会議ロサンゼルス・ギャラクシーに割り当てられ、在籍した5シーズンのうち、4回のMLSベストイレブン選出(1996,1998,1999,2000)、1999年のMLSの最優秀ディフェンダー賞を受賞した。

2001年にサラリーキャップの関係により、コロラド・ラピッズへトレード、その後、コロンバス・クルーへトレードとなった。選手としてのピークは過ぎていたと思われていたものの、一方では、依然MLSのトップレベルにあると考えられ、クルーでは2004年に最優秀ディフェンダー賞の次点に選出され、チームもサポーターズ・シールドを獲得した。同僚であった新進気鋭のナット・ボーチャーズチャド・マーシャルの良き先輩として後進の指導にもあたった。2005年に選手生活を終えた。

代表でのキャリア

ジャマイカ生まれではあったが、1986年に市民権を獲得した後、代表はアメリカ合衆国を選択した。1988年6月1日、チリ代表戦で初出場し、以後27試合でプレーした。なお、代表最後の出場は、2001年7月6日のエクアドル代表との試合である。

指導者経歴

選手として活躍していた1990年代から、ロサンゼルスの女子サッカークラブの指導にあたっていた。引退後の2007年からレアル・ソルトレイクの第3アシスタントコーチを経験し、2011年にチーバスUSAの監督に就任した[1]

2年間の指揮を執ったチーバスでは、2年目に14試合勝利無しを記録した[2]。そのシーズンオフに、ニューヨーク・レッドブルズから誘いがかかり、監督に就任したマイク・ペッキのもと、アシスタントコーチをしてチームのサポートにあたった[3]

レッドブルズでの2年を経て、トロントFCのアシスタントコーチとしてグレッグ・ヴァニーのもとで指導にあたった。チーバスの監督 をしていた時には、ヴァニーはアシスタントコーチをしており、立場が逆となったが、トロントでは実質的にはフレイザーを軸に指揮を執っていた[4]

2019年よりコロラド・ラピッズの監督に就任した。

監督成績

2020年3月7日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
チーバスUSA 2011年1月4日 2012年11月10日 68152132022.06
コロラド・ラピッズ 2019年8月25日 9702077.78
合計 77222134028.57

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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