南部八戸の城下町によると、徒士は「騎士の侍に対する徒歩の士の町に由来するとおもわれるので、本来は徒士階級の屋敷町として割り出されたものかと考えられる」と記載されているが、同書は当地名について八戸藩の記録には徒士階級の存在が確認されておらず、類似の地名に、徒士町、本徒士町の、地名があるものの「本当の町名の由来についてはわからない」と記されている。文政初年(1818年ごろ)の城下絵図に「上御徒士袋町」の地名もみられ、裏通りは廿六日町から町組町、上徒士町を経て上組町へ抜けれず途中で街路が袋小路だったことが由来である[7]。