中御門経継

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時代 鎌倉時代後期
生誕 正嘉2年(1258年
死没 嘉暦元年(1326年)以降
改名 経継→乗性(法名)
 
中御門 経継
時代 鎌倉時代後期
生誕 正嘉2年(1258年
死没 嘉暦元年(1326年)以降
改名 経継→乗性(法名)
官位 正二位権大納言
主君 後宇多天皇
氏族 藤原北家勧修寺流吉田家庶流中御門家
父母 父:吉田経俊
母:光蓮(治部卿局、平業光の娘)
兄弟 吉田俊氏吉田俊方坊城俊定経継、為定、吉田経世経誉経円吉田経藤室、堀川具守室、中納言貞平室、藤原忠雄室、正親町三条実仲
左馬頭隆教の娘
経宣経季経兼、経愉、吉田隆長室、冷泉頼隆
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中御門 経継(なかのみかど つねつぐ、正嘉2年〈1258年〉- 嘉暦元年〈1326年〉以降)は、鎌倉時代後期の公卿中納言吉田経俊の次男。官位正二位権大納言中御門家の祖。

大覚寺統後宇多天皇側近であり、正安4年(1302年)に院政を行っていた後宇多上皇の推薦で当時の要件とされていた蔵人弁官を経ずに参議に昇進する。

嘉元3年(1305年)、権中納言となり、評定衆として活動する。持明院統伏見上皇の院政中は逼塞していたが、後醍醐天皇践祚に伴って、後宇多上皇が再度院政を始めると、元応元年(1319年)には権大納言・院伝奏となった。

しかし、後醍醐天皇が大覚寺統の嫡流である甥の邦良親王を廃して自分の子に皇位を継承させようとすると、後宇多上皇の意を受けて、邦良親王擁護のために奔走する。だが後宇多上皇、次いで邦良親王が没すると、後醍醐天皇から疎まれていた経継は宮廷から追われて、正中3年(1326年)に出家し乗性と号した。その後の動向は不明である。

官歴

公卿補任』による

系譜

参考文献

脚注

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