上永谷車両基地

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日本の旗 日本
座標 北緯35度23分46秒 東経139度34分18秒 / 北緯35.396度 東経139.5716度 / 35.396; 139.5716座標: 北緯35度23分46秒 東経139度34分18秒 / 北緯35.396度 東経139.5716度 / 35.396; 139.5716
上永谷車両基地
上永谷車両基地(2006年2月撮影)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 神奈川県横浜市港南区野庭町713
座標 北緯35度23分46秒 東経139度34分18秒 / 北緯35.396度 東経139.5716度 / 35.396; 139.5716座標: 北緯35度23分46秒 東経139度34分18秒 / 北緯35.396度 東経139.5716度 / 35.396; 139.5716
鉄道事業者 横浜市交通局
帰属組織 技術管理部 上永谷保守管理所 - 上永谷検車区
整備済み車両略号 上永谷修
併設区所 上永谷保守管理所 - 上永谷施設区・上永谷電気区
能力開発センター(安全教育センター) ≒ 動力車操縦者養成所
最寄駅 上永谷駅
管轄路線 ブルーライン(1・3号線)
管轄車両 3000形4000形
開設 1977年(昭和52年)5月26日(上永谷検車区)[1]
車両基地概要
敷地面積 約48,000 m2[2]
留置線本数 19本(留置本数)[2][3]
検査線本数 月検査線 2本
列車検査線 2本[2]
洗浄線本数 2本[2]
車両洗浄装置 1基
その他設備 出入庫線 1本
引上線 1本
車輪転削線 1本
作業用車(保線機械)留置線 4本
入出場線 1本(以下、修繕工場)
臨時修繕線 1本
入出場検査線 1本
試運転線 1本
最大収容両数 156両(6両編成26本)[2]
位置
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上永谷車両基地(かみながやしゃりょうきち)は、神奈川県横浜市港南区に所在する横浜市営地下鉄ブルーライン車両基地上永谷駅の南およそ700 mの場所(上永谷駅中心から当車両基地中心間)に位置する。

構内には上永谷保守管理所(管理係、施設区、電気区、検車区)、上永谷修繕工場(車両工場)、能力開発センター(安全教育センター) ≒ 動力車操縦者養成所などが設置されている[4]。この路線の車両基地は、当基地と新羽車両基地の2か所である。

上永谷駅の港南中央方で出入庫線が南側に分岐し、車両基地に至っている[1]。出入庫線は延長343 mで、半径130 mの旧曲線や25 ‰の勾配がある[5]

元々は横浜市住宅供給公社が所有していた用地を、交通局が譲受して車両基地としたものである[6]。しかし、上永谷駅と車両基地を繋ぐ出入庫線の用地取得が難航したため、使用が開始されたのは上永谷駅の開業から1年遅れ、1977年(昭和52年)5月26日であった[6][1][2]

当車両基地用地は出入庫線よりも早い1971年(昭和46年)11月に取得が完了していたが、車両基地自体が閑静な住宅街に位置することから、周辺住民より強い反対運動があり、土木工事に1年半ほど着手できない状態となっていた[5][7]。反対住民との交渉後、合意に至り、1973年(昭和48年)4月にようやく土木工事に着手することができた[5][8]。構内の建築物は1974年(昭和49年)12月に着手、1975年(昭和50年)12月に検車区・検車区事務所が完成、1976年(昭和51年)9月に修車区工場が完成した[8]。1977年(昭和52年)3月にはすべての建築工事が完成した[8]

出入庫線の用地取得は1972年(昭和47年)3月の地元説明会から始まったが、こちらも周辺住民の反対が大きく、測量すら入れない状況であった[7]。任意交渉では限界であることから、1973年(昭和48年)からは土地収用法に基づく収用裁決に入り、1975年(昭和50年)11月にはおおむね物件移転契約は完了した[7]。ただし、最後まで紛糾が残り、最終的に用地取得が完了したのは1977年(昭和52年)12月となった[7]。市営地下鉄戸塚 - 新横浜間における用地取得交渉のうち、上永谷駅および出入庫線の用地取得は、最大の難関であったとされている[7]。計画では着工から10か月で完成する予定であったが、実際には3年弱の工期を要した[5]

構内

検車区設備は留置線が19線(1 - 9番線)[3]、洗浄線2線(10・11番線)、車輪転削線1線(13番線)、月検査線2線・列車検査線2線(14 - 17番線、プールピット構造)がある[9][2]。このほか、保線車両の留置線が4線ある[2]。出入庫線への引き上げ線には車両洗浄装置を備えている[1]

