中村精男
From Wikipedia, the free encyclopedia
長州藩士の中村粂吉の長男として長門国萩で生まれる。少年の頃松下村塾に学ぶ。1871年(明治4年)に上京し、大学南校を経て1879年(明治12年)には東京大学物理学科を卒業、内務省地理局(国土地理院の前身の一つ)測量課に入る。
1886年(明治19年)から1889年(明治22年)にドイツに留学。ベルリン大学、ハンブルク海洋気象台で気象学を修める。1890年(明治23年)に中央気象台技師となる。1893年(明治26年)にシカゴで開かれた万国博覧会に出品するため英語で「The Climate of Japan 日本の気候」を執筆、この論文により1902年2月10日に理学博士となった[1]。1895年(明治28年)に中央気象台台長に就任、1923年(大正12年)まで務めた。1908年(明治41年)11月28日には帝国学士院会員に選任された[2]。
公務のかたわら、1881年(明治14年)には寺尾寿、和田雄治らとともに東京物理講習所(後の東京物理学校、現:東京理科大学)の設立に携わり、寺尾寿の後任として1896年(明治29年)から同校の校長となり、1930年(昭和5年)に脳溢血[3]で死去するまで在職、日本の理科教育にも大きく貢献した。
エスペラントおよびメートル法の普及に尽力した功績も大きい。財団法人日本エスペラント学会の初代理事長を1926年(大正15年)から1930年まで務めた。