糠塚 (八戸市)

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糠塚
糠塚の位置(青森県内)
糠塚
糠塚
糠塚の位置
北緯40度29分40.49秒 東経141度28分56.66秒 / 北緯40.4945806度 東経141.4824056度 / 40.4945806; 141.4824056
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 八戸市
人口
2017年(平成29年)4月30日現在)[1]
  合計 3,607人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
031-0022
市外局番 0178[2]
ナンバープレート 八戸
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糠塚(ぬかづか)は、青森県八戸市町名地名の一つである。25の小字がある[3]。当地域の人口は3,786人である。

糠塚は八戸市中央部から南寄りの馬淵川の右岸と新井田川左岸の中筋に位置する。北に長者、東に吹上中居林、南に是川、西に沢里に隣接する。鉄道の駅は無い。幹線道路は、地内西外縁に国道340号が通る。地内は北側は宅地が多いが、南側は山林が広がっている。地内の字南糠塚や字板橋からは縄文時代後期の土器や石器が発見されている。

地名の由来

糠塚の地名の由来は長者山に関係する。民俗学者柳田國男の自書によると、「大昔に長者が住み、地中より糠が出たという糠前伝説」[4] の記述が残る。一方、1790年(寛政2年)の高山彦九郎の「北行日記」にも「城下を南に出て右の方長者山松茂る。上古長者が住みし所と伝えふ、今に地中より籾(もみ)ぬか出るといふ」とある。

このことから、大昔から長者山の上には大金持ち(長者)が住んでおり、その地面からは精米した後の籾と糠が出てきたことによる伝説から「糠塚」の地名が残ったと考えられる。

歴史

糠塚村

  • 江戸期 - 1889年明治22年)三戸郡糠塚村
    • 1665年以前まで 盛岡藩領 三戸郡糠塚村。
    • 1618年(元和4年)の記録[5]によると、1697年の「元禄10年高帳」は、八戸通村の枝村糠塚の名前で206余り(田51石余り、畑154石余)、「旧高旧領」の記録では糠塚村の名前で192石余の記述が残る。当時、北には八戸城下があり、地内西には登り街道(現在の国道340号)が南北に通っていた。また、地内の北側に位置する長者山は、八戸城下の南方の防衛拠点として役割を備えていたと考えられる[6]
    • 1665年寛文5年)、八戸藩領、八戸廻りに属する。
    • 1665年(寛文5年)、長者林=長者山の記録が残る。
    • 1668年(寛文8年)、板橋山(現在の大字糠塚字板橋)の山守(森の管理者)が木を切りすぎて処分を受ける。
    • 1679年延宝7年)、長者山内でのキジ狩りが禁止される。
    • 1708年宝永5年)、糠塚と板橋山で松虫が大量に発生し、虫祭りが開かれる。
    • 登り街道は大名行列が通る重要な路線であったため、1744年から沿道の街道植樹を行った。
    • 1744年延享元年)、1000本の漆の木が植えられる。(枡形から一ノ坂の区間:現在の平中交差点付近)
    • 1751年宝暦元年)、4月に100本の漆の木が植えられる。
    • 1753年(宝暦3年)、4月に大杉平(現在の大字糠塚字大杉平)と、根城通りに1864本の漆の木が植えられる。
    • 1754年(宝暦4年)、4月に大杉平で1770本の漆の木が植えられる。[7]
    • 1756年(宝暦6年)、病気や飢えなどで路上に倒れている人が34人発生した。[8]
    • 1836年天保7年)、大慈寺の住職が、藩から飢民の救護を命ぜられ、寺の裏門に作った救助小屋に収容する。[9]
    • 1871年明治4年)、家数は本村106、板橋18、平中8、鍛冶丁6、下屋敷5。[10]
    • 1877年(明治10年)、八戸区裁判所、八戸区検事局が、地内、常泉下に設置される。
    • 1879年(明治12年)、本村の戸数91・人口591(男292・女299)、寺院5、学校1、牛7、馬85。板橋の戸数18・人口133(男66・女67)、牛3、馬28、物産は麦、雑穀、麻糸、鳥類。[11]

長者村時代

  • 1889年(明治22年)- 1929年昭和4年)三戸郡長者村大字糠塚
    • 1889年(明治22年)4月1日、長者村になる[12][13]
    • 1891年(明治24年)、戸数146、人口982、厩(馬小屋)2、学校1、水車場1[14]
    • 1898年(明治36年)、長者尋常小学校が開校。類家尋常小学校と糠塚尋常小学校の統合による。

八戸町時代

八戸市時代

字・町名の変遷

根城地区住居表示[19]
実施後 実施年月日 実施前(各字ともその一部)
根城一丁目 1975年2月1日 大字上組町、大字糠塚字桝形、大字沢里字沢里下、字梨子木沢、
根城二丁目 大字糠塚字桝形、大字沢里字藤子、字梨子木沢、字沢里下、字一盃森、字鹿島沢
根城三丁目 大字沢里字沢里、字沢里下、字梨子木沢、字鹿島沢、字一盃森、字上久保、大字根城字下番屋平、字鹿島下
根城四丁目 大字沢里字沢里、字沢里下、字上久保、大字根城字無縁塚、字下番屋平
根城五丁目 大字根城字番屋平、字無縁塚、字下番屋平
根城六丁目 大字沢里字沢里、鹿島沢、大字根城字番屋平、下番屋平、鹿島下
根城七丁目 大字根城字大久保、字中崎、字長坂、字鹿島下、大字沢里字鹿島沢、字一盃森
根城八丁目 大字根城字長坂、字根城、字中崎、字鹿島下、字番屋平、字大久保、字馬場頭
吹上・長者地区住居表示[20]
実施後 実施年月日 実施前(特記なき字名はその一部)
吹上一丁目 1986年2月17日 大字類家字向田屋の全部、同字新寺前の全部、同字外中居の全部、同字縄手下、同字堤田、大字中居林字館越、大字岩泉町、大字長横町
吹上二丁目 大字中居林字上野切、同字館越山、同字外中居、同字館越
吹上三丁目 大字糠塚字野場先、同字長者山下、大字類家字縄手下、大字中居林字吹揚
吹上四丁目 大字中居林字花草谷地の全部、同字吹揚、大字糠塚字野場先
吹上五丁目 大字中居林字館越山、同字外中居、同字上野切
吹上六丁目 大字中居林字藤覚、同字蒼前
長者一丁目 大字糠塚字下道、同字南糠塚、同字北糠塚、同字長者山
長者二丁目 大字糠塚字段の外の全部、同字野場先、同字長者山下、大字中居林字吹揚
長者三丁目 大字糠塚字𦹀渡の全部、同字中村の全部、同字北糠塚、同字南糠塚、同字平中
長者四丁目 大字糠塚字北長市の全部、同字西道の一部

世帯数と人口

2017年(平成29年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

小字世帯数人口
板橋52世帯121人
鶉久保78世帯164人
大沢33世帯66人
大杉平149世帯303人
大開126世帯260人
蟹沢221世帯460人
狐森76世帯164人
小沢2世帯4人
五郎兵衛前108世帯259人
下道18世帯37人
下屋敷39世帯68人
惣善前6世帯14人
平中162世帯332人
長者山3世帯9人
長者山下14世帯22人
土取場40世帯77人
長久保175世帯367人
二ツ家25世帯53人
古常泉下43世帯88人
前谷地111世帯265人
桝形2世帯7人
南長市140世帯266人
柳ノ下73世帯168人
山内3世帯4人
葭谷地14世帯29人
1,713世帯3,607人

施設

教育

小字

脚注

参考文献

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