下富
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歴史
かつては埼玉県入間郡富岡村であった。江戸時代の元禄期に開拓された三富新田の西部にあたる。近年北部が新所沢フラワーヒルやネオポリスとして開発され新興住宅地となっている。
地名の由来
沿革
- 江戸時代 - 川越藩領であった。元禄時代より三富新田の開発が始まる。
- 元禄9年(1696年) - 検地があり[注釈 1]、屋敷の戸数は下富地内で49戸。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中富村、下富村、神米金村、北岩岡村、北中村が合併し、入間郡富岡村の村域となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 富岡村が所沢町・小手指村・山口村・吾妻村・松井村と合併し、入間郡所沢町大字下富となる。
- 1972年(昭和47年)9月 - 西武不動産により新所沢フラワーヒルの分譲開始。
- 2007年(平成19年)2月13日 - 下富内にあった中富の飛地である辨天地区を下富に編入。
武蔵路跡
下富の西側で北に細長く延びている地割部分は、律令時代に定められた官道である東山道武蔵路跡である。北は堀兼神社、入間川の八潮大橋付近を通って上野国の新田荘まで続き、南は新所沢駅付近を抜けて東村山市の八国山緑地の東を通り、武蔵国府があった府中まで続いていた。