上名寄
From Wikipedia, the free encyclopedia
地名の由来
地理
歴史
公区として、上名寄第1、上名寄第2、上名寄第3公区を含む。概ね殖民区画の上名寄11線から20線までの地帯である。名寄川沿いの沖積平野である上名寄原野地区は、1901年に16線から19線にかけて岐阜団体により町内では最も早く開拓の鍬が下ろされた。1902年には11線から15線に八丈団体が入植した。1903年には米の試作に成功した。原野地区の南側の台地の上や名寄川に注ぐ小さな沢沿いはやや遅れて大正から昭和初期にかけて開拓された。名寄川の北側・上名寄川向地区の台地や沢沿いは、戦後開拓により拓かれた。上名寄12線にあった旧JR北海道名寄本線上名寄駅付近にはかつては澱粉工場や木工場、製粉工場などがあり小市街を形成したが、現在はその面影はない。農林地帯として発展している。
沿革
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各字名ともその一部) |
|---|---|---|
| 上名寄 | 1984年4月1日 | 下川原野、名寄原野、名寄、上名寄原野、上名寄、名寄太原野、モサンル原野、ペンケヌカナン原野、下川 |
交通
施設
- 上名寄第1公区会館、上名寄生活改善センター、上名寄川向会館
- 下川墓地
- 下川町農山村交流広場「上名寄交流広場」
- 上名寄郵便局
- 上名寄小学校(廃校)- 現 下川町農村活性化センター「おうる」
- 1904年(明治37年)6月15日 - 上名寄19線共有地に上名寄簡易教育所開設
- 1908年(明治41年)3月25日 - 校舎全焼、4月より個人宅の物置を借り授業再開
- 1908年(明治41年)7月1日 - 上名寄教育所に昇格
- 1908年(明治41年)8月17日 - 上名寄16線南2番地に新築移転(現・上名寄生活改善センター所在地)
- 1910年(明治43年)9月1日 - 上名寄村立上名寄尋常小学校に昇格
- 1915年(大正4年)11月1日 - 名寄町立上名寄尋常小学校に改称
- 1924年(大正13年)1月1日 - 下川村立上名寄尋常小学校に改称
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 下川村立上名寄国民学校に改称
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 高等科を併置
- 1947年(昭和22年)5月15日 - 下川村立上名寄小学校に改称
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 下川町立上名寄小学校に改称
- 1959年(昭和34年)10月12日 - 上名寄15線北2番地に移転、小中併置に
- 1994年(平成6年)11月13日 - 開校90周年記念式典挙行
- 2002年(平成14年)3月31日 - 児童数減少により休校
- 2003年(平成15年)3月31日 - 廃校
- 2004年(平成16年)12月 - 下川町農村活性化センター開設
- 2008年(平成20年)12月 - 下川町育苗施設を併置
- 上名寄中学校(廃校)
- 上名寄警察官派出所(廃止)
- 北海道立水産孵化場天塩支場名寄事業所(廃止)