修車設備(整備工場)は入出場線1線(1番線)、臨時修繕線1線(2番線・臨時検査用。1両長で床下機器の修繕に対応。センターピット構造。台車トラバーサー有)、入出場検査線1線(3番線・プールピット構造)、試運転線(411 m)1線がある[9][1]

重要部検査・全般検査は、当車両基地開設当初より協力会社の東横車輌電設→東急テクノシステムに委託している[1][10]。このため、交通局では検査への立ち合い、部品の管理や監督業務などを行っている[1]

ブルーラインの本線では50kg/mNレールが使用されているが、車両基地内は通トン数が小さいことから40kg/mNレールが使用されている[11]

車両基地完成以前

横浜市営地下鉄第1期開業時(上大岡 - 伊勢佐木長者町間)は車両基地が確保できず、列車が3両編成だったことから伊勢佐木長者町駅のホームを半分に仕切り、東側を伊勢佐木長者町仮検車場として1か月検査(現在の90日以内に実施する月検査に相当)を実施し、当時2日以内に実施する列車検査(現在は10日以内に実施する検査)は上大岡駅構内の引き上げ線と将来の戸塚方面への本線を仮設の列車検査場として使用した[12]

車両の搬入についても適当な場所が確保できず、やむなく公道上に設けた搬入口からクレーン車により地下トンネル内に搬入された[12]。公道上からの搬入は1000形1次車21両(1971年、蒔田駅付近)、2次車1974年製造分6両(1974年、港南中央駅 - 上大岡駅間の鎌倉街道関ノ下交差点付近)と続いた後、2次車1975年製造分は上永谷駅付近の高架線上へクレーン車で吊り上げて搬入した[12]

第2期開業時(1号線 上大岡駅 - 上永谷駅間と1・3号線 伊勢佐木長者町駅 - 関内駅 - 横浜駅間))にも当車両基地の完成が間に合わなかったことから、伊勢佐木長者町駅から関内駅に仮検車場が移転した[13]。ただし、関内駅の構築は大部分が完成していたことから、検査スペース確保のため1・3番線プラットホームの一部を58 mにわたり切り欠いた(本来の軌道中心から30 cmホーム側に振った)[13]。床下機器点検スペース確保のため、線路は床面構築から約70 cmかさ上げした[13]。地下2階の1番線を列車検査線、地下3階の3番線を1か月検査線として使用した[13]。検査機器の大部分は伊勢佐木長者町仮検車場から移設したが、新たに車両洗浄機が設置された[13]。1977年(昭和52年)5月、当車両基地使用開始に伴い関内仮検車場は廃止した[13]

また、車輪の異常摩耗を修正する車輪転削設備がないため、1973年(昭和48年)12月から翌1974年(昭和49年)5月にかけて東京都交通局馬込検車場の車輪転削設備を借りて、車輪削正が実施された[14]

重要部検査・全般検査

市営地下鉄開業当時の重要部検査は、1.5年以内または走行距離25 万km以内、全般検査は3年以内であった[15]。これらの大掛かりな検査は当車両基地で行うことを計画していたが、前述した完成遅れから、当車両基地で行うことは不可能となった[15]。このため、計画になかった伊勢佐木長者町仮検車場で1次車の重要部検査を施工することになり[注 1]、やむを得ず2次車の台車・機器を2編成6両分先行発注し、伊勢佐木長者町駅仮検車場で1次車に新品の機器を振り替え搭載、取り外した台車・機器は外部に搬出して検査を施工し、以降は検査済みの機器に振り替えながら重要部検査をする方法を取った[13]

2次車1974年製造分6両の重要部検査は伊勢佐木長者町仮検車場で実施できたが[注 2]、1次車の全般検査[注 3]は路線延伸に伴う工事のため、伊勢佐木長者町仮検車場が使用できなくなった[13]。このため、1次車21両は検査切れのため1975年(昭和50年)10月から翌1976年(昭和51年)8月まで休車とさせ、1974年製造の2次車6両と1975年製造の2次車15両を合わせた21両(1次車と同数)で営業運用し、その間に1次車を上永谷駅の戸塚駅寄り本線高架上に設置した上永谷仮検車場で全般検査を実施した[13]。なお、全般検査が完了するまで港南中央駅 - 上永谷駅間で工事中の本線を休止車両の留置スペースとし、33 ‰の急勾配区間であることから特殊な手歯止めを使用して留置した[13]。全般検査は第2期開業に合わせて終了した[13]

全般検査は上永谷駅の西側高架部分と、一部が完成していた上永谷車両基地の16・17番線を使用した[16]

その他

  • 映画「交渉人 真下正義」の中に出てくるTTR東車両基地のモデルとなった。
  • 2005年(平成17年)以降、「はまりんフェスタ」として何度か一般公開が行われている。

脚注

参考文献

関連項目

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